“Elephant in the room.”というイディオムが在るのだとか。邦訳すると「部屋の中の象」。巨躯な象が部屋の中に居れば、誰しも気付かない訳が無い。「其の内、大暴れし出すんじゃないか?」と誰もが心の中で不安を抱いているのに、其れを口にしないどころか、「部屋の中に、象なんか居ない。」と皆が皆、気付かない振りをし続ける状況を指すのだとか。「危うさを感じているのに、多くが無関心を装い続ける。」というのは、実に怖い事だ。
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「スパイ濡れ衣 宮沢・レーン事件 ~軍機保護法 秘密保護法と酷似~」(10月14日付け東京新聞【朝刊】)
戦前、旅行先の見聞を伝えただけで、大学生がスパイの濡れ衣を着させられ、逮捕&投獄された宮沢・レーン事件。当時の「軍機保護法」違反に問われた。此の法律が、安倍政権が成立を目論む特定秘密保護法案にそっくりなのだ。関係者は、法案が成立すれば、悲劇の再来を招くと訴える。
「兄の悲劇で、両親も私も身体から涙が抜け切ってしまった。同じ様な悲劇が、誰かの家族の上に降り掛かろうとしているのです。皆さん、何としても秘密保護法案を通さないで下さい。宮沢事件は、未だ終わっていません。」。
米・コロラド州在住の秋間美江子さん(86歳)は、10日に東京都内で開かれた市民集会に、こんなメッセージを寄せた。秋間さんの兄は、戦中に北海道帝国大の学生だった宮沢弘幸さん。太平洋戦争が開戦した1941年12月、軍機保護法違反容疑で逮捕された。
米国人の英語教師レーン夫妻に「軍の秘密を漏らした。」とされた。宮沢さんは英語を始め、数ヶ国語を習得し、外国人の知人が多かった。其の為、特別高等警察に目を付けられていた。宮沢さんは懲役15年の実刑判決が確定。拷問と過酷な受刑生活で結核になり、敗戦後、釈放されたが、27歳の若さで亡くなった。
1899年制定の軍機保護法は、軍事上の秘密を探知したり、漏洩した者を処罰する法律で、1937年の改定で秘密範囲が大幅拡大された。
宮沢さんが此れ程の重罪とされた「秘密」とは、何だったのか。裁判は秘密保持の為非公開で、判決文は破棄されるか、伏せ字だらけ。詳しい内容が判明したのは、1990年代になってからだ。小樽商科大の荻野富士夫教授が、戦中の内務省の部内冊子「外事月報」に、地裁判決の全文が掲載されているのを見付けて判った。
何と、主な容疑は「樺太を旅した時に、偶然見掛けた根室の海軍飛行場を、友人のレーン夫妻に話した。」事だった。此の海軍飛行場には1931年、米国人飛行士のリンドバーグが北太平洋航路調査の途中で着陸し、国内外の新聞で大々的に報じられ、世間に知られていた。
軍機保護法は当初、国家の存亡に関わる様な軍事機密を漏らした者を罰する目的で成立した。ところが、戦局の緊迫化と共に、「観光で偶撮影した風景に、軍事機密が写っていた。」といった様な理由で、次々と一般市民が逮捕される事態になった。
事件を故上田誠吉弁護士と共に調査した藤原真由美弁護士は「秘密漏洩事件は、事件自体が『秘密』にされてしまう危険が常に在る。宮沢さんは、暗黒裁判で重罪にされた。秘密保護法案も軍機保護法と同じく、『保護に値する秘密』なのかどうかを、第三者が検証出来る仕組みが無い。」と指摘する。
秘密保護法案では、外交・防衛・スパイ活動・テロ活動の防止に関わる情報を「特定秘密」と指定し、漏洩に最高10年の懲役刑を科す。問題は、軍機保護法と同じく、行政機関が勝手に秘密を指定し、其れを検証する手段が無い事だ。
藤原弁護士は訴える。「国が表に出したくない情報を何でも『秘密』に指定し、其れを口にした市民が逮捕される。秘密保護法が制定されてしまえば、そんな社会が遣って来る危険性が在る。宮沢さんの悲劇を教訓に、軍機保護法の再来を許してはならない。」。
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「全くのナンセンス」を始めとして、当ブログでは此れ迄に何度か、「特定秘密保護法案」の危うさを指摘して来た。国家の安寧を保つというのは重要な事で、其れを“明々白々に”妨げる事物や人を取り締まる事は否定しないが、「時の権力者が法律を“悪用”し、自身にとって『不都合な事実』を報じる事を、『日本の安全保障に支障を与える特定秘密を漏らした。』と“拡大解釈”して封じ込める。」事が在っては絶対にならない。
「そんな馬鹿な事が起こる訳が無い。」と“無根拠に”一笑に付す人は、余りに無知だと思う。古今東西の歴史を顧みれば、為政者が法律を悪用した例は枚挙に遑が無く、歴史から何も学ばない(乃至は学べない)人は、暗愚でしか無いだろう。又、危うさを感じていても、何事も無いかの様に装っている人達は「部屋の中の象」で在り、歴史から何も学べない人達と変わりが無いと思う。
国が国民に不利益な事を国家機密にし内部の人が義にかられ世間に発表したら罰せられる
美しい国では道徳心の有る人は犯罪者なんですかね
安部ちゃん政権はこれからも国民からは権利を剥奪して義務だけを押し付けるんでしょうね
