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北マケドニアに暮らす自然養蜂家の女性を追ったドキュメンタリー。第92回アカデミー賞(2020年)で長編ドキュメンタリー賞と併せて国際映画賞(旧・外国語映画賞)にもノミネートされ、長編ドキュメンタリー賞と国際映画賞(外国語映画賞)に同時にノミネートされた初の作品となった。北マケドニアの首都スコピエから20km程離れた、電気も水道も無い谷で、目が不自由で寝た切りの老母と暮らす自然養蜂家の女性は、持続可能な生活と自然を守る為、「半分は自分に、半分は蜂に。」を信条に、養蜂を続けていた。そんな彼女が暮らす谷に突然遣って来た見知らぬ家族や子供達との交流、病気や自然破壊等、3年の歳月を掛けた撮影を通して、人間と自然の存在の美しさや希望を描き出して行く。
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映画「ハニーランド 永遠の谷」を観て来た。此の作品、今年のアカデミー賞にノミネートされた事等も含め、事前に殆ど情報を得ていない状態で観に行った。知っていたのは「自然養蜂家の高齢女性(60歳代?)が主人公の作品。」という事位。
始まって直ぐの映像に、度肝を抜かれてしまった。険しい山の細い道(岩肌が現れ、よろけたら深い谷底に転落してしまう様な細い道。)を自然養蜂家の老女が歩いている姿もそうだが、「側面の岩肌を捲ると蜂の巣が現れ、途轍も無い数の蜂がわっと飛び出して来て、彼女に向かって来る場面。」は、驚き以外の何物でも無かった。蜂が苦手とする煙は炊いていたけれど、蜂から刺されない様にする為の“防具”は、最初全く身に着けていなかったので。後から網で顔を覆ったりはしていたけれど、作品全体では彼女も含め、何も身に着けないで蜂と接していた。だから、蜂に刺される場面も何度か登場。「アナフィラキシー・ショックの心配は無いのだろうか?彼女は高齢だし、怖いなあ・・・。」という思いが。
「自分さえ良ければ、後は問題無し。」というのでは無く、「“資源”を枯渇させない様、自然にも充分配慮した上で、持続可能な生活を送る。」というのが彼女の信条。だから、出来た蜂蜜を全て取るのでは無く、半分を蜂の為に残す。全ての蜂蜜を取り上げてしまえば、蜂同士が“喧嘩”して、全滅してしまう事も在るからだ。
「彼女と寝た切りの母親以外、周りには誰も住んでいない。」、そんな状況だったのだが、或る日、7人の子供と大量の牛を引き連れた家族が、隣に移り住んで来る。最初は彼女と良好な関係に在ったが、彼女から養蜂に付いて学んだ隣家の父親が、欲に目が眩んで、彼女の言い付けを破ってしまう。「半分は自分に、半分は蜂に。」というのを守らずに、全ての蜂蜜を取り上げてしまったのだ。結果、彼女の蜂も全滅してしまう。
以降、父親は金儲けの為、次々と自然を破壊して行く。そんな父親に対し、彼女だけでは無く、彼の息子の1人も反発するが、父親は態度を改め様とはしない。「大量消費しないと、上手く回って行かない。」のが資本主義の一面だが、父親の姿が資本主義を象徴している様にも感じた。無理を押し通した結果、全てが上手く行かなくなった一家は、隣から去って行く。去って行く一家を見送る彼女の“虚ろな表情”が、とても印象的だった。
失礼を承知で言えば、主人公の老女を含め、登場人物達はとても役者には見えなかった。でも、ドラマの様な展開なので、「素人を選んで、“演技”させているんだろうな。」と思っていた。でも、見終えてから、“3年の歳月を掛けて撮り上げたドキュメンタリー”というのを知り、非常に驚いたし、又、より感動した。幼い子供が牛に蹴り上げられたり、目の下を蜂に刺されて腫らしていたりしたのも、全て“演技”や“演出”で無く、“自然な姿”だったからこそ、観ている自分に強いインパクトを与えたのだろう。
新型コロナウイルス流行の影響で、一定間隔空けないと席に座れない様になっていた。そういう事も在り、客席はガラガラだった。とても良い作品なのに、観客数が少ないのは本当に残念。
総合評価は、星4.5個とする。