「刑事ドラマ『Gメン’75』【動画】(放送期間:1975年~1982年)の全作品をDVDコレクションした『Gメン’75 DVDコレクション』を、定期購読している。」事は、過去に何度か記して来たが、先日刊行された第98号には「第292話(1981年1月10日放送)~第294話(1981年1月24日放送)」が収録されている。
1981年と言えば、もう44年も前の事。其の前年の1980年はジャイアンツにとって激動の年だった。オフに「長嶋茂雄監督の解任&王貞治選手の現役引退」が発表され、「チーム内で共に存在する"ON"。」という当たり前の光景が、其の年限りで終了する事に成ったからだ。そして迎えた翌年の1981年は、「藤田元司監督、王貞治助監督、牧野茂ヘッド・コーチという所謂"トロイカ体制"で臨んだジャイアンツは、ルーキーの原辰徳選手の活躍も在り、8年振りの日本一に輝く。」事に成る。ジャイアンツ・ファンの自分にとって1980年&1981年は、特に忘れられない2年間だ。
で、話を第98号に戻すと、第292話~第294話は「香港ロケ・シリーズ」。「社会性を前面に打ち出した硬派な内容。」、「個性溢れるキャスティング。」、「映像美と使用されている曲の素晴らしさ。」等々、多くの視聴者が「Gメン’75」に魅了された要素は幾つも挙げられるが、「当時はそう多くは無かった海外ロケ、特に(此方でも記されている)香港(&マカオ)ロケに魅せられた。」というのも大きかった。
Gメン’75ファンの間では「香港ロケ・シリーズ=香港カラテ・シリーズ」という印象が強く、放送開始から3年目(の1978年9月30日)に放送された第175話「香港カラテ対Gメン」【動画】が第1弾。草野刑事役の倉田保昭氏は「空手7段、柔道3段、合気道2段」という武道家でも在った事から、香港カラテ・シリーズでは激しいアクション・シーンを繰り広げ、視聴者を釘付けにした物。
以降、香港カラテ・シリーズは人気シリーズと成ったが、今回収録された第292話~第294話は「香港カラテ・シリーズ初の3部作」。倉田保明氏は既に「Gメン’75」を"卒業"していたので、残念乍ら彼は登場しないものの、草野刑事と死闘を繰り広げて来た(Gメン’75ファンには御馴染みの)ヤン・スエ(楊斯)氏は登場(第294話)している。
そして、「1970年代の"カンフー映画"ではブルース・リー(李小"龍")氏、ジャッキー・チェン(成"龍")氏、ティ・ロン(狄"龍")氏、そしてブルース・リャン(梁小"龍")氏の4俳優が『四龍』と呼ばれ、人気を博していた。」が、其の内の1人で在るブルース・リャン氏が、今回の3話に出演している。「1981年は、カンフー映画の人気が続いていたんだなあ。」と、当時の世相が垣間見れる。
又、3話のテーマの1つに成っているのが「中国残留日本人問題」だ。中国残留日本人とは「第二次世界大戦末期のソ連軍侵攻と関東軍撤退により、日本へ帰国出来ず、中国大陸に残留した日本人。」を指し、日本人"孤児"だけに限っても「1万4千人以上」も存在したと言う。
1972年に「日中国交正常化」が図られたのを機に、「中国残留日本人問題」が注目を集める様に成り、残留孤児達(既に中年を超えた年齢に成っていた。)の訪日調査が始まった。最初の47名が訪日したのが1981年3月2日で、今回の3話が放送された約2ヶ月後の事。矢張り、当時の世相が垣間見れる。
残留孤児達の訪日調査は1999年迄、18年間の間続けられ、2千人以上に及んだ。其の内、肉親が判明したのは665人との事。
2022年8月1日現在、永住帰国した中国残留日本人と其の家族は20,911人で、(元残留孤児達の)平均年齢は80歳。元残留孤児達はずっと中国大陸に"置き去り"にされていた事から、日本語が殆ど身に付いていない事も在り、「日本で暮らして行く上で多くの問題を抱えている。」とされている。国の決断に翻弄され、望まない儘に、終戦から80年が経とうとしている今も苦しんでいる人が存在するというのは、本当に気の毒。