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「アメリカでペットの整形手術が流行の兆し」(7月7日、日刊テラフォー)
皺取り、弛んだ肌のリフト・アップ、歯列矯正、眉毛修正、ボトックス注射・・・何れも御馴染みの整形手術だが、最近は、こんな手術を犬迄もが受ける様になって来ている様だ。
飼い犬の容姿を美しく保つ為に、整形手術を受けさせる飼い主が最近増えて来ているらしい。上記に挙げたポピュラーな整形手術だと、約1万ドル(約100万円)する。
更には、人間の都合で去勢された犬が、自然な姿と自尊心を維持出来る様に、シリコンで作った睾丸を取り付ける事も在ると言う。
カリフォルニア州ロサンゼルスに住むヘザー・ヒューズさんは、飼い犬のドーベルマン「カイサー」に整形手術を受けさせる決心をした。カイサーのチャームポイントのピンと長く尖った耳が、最近ではとてもけちょんとして、パタパタする様になってしまったからだ。
【“カイサー”】
30分間の手術で、獣医はカイサーの耳にメッシュを挿入して、再び耳がピンと立つ様にした。手術のビフォア及びアフターの写真を見ると、確かに耳がピンと立っている・・・様な気もするかなあ・・・。
「本当に、犬に整形手術は必要?」と突っ込みたくなってしまうが、人間と同様に、場合によっては、整形手術をする事で、犬がより健康になると言う。
例えば、オレゴン州に住むダックスフント。オビーは、床に着く程の弛んだ御腹を手術で切除した所、体重は半分になり、肥満から脱する事が出来た。屹度、前よりもずっと走り易くなった事だろう。
他にもイギリスのスマートさん夫妻は、飼い犬ジュニアの狭まり掛けた視界を広げる為に、1万3千ドル掛けてジュニアの顔にリフト・アップ手術を施した。ジュニアの場合は、皮膚の皮が異常に発達して垂れ下がる病気を患っていた。
しかし、医療の為では無く、美容目的の犬の整形手術も多い事とは否めない。ペット専門保険会社の調査によると、2010年には推定250万ドル(約2億5,000万円)がペットの鼻整形に費やされ、160万ドル(約1億6,000万円)がアイ・リフトに費やされた。
特別なケースを除き、ペット保険では整形手術はカヴァーされないし、其れ以前に、多くの獣医が整形手術は行わない。ペットの整形手術に反対している獣医団体は多い。獣医の1人は、「私は、動物達に痛みを強い、回復を待たせ、整形したからといって100%理想の容姿になるとは保証出来ないリスクに晒して迄も、動物達に整形手術を施す価値が在るとは思えません。」と整形手術を否定している。
其れでも、ペット整形手術第一人者のエドガード・ブリトー医師は、「美しくなって、何が悪いのです。ペットが美しいかどうかは、とても重要な事です。ペットが美しければ飼い主は嬉しいし、友人達にペットを見せたくなるではないですか。」と発言している。
此れは、動物虐待には当たらないのだろうか?人間のエゴでしか無い様な気がする。犬達は、本当に美しくなりたいと思っているのだろうか?抑、其の美しさの基準は人間の基準で在って、犬の世界での美しさの基準は違うかもしれない。
其れでも屹度、ペットの整形手術の数は増して行くのだろう・・・。
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8年前、「ペットの整形」という記事を書いた。当ブログでは基本的に、同じテーマは複数回取り上げない様にしているのだが、犬の飼い主としては例外的に、此の話題を取り上げない訳にはいかない。
個人的には「親から貰った身体にメスを入れたりするのは、“必要不可欠な手術”を除いて、絶対に嫌。」なので、整形手術には否定的な立場。もし身内が整形手術を受けたいと言ったら、断固として反対するだろう。でも、「『人間の整形手術』に関しては、するもしないも個人の自由。」とも思っている。整形手術をする事で其の人が前向きに生きて行けるなら、其れは其れで悪くないし、眼瞼下垂等の様に整形手術をする事で体調が良くなるケースも在るだろうから、そういうのも否定はしない。
では、「ペットの整形手術」はどうかとなると、人間の場合と同様に、整形手術を受ける事で明らかに健康に利するならば賛成。上記の場合で言えば、「御腹を手術で切除したオビー。」や「狭まり掛けた視界を広げる為に、顔のリフト・アップ手術を施されたジュニア。」が当該すると思う。
しかし、他のケースは「単に飼い主の自己満足の為だけ」という気がする。「人間の都合で去勢された犬が、自然な姿と自尊心を維持出来る様に、シリコンで作った睾丸を取り付ける。」というのは、「自尊心」だ何だと言って、其れは「飼い主自身の自尊心」を満足させるだけの話で、犬にとっては痛さを感じるだけの迷惑な行為ではないだろうか?
