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「俳優の中山仁さん死去 77歳 ドラマ『サインはV』、『ウルトラマン80』等」(11月11日、スポニチ)
TVドラマ「サインはV」等で知られる俳優の中山仁さんが10月12日午後5時25分、肺腺癌の為、東京都内の自宅で死去した。77歳。東京都出身。
11日、所属事務所が発表。「故人の遺志により、『葬儀、御別れ会はせず、特に逝去した事も公表せずに。』との事でしたが、御家族と相談の上、1ヶ月経ちました本日、御報告をさせて戴きます。長きに亘り、御支援戴きました事に、心より感謝申し上げます。」とした。
早稲田大学を中退後、1964年に文学座養成所に入所。其の後、劇団「NLT」を経て、1968年に三島由紀夫氏等と浪曼劇場を設立した。
1965年、フジテレビ「乱れる」でデビュー。1969、TBS「サインはV」で御茶の間の人気者になり、鬼コーチの代名詞となった。
其の後も「七人の刑事」、「ウルトラマン80」、「付き馬屋おえん事件帳」等、多岐に亘るジャンルのドラマで活躍した。
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先日再放送されたドラマ「浅見光彦シリーズ31 喪われた道」を見たのだが、中山仁氏が出演されていた。11年前に放送された作品とはいえ、御元気な姿を拝見した許りなので、今回の訃報には驚かされた。
数多くの出演作を持つ彼だが、個人的に一番印象深いのは、矢張り「サインはV」での牧圭介役だ。“スポ根ドラマ”の走りと言っても良い此のドラマで、鬼コーチ役を演じていた彼だったが、“正統派の男前”という感じで、其の雰囲気は晩年も変わらなかった。合掌。
「葬儀、御別れ会はせず、特に逝去した事も公表せずに。』と、中山氏は言い残していたと言う。昔・・・と言っても、もう大昔になるだろうが、「芸能人が亡くなると、大々的に葬儀及び御別れ会が行われる。」のが一般的だった。葬儀の場には森繁久彌氏や森光子さん、長門裕之&南田洋子夫妻といった面々が必ずと言って良い程参列し、口の悪い連中は「彼等は常に喪服や数珠、香典袋等を持ち歩いているのでは?」と言っていたりした。
でも、最近は「身内だけで葬儀を済ませ、御別れ会も行わない。」、「一定期間、亡くなった事も公表しない。」という形が増えて来ている様に思う。「静かに済ませたい。」という思いを持つ故人、又は遺族が多くなっているのだろう。そういう思い、個人的には凄く理解出来る。
以前に書いた事が在ると思うが、もうウン十年も昔、祖父の通夜で不快な思いをした事が在る。通夜が始まる前、“控えの間”とした自宅の一室に、祖父の大学時代の同級生が5人座っていた。超一流企業の会長を務めた人物等、輝かしい経歴を持つ彼等だったが、大声で笑って話をする等、遺族の1人として其の不謹慎さに怒りを覚えたもの。又、「こんな“御付き合い”で参列している様な連中が少なく無いなら、葬儀なんて身内だけでひっそり行う方が良い。」とも思った。
良い年になった今なら、「当時の彼等は、自身が“死”という物が“遠い存在”では無かったので、ああいう“同窓会的雰囲気”になってしまったのだろうな。」と理解出来たりするが、「こんな“御付き合い”で参列している様な連中が少なく無いなら、葬儀なんて身内だけでひっそり行う方が良い。」という思いは、今も全く変わらない。「自分が死んだ際は、静かに済ませて欲しい。坊さんも戒名も要らない。身内が手を合わせてくれた後、火葬場で焼いて貰い、後は墓に骨を納めてくれれば良い。(本音を言えば、散骨でも構わないとも。)」というのが、自分の思いだ。
死が身近な歳になってきているので、家族には直葬でよいし、出来れば海に散骨してほしいと常から言っています(苦笑)。
残る家族に、いろんな面で過大な負担はかけたくないですからね。
若い頃、親せきや会社の関係先の葬儀に行くたび、控えの場所などで談笑している参列者を見ては、「遺族は悲しみにくれているだろうに、なんと無神経な人たちだろう」と、憤っていたものです。
ある時とうとう我慢しきれず、あとで年配の知人にそんな話をしたところ、「遺族が悲しんでいるところに、同じように暗い顔をしていては、余計落ち込んでしまうだろう。ご家族の気を紛らすために、わざと明るい雰囲気を作っているってこともある。外国ではお祭りのような葬式もあるらしい」。
そんなものかなあと、当時の私は丸め込まれたような気分がしたものです。
しかし、実際に母親の死で喪主をやった時には、周囲すべてが暗い顔をしているより、多少の軽口や笑いがあったほうが、気がまぎれるというのを実感したものです。
ま、その場の雰囲気や話の内容にもよるとは思いますが・・・。
父親が墓を購入しているので、自分が守って行かなければいけない訳ですが、本音を言えば悠々遊様同様、「直葬→海への散骨」というのが良いです。後に残った人達に煩わしい思いをさせたくないし、何よりも拝金的なシステムが嫌なので。
御年輩の知人の方の御話、そういう考え方も在るのですね。確かに余りにも暗い雰囲気だと、遺族も余計落ち込んでしまうかも知れません。唯、其れにしても“最低限の配慮”は必要でしょうね。
11月9日は眉村卓さんのお葬式に参列して来ました。眉村さんには長年にわたりご厚誼をいただき、作家とファンという関係以上のものだったと自分では思っています。
もし、眉村さんのご葬儀がなければ、私自身、たいへんさみしく、けじめがつかない気分だったでしょう。最後のお別れから、ご出棺までお見送りしましたので、ある程度はけじめがついた気分です。
義理での参列、故人にとっても、又参列しなければならない人にとっても、楽しい事では無いでしょうね。
眉村卓氏の葬儀に参列されたとの事、長く御付き合いされたごろりん様にとって非常に悲しい時間だったでしょうが、同時に感謝を直接伝えられ、色んな意味でのけじめが付けられた有意義な時間だったと思います。