全員がそうとは言わない。でも、少なからずの人が、そうなると聞く。「重い認知症に罹患した人は、攻撃的になる。」という事をだ。「認知症に罹患する前は非常に穏やかだったのに、罹患後は激しい暴力を振るう様になった。」という話も、結構聞いたりする。
実際問題、定年直後に認知症を罹患した父方の祖父も、罹患後は感情の起伏が激しくなったと言う。罹患前は、そういう所が全く無かった人だったのに。
認知症に付いて詳しく知っている訳では無いので、頓珍漢な考えかも知れないが、「『人が本来持っているけれど、“理性”というストッパーで抑え込んでいた物。』が、認知症に罹患する事で外れてしまうのではないか。」と思ったりする。詰まり、「人は誰しも、大なり小なり“暴力的な本能”を有しているけれど、理性というストッパーで抑え込んでいる。でも、重い認知症に罹患すると、其のストッパーが外れ、暴力的な面が全面に出てしまう。」様な気がするのだ。
母方の祖父の伯父には、“賢婦人”と評判の連れ合いが居たそうだ。常に身綺麗にしていて、典型的な夫唱婦随の関係。食べ物が目の前に在っても、夫が手を付ける迄は、一切手を付ける事が無い人だったと。
そんな伯父夫婦が高齢になった時、祖父はカステラを手土産にして、自宅を訪問した。伯父夫婦に挨拶をし、カステラを差し出した所、伯母が目の前で包装紙をびりびりと破り、カットされているカステラを摘まみ上げ、ぱくぱくと食べ始めたそうだ。皿に移す事無く、又、伯父が手を付ける前に。
其の光景が、余りにもショックだったのだろう。帰宅した祖父は母に、「あんな伯母さんでは無かったのに・・・。」と話したと言う。
恐らく其の伯母さんは、認知症を罹患していたのだろう。食欲という本能を、「夫よりも先に食べてはいけない。」という理性のストッパーで抑え込んでいたのではないか。
以前テレビか何かで脳神経関係の学者先生が言っていたのを思い出しました。
「人間の脳にはいくつかの層があって、一番中心にあるのが生命維持にかかわる脳幹部。
それを取り巻くように本能を司る脳があり、私たちはそれを恐竜脳といいます。
さらにその外側にも層があり、最後に大脳皮質がありますが、それこそが人間を人間たらしめている理性脳なんです。
脳幹も恐竜脳も、生きていくうえで必要不可欠なんですが、最後に獲得した理性脳が働かなければ、ただの動物になってしまいます」
そんな話だったと記憶しています。
認知症にかかった場合、理性脳がマヒし恐竜脳がむき出しになるのかもしれませんね。
認知症でなくても攻撃的な性格の人は、この恐竜脳が活発な活動をしているのかな。
「恐竜脳」に「理性能」ですか。興味深い存在ですね。イメージ的に言うと、恐竜脳の存在って必要性が無い様に感じてしまいますが、生きて行く上で必要不可欠との事で、「存在している以上、不要な物は無い。」という事なのでしょうね。昔は「存在意義が全く無い。」と言われていた盲腸(正確に言えば虫垂。)だけれど、今では免疫学的に必要な物という説が出て来たのと似ている。