例年以上にビッグネームの引退や自由契約が目立つ球界だが、昨日の報道で心の琴線に触れる一人の選手の名前を目にした。「芝草宇宙投手が自由契約。」
1987年の高校野球は、帝京高校の彼と常総学院の島田直也投手が女性人気を二分していた。*1両投手のイニシャルを取って、「SSコンビ」という呼ばれ方もしていた。その年のドラフトで芝草投手は6位、島田投手はドラフト外の形で共に日本ハムファイターズに入団。*2島田投手は3年間の在籍の後、「大洋ホエールズ→ヤクルトスワローズ→大阪近鉄バファローズ」を経て、2003年で引退。現在は北海道日本ハムファイターズの打撃投手を務めている。
そして、日本ハム一筋で現役を続けていた一方のS、芝草投手が、選手生命の岐路に立たされたという事になる。あの芝草投手がもう36歳という事実に、時の流れの速さを改めて感じてしまった。正直な所現役続行は限りなく難しいだろうが、1つ上には今年大活躍した下柳剛投手が居るし、6つ上には次々と球界最年長記録を塗り替えて行っている工藤公康投手も居る。甲子園を沸かしていたあの頃を思い出して、もう一花咲かせてくれる事を、当時を知る者として期待している。
*1 1987年の夏を大いに沸かし、その年にプロ入りした選手達の顔触れが此処に載っているが、唯々懐かしいの一言。そして、此処の1987年の項を見ていて気付いたのだが、島田投手が3年の時に、同じ常総学院の1年生として仁志敏久選手が在籍&甲子園出場していたという事実。仁志選手が常総学院出身なのは知っていたが、島田投手よりはもっと下の年齢かと思っていた(^o^;;;。
*2 ドラフト会議と言えば、思い出すのはパンチョ伊東氏。妙なイントネーションと粘っこい言い回しが堪らなく好きだった。この人が真骨頂を最大限に発揮するのは、ドラフト指名された選手の名前を説明する時だったと思っている。
芝草投手の時には、「芝草宇宙(しばくさ・ひろし)投手。ひろしは宇宙、大宇宙、コスモス。」と説明していた。
そして、何よりも印象に残っているのが、1976年にタイガースが1位指名した益山性旭投手の名前を説明した時の事。この時は、ひたすら大爆笑してしまった事を覚えている。
「益山性旭(ますやま・せいきょく)投手。性旭の「性」はセックスの性。」
あのパンチョ節が何とも懐かしい。因みに、此処に寄せられた情報によると、益山性旭氏は大阪の十三で「本陣」という焼き鳥屋を営んでおられる様だ。
1987年の高校野球は、帝京高校の彼と常総学院の島田直也投手が女性人気を二分していた。*1両投手のイニシャルを取って、「SSコンビ」という呼ばれ方もしていた。その年のドラフトで芝草投手は6位、島田投手はドラフト外の形で共に日本ハムファイターズに入団。*2島田投手は3年間の在籍の後、「大洋ホエールズ→ヤクルトスワローズ→大阪近鉄バファローズ」を経て、2003年で引退。現在は北海道日本ハムファイターズの打撃投手を務めている。
そして、日本ハム一筋で現役を続けていた一方のS、芝草投手が、選手生命の岐路に立たされたという事になる。あの芝草投手がもう36歳という事実に、時の流れの速さを改めて感じてしまった。正直な所現役続行は限りなく難しいだろうが、1つ上には今年大活躍した下柳剛投手が居るし、6つ上には次々と球界最年長記録を塗り替えて行っている工藤公康投手も居る。甲子園を沸かしていたあの頃を思い出して、もう一花咲かせてくれる事を、当時を知る者として期待している。
*1 1987年の夏を大いに沸かし、その年にプロ入りした選手達の顔触れが此処に載っているが、唯々懐かしいの一言。そして、此処の1987年の項を見ていて気付いたのだが、島田投手が3年の時に、同じ常総学院の1年生として仁志敏久選手が在籍&甲子園出場していたという事実。仁志選手が常総学院出身なのは知っていたが、島田投手よりはもっと下の年齢かと思っていた(^o^;;;。
*2 ドラフト会議と言えば、思い出すのはパンチョ伊東氏。妙なイントネーションと粘っこい言い回しが堪らなく好きだった。この人が真骨頂を最大限に発揮するのは、ドラフト指名された選手の名前を説明する時だったと思っている。
芝草投手の時には、「芝草宇宙(しばくさ・ひろし)投手。ひろしは宇宙、大宇宙、コスモス。」と説明していた。
そして、何よりも印象に残っているのが、1976年にタイガースが1位指名した益山性旭投手の名前を説明した時の事。この時は、ひたすら大爆笑してしまった事を覚えている。
「益山性旭(ますやま・せいきょく)投手。性旭の「性」はセックスの性。」
あのパンチョ節が何とも懐かしい。因みに、此処に寄せられた情報によると、益山性旭氏は大阪の十三で「本陣」という焼き鳥屋を営んでおられる様だ。
甲子園で活躍した選手はどうしても当時の印象が強くて、「ベテラン」と呼ばれる年齢になったのに気づかないことが私もあります。
芝草はそのいい例ですね。私も関西人の性で、彼が甲子園に出ていた時には「東京の高校生」ということで憎たらしかったのですが(^^;)、それも遠い昔のことになってしまったんですね……
なかなか次の球団を探すのは難しいでしょうが、それでももう一花咲かせてほしいな、と思っています。
それにしても、「ひろしは宇宙、大宇宙、コスモス。」って(笑)コスモスと言われてかえって混乱した方もいたのでは?
