「板書をスマホで撮影する大学生が増加 カンニング事例も続々」という記事を元に、(まめ)たぬき様が「さもありなん」という記事を書いておられる。
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「板書をスマホで撮影する大学生が増加 カンニング事例も続々」(11月8日、NEWSポストセブン)
スマホが普及し始めた数年前から、大学で教える教員の間で「板書をノートに書かずスマホで撮影する学生」の存在が度々話題になっている。最近では、レポートをスマホで撮影して画像で送信する学生も出現している。
「出先だったのでPCが無いから、スマホで画像にしてメール送信したと話していました。そういう出し方をし様と思い付いた事に驚きましたよ。でも、画像だと真面に読めなかったらしくて、後日、レポート提出した講義の時に先生から、『画像だと読めないので、今後は画像で送らない様に。』と受講生全員へ向けて注意喚起されました。」。(都内の女子大学生)
最近ではビジネス向けにプレゼンやミーティングでの板書を撮影するとPDF化出来るスマホ・アプリ等、手書きメモを取らない事を目的としたツールも多い。其れでも、学習の場面ではノートへ手書きする方が理解を深め、習熟を高めるには効果が高いと言われている。神奈川大学非常勤講師で情報処理を教える尾子洋一郎さんも、「講義の内容を学ぶには、矢張り板書は手書きでノートに纏めた方が効果が高い。」と言う。
「定期試験の終了直後、受講生にリアクション・ペーパーを書いて貰うのを恒例にしていますが、『ノートをきちんと取っておけば良かった。』という感想が、毎回在ります。板書をノートに纏める事で学べる様、工夫していますし、其の内容さえ理解出来ていれば大丈夫な問題許りなので、テストで思う様に答えられなくなって初めて、ノートに纏める重要性を実感するのでしょう。其れでも毎年、似た様な感想を書く学生が居ます(笑)。僕の講義では、情報処理のテクニックだけで無く、アナログとデジタル、各々の有用性を実感して学んで欲しいと思っています。」。
しかし、ノートに手書きでま纏める方が効果的と判っていても、思わず写真に撮ってしまう様な状況も存在するという言い分も在る。
「パワーポイントで作ったスライドを、物凄いスピードでどんどん切り替えられると、手書きノートで追い付くのは無理です。チョークで黒板に書く板書だって、同じ場所に書いては消し、書いては消しを素早く繰り返されたら追い付けない。講義を休んだ友達に頼まれて、スマホで板書を撮って送る事も在ります。折角、便利な道具が在るんだから、スマホを使いたくなりますよ。」。(都内の文系大学生)
学生からの授業評価を実施し、大学と雖も、教員の授業方法を見直すのが今では当たり前となった。
其の為、前述の様な板書を記録し辛い授業は減り、代わりに資料を配付される事が多くなっている。此の配付資料を読み込みさえすれば、手書きでノートに纏める骨を自分で編み出さずとも、学生は学ぶ内容を理解し、テストも通過出来る様になっている。
ところが、此の懇切丁寧な資料を、スマホで悪用する場面が出現している。或る私立大学の大学院生は、定期試験の監督補助に就いた時、試験どころでは無い騒ぎに遭遇した。
「ノート代わりの資料を全てスマホで撮っておいて、机の陰にこっそりスマホを置いておき、カンニングしていました。此の手口を使うのは、留学生に多いという話です。留学生の間で教え合って、広まった様ですね。試験監督に見付かり、教務から全ての単位が取り消されますとルールを告げられたら、留学した事全てを打ち壊すのかと全身全霊で大騒ぎされて、大変でしたよ。」。
カンニングの様なルール違反は論外だが、手軽に記録出来るスマホで撮影する行為は、今後も無くならないだろう。OCR(光学文字認識)機能も向上しており、益々便利になるのは間違い無い。Apple WatchやRing、SmartBandやGoogle Glass等、ウェアラブル端末が普及する未来には、学習や記録の為に、どの様な行動が見られるだろうか。
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自身の経験からも、手書きは記憶力や理解力を高めると思う。だから、板書をノートに手書きするのは重要と思う一方で、「学生時代、物理の教師が延々と板書していて、書き写すのが大変だった事や、其れで物理が嫌いになってしまった事。」を考えると、「パワーポイントで作ったスライドを~」とスマホを使う学生の思いも判らないでは無い。
又、カンニングが良く無い行為なのは当然だが、科挙が行われていた時代からカンニングは存在しており、結局は「取り締まる側と取り締まられる側とが、“新技術を用いたカンニング”を巡り、鼬ごっこをしている。」という構図は、何時の時代にも存在するという事なのだと思う。
で、今回の記事で取り上げたかったのは、(まめ)たぬき様が書かれていた次の一件。
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まあ、笑い話みたいですが、若手教職員にも、「欠席連絡の電話を受ける。→ワードを立ち上げる。→ワードで文章を作成して出力。→伝える相手の机上に、出力した文書を置く。」という事をやってる奴がいるくらいなんですよね。(私は現場を見た事無いんですが、目撃談を聞きました。)
「手書きメモを作る力」をつけないといけないんでしょうねえ。
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電話で受けた欠席連絡を、手書きメモにすれば直ぐに済む事なのに、態々ワードを立ち上げて文章を作成するというのは、一体何なのだろうか?“良く解釈すれば”「字が汚いのを自覚しており、手書きメモだと、相手が読み間違えをしてしまうかもしれない。」という事なのかもしれないが、「無意味な仕事を、態々作っている。」様にも感じてしまう。
以前、「目の前に相手が居るというのに、終始無言で携帯電話で相手にメールを送り合い、ニヤッと笑ったりしている親子をファミレスで見掛け、何とも不気味に思った。」という経験を書いたが、手書きのメモで済む事を、態々文書にするというのも、似た様な思いがしてしまう。
試験範囲を写メした生徒のほうは納得いく
(紙と違ってうっかり紛失の心配がないってのもありますんで。)
のですが
これ聞いた時には「アホや」と思いましたよ。
消費電力・使用する紙の節減を管理職は口うるさく言う割には
下っ端を指導する気がない(そんなことに思いが至らないのかもしれませんけど)
ってことも含めて、ですが。
(まめ)たぬき様の今回の記事、驚きと共に考えさせられる内容でした。