7年前の記事「ミスター高校野球」で記した様に、自分がリアル・タイムで見て来た高校球児の中から、「ナンバー・ワンのミスター高校野球」を選ぶとしたら、桑田真澄氏(PL学園)という事になるが、彼と負けず劣らず好きだったのは清原和博氏(PL学園)だ。桑田氏&清原氏の“KKコンビ”の登場は実に衝撃的だったし、すっかり魅了されてしまった。
プロ野球選手となって以降も、自分は2人を応援して来た。特に清原選手への思い入れが強くなったのは、ドラフト会議での一件が在ったからで、「指名しなかったジャイアンツを、何としても見返してやれ!」という思いが在ったからだ。なので、1987年の日本シリーズで因縁のジャイアンツと闘い、(彼が所属する)ライオンズの日本一達成が目前に迫った9回表2アウト時、ファーストの守備に就いていた彼が、俯いて涙を流し始めた際は、自分も共に「良かったなあ・・・。」と涙したもの。
そんな彼が好きだったのも、ライオンズ時代迄だったろうか。好きじゃ無くなり出したのは、彼が“番長”と呼ばれ出した頃から。当初は彼自身、そういった呼称を意識していなかったのかもしれないが、段々と「番長たる者、~で無ければいけない。」的な言動を意識して“演じる”様になり、“男気”といった物を好んで打ち出す様になった辺りから、彼を見るのが辛くなった。番長としての自分を保持する為、其の言動が何処ぞの“組員”の様に変わって行くのが、痛々しくてならなかったのだ。「男は黙って結果を残す!」という選手で在り続けて欲しかった。
そして、彼が益々嫌いになって行ったのは、“過去の恨み言”を切り売りする様になったから。ドラフト会議でのジャイアンツの遣り方には、自分も怒りを覚えたし、彼が其の事を恨む気持ちも理解出来る。でも、プロ野球選手として功成り名を遂げた彼が、一度ならず何度も、グチグチと恨み言を並べ立てるのは、自分自身の価値を下げるだけとしか思えなかった。ドラフト会議の一件だけでは無く、他の事でも恨み言や泣き言を切り売りするに到っては、「もう駄目だな・・・。」と見限った自分。
そんなこんなで、球界での居場所を無くしてしまった清原氏。昨夜、某TV番組に登場し、色々話したらしい。新聞のTV欄に記された内容を読むと、相変わらず恨み言や泣き言を並べ立てそうな感じだったが、チラッと最初の部分を見た限りでは、案の定「ドラフト会議での恨み言」が流されていた。
「もう良いよ。」という思いで、其れ以降は見なかったのだけれど、若しも同じ様に恨み言&泣き言の切り売りが続いたとしたら、残念の一言。大好きだった選手だけに、「光風霽月」の心持ちとなって、球界で後進の育成に当たって欲しいのだけれど・・・。
その番組見てたがそれを思い出した。巨人戦力外通告が何分もかからない冷たいものだった、等々。それはたぶん幻冬舎の自伝にも載ってると思うが。
あの報道が本当なのかわからないが、本当だとしても不思議はないほど弱い、不器用な男だなと感じた。もちろん否定してたけど。インテリ界に行ったしたたかな桑田、おバカタレントとして自立?した子分の元木より遥かにもろいと感じた。
コメントを寄せに出てきた佐々木、これも「弱そう」だもんなあ・・・・。
>もう良いよ
うちの家族も同じこと言ってどっか行った。
いろいろ裏もあってこの「復活」を演出しようとしてるのかもしれないが、難しいかもしれない。
差別的な表現と取られてしまうかもしれないのですが、清原氏には見掛けと違い、“女性的な感性”をずっと感じています。非常に繊細過ぎるが故に、「“他者が求めている物”を、何とか体現しなければいけない。」という思いが強く、番長的な言動を“演技”し続けていたのではないかと。そういう意味では、気の毒さを感じなくも無い。
此処数年の醜聞で、彼の周りから“取り巻き”が見事な程に離れて行ったと聞きます。自らが招いた事とは言え、ドラフト会議の時と同様、“人の冷たさ”というのを、彼は感じた事でしょう。でも、同時にそんな状況下でも離れなかったり、新たに応援してくれる人が出て来たかもしれない。世の中、そんなに捨てた物では無いと思いたいし、そういう人達の為にも、何とか清原氏には“復活”して欲しいと、KKコンビの活躍に胸を熱くしたファンの1人として、願わずには居られません。