「ペットが美しければ飼い主は嬉しいし、友人達にペットを見せたくなるではないですか。」という意見は判らないでも無いけれど、“わさお君”の様な個性的なルックスも、其れは其れで堪らなく愛らしいと思う。言葉を話せず、自分の意思を人間に伝えられないのだから、人間の自己満足の為だけに犬に整形手術を施すのは反対だ。
最近の日本でも動物をペットではなく「家族の一員」として扱う人が増えていて、それはそれでいい事ですが、行き過ぎると本来人間へ向けられるべき愛情の、満たされぬ愛の代償行為のような気がします。
これは人間相手ならストーカー行為のようなものか。薄気味悪さすら感じます。
自分も愛犬を猫っ可愛がりしている口ですので、悠々遊様の御指摘は耳が痛い限りですが、何事にも限度は必要。過度な愛情は甘やかしでも在りますし、慎まないといけまんせんね。
ペット関連のグッズやサーヴィスの中には、自分も「此れは一寸なあ・・・。」と思う物も在ります。けばけばしい色に被毛を染め上げたりとか、爪にマニキュアを塗ったりとか。
唯、犬を実際に飼う前に「此れは一寸なあ・・・。」と思っていたけれど、実際に飼ってみると「こういう意味合いでするケースも在るんだなあ。」と気付く事も在ったりしました。前に飼っていた犬は御散歩が大好きだったのですが、ホルモン系の病気に罹患して顔を除く被毛が抜け落ちてしまった。それでも御散歩に行きたがるので、其の儘連れて行くと「あんなに毛が抜けているのに、御散歩なんて可哀想。」なんて言われたりする。仕方無く犬用の服を着せて脱毛を判らなくさせると、今度は「服なんか着せて可哀想。」と言われたりも。
日中しか御散歩させられない人の場合、犬に靴を履かせる人が居ます。「過保護だなあ。」と思っていたのだけれど、日中のアスファルトは途轍も無く熱くなっている事が在り、靴無しで歩かせると、犬が火傷する事も。御洒落というのでは無く、犬の健康を考えての靴という面も在るみたいですね。
又、カートですが、此れは自分も使っていました。病気で体力が落ちていても、御散歩はしたがる事が結構在り、可哀想で購入した訳ですが、乗せて歩くと喜ぶんですよね。
当事者でないと、判らない部分っていうのは、結構在りますよね。以前、「(アレルギーだったかで)動物に触れる事が出来ないのだけれど、其れを人に言うと、『動物が嫌いなんて、冷たい人だ。』的な扱いをされてしまい、非常に辛い。」という書き込みを戴き、目から鱗が落ちる思いでした。と言うのも、自分も「動物が苦手。→冷たい人。」という捉え方を、無意識の内にもしていたので。
ペットは「売れる迄に病気になったり、死んでしまったりした場合の補償。」や「売れ残った際の補償。」等が販売費用に転嫁されている面も在りましょうから、或る程度は高くなってしまうのも仕方無いのでしょうが、家の近所に在るペット・ショップで小型の猿が100万円近い値段で売られているのを見た時には、「こんな高額を支払う人居るんだろうか?」と思ったもの。でも、半月もしない内に再訪したら、既に買い手が付いていました。御金って、在る所には在るんですね。