「安倍首相は、戦争をしたがっている。」とする人も居ますが、流石に其処迄は思わないものの、彼が「自分に対して批判的な人物等を、徹底的に排除しようとする気質。」を有しているのは強く感じますし、「秘密保護法案」が成立し、其れを悪用する事で、“結果として”戦争等の最悪な事態に到る可能性は否定出来ないと思います。
「美しい国」を口にし乍ら、安倍政権が推し進め様としている事柄の多くは「統制国家への道」に繋がっている気が。強大な権力を有する「国家」。其の暴走を食い止める方策を、先人達が必死で考えて来たというのに、安倍政権の遣っている事は、其の逆の方向許り。「そんな事、在る訳が無い。」と、“無根拠に”捉えている人が少なく無い様な気がして、不安を覚えます。
大体が国家が国民に秘密にしなければならないのは、自国民を信用していないということでしょう。自国民を信用しないでどんな美しい国が作れるのでしょう。
安倍政権が取り戻そうとしているのは、帝国憲法を有し天皇を元首にいただく、昭和20年以前の日本の国家像にしか思えません。
先進列強に伍するためを口実に財閥は巨万の富を蓄え、一部エリートだけが優遇され、大多数の国民は使い捨ての労働力としか見ていなかった時代でもあります。安倍政権が模索する労働特区法案にもそれが現れていますね。
ひところマスコミで「ねじれ国会」が悪のように表現されていましたが、参議院が本来の機能を果たせなくなっているこの時代、ねじれがなくなり1党支配が強まると、大政翼賛に近い怖さがあるのにほとんどの人たちはそれに気が付かない?
この前麻生副総理がうっかり口を滑らせたごとく、この状況は第一次大戦後にナチスが台頭してきた頃のドイツに似ている気がします。
古来戦争大好きで戦争を始めた国家は多くないと思います。少なくとも口実は自国民を外圧から守るためであったり、自国の平和と繁栄を確保するためであったり、いま安倍政権が口にしていることと変わりがありません。だがいったん戦争に傾くと国民の大多数は権力者の盾に使われるのが歴史の事実でしょう。
こんなことを書いていると、いつか「非国民」扱いされるかも知れませんね。怖い時代に突入したようです。
悠々遊様の今回の書き込み、全く以て同感です。「自国及び自国民の為、止むを得ず戦争に踏み切った。」と、古今東西の為政者達は開戦に到った口実を口にして来た。中には「何の落ち度も無いのに、外部から攻め込まれ、戦わざるを得なかった。」というケースも無くは無かったと思うけれど、其の殆どは「自国を豊かにする為には、他の国がどうなろうと知ったこっちゃない。」といった、エゴの部分が大きかったのではないかと。
開戦すれば、真っ先に死に晒されるのは末端の人々。“上層部”は常に安全地帯に身を置き、敗戦に到っても責任逃れに汲々としたり、酷い場合には戦争責任を問われなかったりもする。
麻生副総理の件の発言(http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-e31f.html)に関しては、当ブログでも取り上げようかとは思ったのですが、結局は見送るに到りました。「ナチスを賛美している。」という自分としては一寸方向違いに思える批判が起こり、其れに対してネット上を中心にした「揚げ足取りに過ぎない!」とか「麻生さんを虐めるな!」といった此れ又方向違いな批判(ネット住民と呼ばれる人達の批判というのは、其の殆どが“同時期に一斉に”、そして“殆ど同じ内容”で為されるのが、理解に苦しむ。言いたい事が在るならば、何処ぞに載っかった文章を其の儘“コピペ”して送るのでは無く、自分1人で考え抜いた事を、1人で行動に移せば良い。1人では何も出来ずに、尻馬に乗ってわあわあ騒ぐだけというのは、とても“美しい国の国民”がする事では無いと思うのですが。)が巻き起こり、訳が判らない状態になっていたので。
問題なのは「ナチスを賛美している。」という事では無く、「憲法は、或るる日気付いたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気付かないで変わった。彼の手口学んだらどうかね。」の部分、即ち「誰も気付かないで変わっていた。」というのを良しとする思考だと思うんです。昔、選挙の際、「国民は(投票せずに)寝ていれば良い。」と言い放った首相が居ましたけれど、此れに通じる「国民なんか、どうでも良い。」という思考を根底に感じましたので。
「憲法本体の改正が難しそうになったら、(憲法改正に関する)国会の発議賛成数の緩和を目指す。」、「集団的自衛権を遂行する為に、法を都合良く解釈してくれる人間を抜擢する。」、「他の成人規定との整合性を図る為、時間を掛けて検討しなければいけないとしていた筈なのに、安倍首相は若い世代に人気が在るという理由からか、憲法改正に関する国民投票の投票年齢を18歳に下げる事を急ぐ。」等、安倍政権は「王道」では無く、常に「脇道」を探る遣り方が目に付きます。真っ当に試験を受けず、常にコネを使って潜り抜けるかの様な遣り方が、果たして問題無いのか?