菅義偉官房長官は一昨日の記者会見で、「首相主催で、毎年春に新宿御苑で開かれる『桜を見る会』を、来年度は中止する。」と発表した。桜を見る会に関しては、「安倍政権下で参加者が増え続け、費用が膨らむ一方の実態に予算を合わせるという“帳尻合わせ”が行われていた。」事に加え、「『各界で功績&功労の在った方々を招待して慰労する。』という目的の会なのに、今年は安倍首相の支持者約850人が招かれていた等、招待される基準が好い加減だった。」事が明らかとなり、「巨額の血税を投入したイヴェントが、こんな好い加減な形で行われて良いのか?」、「自分の支持者を血税で接待している訳で、此れは買収行為に当たるのではないか?」等、批判が高まっていた。
問題が明らかとなった当初、安倍首相は「会の招待者選択に、私は一切関与していない。」と大見得を切っていたが、自身の支持者が約850人も招待されていたのに、全く関与していないというのは信じられなかった。以降、自身の後援会が支持者達に「桜を見る会」への出席を募る連絡が行われていたのが明らかとなり、「もう誤魔化し続けられない。」と中止を決めたのに違い無い。「私が中止を指示しました。」と安倍首相は偉そうに言っていた(記者の質問に答えるという事だったけれど、謝罪は全く無く、来年度中止する事だけを一方的に告げ、ぷいっと横を向いて去っていた安倍首相。彼にとって「謝罪=負け」という幼稚さが、子供の頃からずっと在るのだろう。)が、「中止を決めさえすれば、馬鹿な国民は全てを忘れる。」という計算が感じられる。「泥棒自身が、『全国の泥棒に盗みを止める様、私が指示しました。』と言っている様な物。」で、笑止千万以外の何物でも無い。
自民党の三原じゅん子議員が、「5年前の桜を見る会に母親や叔母等が招待された事に関し、玉川徹氏や青木理氏が『どういう功労が在るんだろう?』と指摘した。」事に付いて、「許し難い侮辱発言で在り、厳重に抗議します。」と打ち切れたそうだ。議員になって以降、「議員しか住んではいけない議員宿舎に両親を住まわせ、自分は男性秘書のマンションで同棲していた。」等、公私混同が目立つ彼女。安倍首相の言動を盲目的に支持し続ける等、「此の人、大丈夫?」と思う事が非常に多かったが、今回の打ち切れには呆れ果てるしか無い。巨額の血税を投入したイヴェントで在り、「各界で功績&功労の在った方々を招待して慰労する。」という御題目が在る以上、“具体的な功績&功労がさっぱり判らない彼女の身内”が招待されたのだから、「どういう功績&功労が在るんだろうか?」と疑問を持つのは当たり前の事。「不都合な事を誤魔化す為、意図的に“論点”の掏り替えを図った。」という事だろうが、本当に問題点を理解していないのだったら、「頭が悪い。」としか言い様が無い。
民主党政権に問題が少なく無かった事は、過去に何度か指摘して来た。「国全体で子供を育てる。」という考え方等、評価出来る面が無かった訳では無いけれど、「駄目だなあ。」と感じる事が多かったし。10月の記事「民主党政権の失策の1つ」でも指摘した様に、無駄としか思えない「桜を見る会」を廃止しなかった事も、そんな1つだ。
今回の問題を野党が追及する姿勢を見せると、「民主党政権時代も、桜を見る会を主催していたではないか。“政権枠”で招待者を決めていただろうし、又しても批判が“ブーメラン”として、自身に跳ね返って来る事になるのでは?」と揶揄する声が上がっている。確かに民主党政権でも桜を見る会は主催されているし、“政権枠”で決まった招待者が存在した事を、旧民主党関係者も認めている。約3年間で1度だけ(2010年)で在り、“政権枠”での招待者数も(約850人と比べると)格段に少ない様では在るが、した事は事実で在り、批判されるのは当然と言える。
でもだ、こういう「ブーメラン、ブーメラン。」と面白おかしく騒ぎ立てる人の多くは、大事な事を見落としていると思う。“過去の事”で在っても、起こした問題は批判されるべきだし、忘れてはいけないが、だからと言って“今の問題”が、看過されて良い事にはならない。「民主党政権は最悪だった。其れに比べると、今の政権は未だ増し。」として、安倍政権を支持し続けている人が居るけれど、「過去の政権と今の政権を比較し、其れよりも増しだから。」というのでは無く、「今の政権が起こしている問題は、国を危うくさせていないのか?危うい所が在れば、徹底的に追求して改善させる。改善しない様で在れば与野党を含め、より良い人物が首相に選ばれる様な方向に持って行く。」事が、国民としてすべき事だと思う。
はっきり言って、安倍政権は異常だ。「森友学園問題」や「加計学園問題」、「大臣の相次ぐ不祥事&辞任」、「桜を見る会問題」等々、安倍政権下で発生して来た問題の殆どは、“安倍首相の常軌を逸したレヴェルの御友達重用”に原因が在るのは間違い無い。「自分を盲目的に支持し、『安倍ちゃん凄い!!』と持ち上げてくれる人達。」で回りを固めないと不安で仕方無いという幼稚さが、安倍首相には在る様に思う。だからこそ、自分に少しでも異を唱える者は“こんな人達”で在り、排除して構わない存在と、彼は考えられるのだ。「全ての国民を守る。」というのが首相の責務の筈なのに、彼の中では「国民=自分を盲目的に支持してくれる人だけ」で在り、そんな人達を重用する事が首相の責務で、其れ以外の者はどうでも良い存在なのだろう。
彼の言動からは、そういう思いが強く透けて見えるというのに、気付いていない、又は気付いているのに敢えて目を逸らしている様な人が結構存在している。気付いていない人は「無知さ、思考力&想像力の乏しさ。」が、そして、気付いているのに敢えて目を逸らしている人は「安倍政権で利益を得ていたり、『一度信じた事を自身で否定する事は、自分自身を否定する事になる。』とでも思い込んでいる頑迷さ。」が影響しているのではないか。
「ああだこうだ批判しても、自分や自分の身内が桜を見る会に招待されたら、普通に喜ぶでしょ?」と言う人が居る。そういう無定見な人も存在するだろうが、少なくとも自分は出席しない。こういう形で限り在る血税が使われるのは絶対におかしいし、そんな事に投入するので在れば、本当に困っている人達に使うべきと思うので。「駄目な事は、誰で在っても駄目。」で在り、「自分や自分が好きな人にとって利益になる事は許されても、他の場合は許されない。」という一貫性の無い考え方は、此の国をどんどん傾かせて行くだけだ。