当ブログで初めて“新型コロナウイルス”に付いて触れたのは、今年1月29日の記事「ズバリ聞きます!(63)」でだった。「中国・武漢で新型コロナウイルスによる肺炎が大流行し、チャーター便で帰国する邦人に関する記事。」で、此の時点で“日本国内で新型コロナウイルス感染拡大を懸念する声”は余り無かった様に思う。中国以外の国では「新型コロナウイルスが大流行している様だけれど、中国国内の問題に過ぎない。」、そんな意識を持つ人が多数だったのではなかろうか。
けれど、以降は世界中で、新型コロナウイルスの感染が急拡大して行く。日本も例外では無く、「“3密”を避ける。」という理由から、人が集まるイヴェントは次々と中止に追い込まれた。花見のイヴェントが無くなり、夏祭りや花火の中止が次々と報じられている。秋祭りも学園祭も、恐らくは中止となるだろう。仕方無い事とはいえ、「此の手のイヴェントが大好きで、毎年、何ヶ所も足を運んでいる自分に。」とっては、何とも詰まらない1年になりそう。
こういう息苦しい日々、一体、何時迄続くのやら。“終わり”が全く見えない事が、息苦しさを更に増している。「不安を全く感じる事無く、心から楽しんで花見をしたり、夏祭りや花火、秋祭り、学園祭等に行ったりする日々。」が、来年は訪れるのだろうか?
感染しても無症状のまま免疫が獲得できれば、このまま無策でも言うことなしですが、重症化率が0.1%でもあれば感染者1000人に1人は命の危機に曝されるわけですから、「自分は大丈夫」なんて能天気な人がいると怖いですね。
免疫獲得も一時的なものかもしれないなど、分からないことがまだ多いウイルスですから、油断はできません。
しかし、コロナで死ぬ確率が高いか、経済停滞からの貧困で死ぬ(自殺等)確率が高いか、という話になると、ここまでくれば自粛とばかり言っていられないのかな、と気持ちが揺らぎます。
全く仰る通りです。一般的なウイルスの場合、感染しても完治すれば免疫が出来、再度感染する事は無い(若しくは感染する可能性は低い)のですけれど、新型コロナウイルスの場合は感染して完治した場合でも、無症状者も含めて数か月内に(確か)5%程度の免疫力が減じている事が判明する等、どうも此のウイルスは“従来の常識”が通用しないのが、不気味さを増させますね。
“共生”という概念が在りますけれど、新型コロナウイルスも共生せざるを得ない存在なのかも知れません。本当に厄介です。