SSコンビという呼び名なつかしいですね。
芝草どうなるのでしょう?
今日は高木大成の自由契約が新聞で報道されていました。
「甲子園の星」等雑誌でもかなりアイドル的な存在でしたよね。懐かしい・・。
下柳投手の阪神移籍後の活躍はすごいなと思っています。この前も、最多勝をかけて10回を投げぬき、見事サヨナラ勝ちで1勝をつかみました。
年齢的な問題はやはり否めませんが、新天地での新たな活躍を願っています。
今年は一軍でお目にかかることが大変少ないので(イースタンはなかなかチェックできず)もしやと思ってましたが、やはり来ました戦力外。
緑のグラブと、出囃子がオートレースの歌が記憶に残ります(オートレースは関西ではなじみの薄いギャンブルともいえます)。
監督とあわなかったのでしょうか。
それはガンちゃんにも言えることで。
もう一花咲かせて欲しい人たちです。
大リーグ中継でのあの独特のイントネーションは、
今でも耳に残って居ます。
「こぉんせぷしぉ~んは凄いですねぇ」
かつては男の子の殆どがそうであったように、
私も野球小僧でありました。
少年野球チームに属しベンチウォーマーの名を欲しい侭にしておりました。
「巨人の星」
「侍ジャイアンツ」
「男ドアホウ甲子園」
などのアニメにも多大なる影響を受けました。
野球に興味を失うようになったのは、
いつのことだろうと振り返るに、
長島引退あたりからでしょうか?
巨人至上主義的なV9以前の風潮よりも、
セパ乱立の今の方が断然面白くて然るべきなのに、
日本人大リーガーが活躍する姿がようやく現実となったというのに、
なぜがプロ野球を観たいとも思いません。
どうしてなんだろう?
高校野球は、プロと違って、一生懸命さが伝わるところが好きですね。芝草投手もこれからももっと活躍して欲しいです
世代間の違いを取り上げる際、バブル前とバブル後といった分け方をしたりしますよね。それと同じで、ドラフトも「逆指名制度前後」という捉え方の他に、「パンチョ伊東氏前後」というのが在ると思います。今以上に会場の空気が張り詰めていたものの、彼の独特のキャラによる和みも在った時代と言えるかもしれません。
Tempelh of様と同様に、自分も野球漫画(というよりもスポ根物といった方が馴染みが深いのですが。)に熱中していました。根っからのジャイアンツ・ファンですので、必然的に「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」に魅せられ、今考えると恥ずかしいのですが、真面目に分身魔球やハイジャンプ魔球を投げようと練習していたものです(笑)。(もっと古い話だと、幼稚園の頃剣道を習っていた関係で、赤胴鈴之助の真空斬りを公演で練習していた恥ずかしい過去も(^o^;;;。)ああいったスポ根物を見ていた関係で、野球への思いが並々ならぬものになっていった部分は在ると思っています。
Tempelh of様はプロ野球に惹かれないとの事ですが、それはやはり言われ尽くしている事ですが、趣味嗜好が多様化して来た事も在るのではないでしょうか。思えば自分が子供の頃は、サッカーやバスケットはマイナーな存在でしたが、今は違いますよね。それと、サッカー等の様に世界的な大会が”定期開催”されていなかったというのも、大きく影響している様に思います。
完全にポカミスです(^o^;;;。失礼致しました。早速、記事内の当該箇所を訂正させて戴きます。
今後とも宜しく御願い致します。