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「映画館で別の客に『1席ずれて戴けませんか。』 漫画家投稿でマナー議論『断り辛い。』、『構わない。』」(5月8日、J-CASTニュース)
人気漫画「ちはやふる」等で知られる漫画家・末次由紀さんが2023年5月7日、以前映画館で体験したというエピソードをツイッターで明かした。
大物芸能人とのまさかの交流に驚く声の他、映画館の座席を巡るマナーが議論を呼んでいる。
末次さんはツイッターで、「映画館で座席を『1席中央側にずれて戴けませんか・・・。』と御願いした相手が、アーティストのつんく♂さんだった。」というエピソードを明かした。
「ドラえもんの映画を見に行った時、家族6人で5席取れたけど、間3席別の方を挟んで1席しか取れなくて、『まぁ其処に夫か私が座れば良いか・・・。』と思ってたんです。でも、駄目元で其の3名の方の1人に、『1席中央側にずれて戴けませんか・・・。』と厚かましくも御願いしたら、其れがシャ乱Qのつんくさんで。」。
「つんくさんは私達がファミリーの塊で在る事を察して、直ぐ1席ずれて下さいました。有り難かった。勿論、離れた席で映画を見る事も出来たけど、有名な方なのに腰が低く、其の柔軟さと笑顔にホッとしました。何となく今思い出し、御礼を言いたくなりました。有難う御座いました。」。
リプライ欄には、まさかの有名人同士のエピソードに驚く反応が相次いだ。家族連れに配慮したつんく♂さんに感服する声も在る。
「シャ乱Qのつんくさんに『ちはやふる』の作者の先生と、有名人が2組も居る。凄い映画館ですね。」、「超超超良い感じ・・・やね笑。」、「つ、つ、つんくさんが・・・!映画ドラえもん観に行かれた事も嬉し過ぎるし・・・優しいなぁ。」。
つんく♂さんの人柄を感じるほっこりエピソードだとする意見も多い一方で、SNSでは思わぬ方向で議論が巻き起こった。「事前に予約出来る映画館の座席を、上映前に代わって貰うのはマナー違反ではないか。」とする物だ。「上映中の気まずさ等を考慮すると、“御願い”を断るのは難しいのではないか。」とする声も在る。
「何の為の予約システムですか。其の席で了承して、チケットを取ったのは自分なのに、同じく御金を払って映画を見に来ている方を退かすなんて、普通ならば思い付きもしません。」、「若し自分が移動頼まれた側だったら、此の状況で断り辛いなぁ。断ったら、何か此方が申し訳無い気持ちになっちゃうし。小さい子連れだったら譲って上げたいけど、自分も見易い席とかを考えた上で、其の席を予約してる訳だから、中々複雑。」、「私も譲るかな。でも、快くでは無く、仕方なくって感じで。何だかこう言われると、快く譲るっていうより、譲らざるを得ない状況って思ってしまう・・・。」。
一方で理解を示す声も在り、議論を呼んでいる。
「『中央側にずれてくれませんか。』って、今の席より条件良くなる提案だし、新幹線で『子供が居るので、窓際譲って下さい。』と頼む人と、レヴェルが違うと思う。中央側ならラッキーと思う人も居るだろうし、ほっこりする良い話じゃんて話。」、「リプで駄目でしょって言ってる人多いけど、普通に聞かれなくても、挟まれるんは気まずくない?逆に『ずれましょか?』って譲るくない?」、「こういう頼まれ方だったら、私は別に非常識とも思わないし、家族3人でドラえもんって事は、小さい御子さん居るならパパママ近くが良いだろうし、予告中とか座席挟んで会話したりされるよりは、全然声掛けて貰って構わないって思う派です。」。
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GWの最終日、近所のショッピング・センターに買い物に行った。一寸小腹が空いていたので、“1人”でフード・コートに向かった所、15時過ぎだというのに、そこそこの混み具合。「先ずは席を確保しないと。」とフロアを見渡すと、端のテーブルが“並んで”3つ空いており、一番端から「2人用のテーブルと椅子2つ」、「2人用のテーブルと椅子1つ」、そして「4人用のテーブルと椅子4つ」という状態。自分は1人だったので、一番端の「2人用のテーブルと椅子2つ」を確保。「2人用のテーブルと椅子1つ」を避けたのは、「大きな荷物を持っていたので、空いている椅子に其れを置きたかった。」のと、「万が一、5人以上の客が塊で来た場合、隣り合っている2人用のテーブルと4人用のテーブルをくっ付けて使えるだろうから。」という理由だった。
で、自分(giants-55)が確保して1分程経った頃、隣に家族連れが来て、隣り合った2つのテーブルを確保。「60代位の夫婦と30代前半位の夫婦、其れに幼稚園児位の女の子。」という5人連れ。恐らくは祖父母と息子夫婦、そして孫という感じなのだろう。祖父母と母親の併せて3人は、“確実に”自分及び椅子に置かれた大きな荷物を目で確認していた。
離席し、座った席の直ぐ横に在る蕎麦屋で注文。自分のテーブルに戻る迄、2分も掛からなかったと思うが、驚いてしまった。自分のテーブルの上に、(椅子の上に置いていた)大きな荷物が載っていたからだ。「何で?」と思い、荷物を置いていた椅子を捜すと、無くなっている。「えっ!」と思って隣を見ると、隣り合った2つのテーブルはくっ付けられていて、“6人”が座っているではないか。増えていたのは小学校低学年位の女の子で、後から加わったのだろう。椅子が5つしか無いから、自分の所から1つ持って行ったという訳だ。
状況を考えたら、椅子1つを譲るのは吝かでは無い。でも、「遣り方が在るのでは?」と思ってしまった。自分が離席する前、3人は確実に此方を目で確認していた。椅子の上に大きな荷物が載っているのもだ。自分が注文の為に離席したのも判っていただろう。
自分が戻ってきた際、「済みませんが、椅子を使わせて貰っても良いですか?」といった感じで頼まれれば、喜んで「良いですよ。」と言う。でも、「黙って椅子の上から大きな荷物をテーブルに置き(テーブルの上が、滅茶苦茶狭くなった。)、椅子を分捕り、そして知らん顔をする。」というのは如何な物か?少なくとも良い年をした大人が4人も居るのに、“知らぬ顔の半兵衛”を決め込むというのは、とても真面とは思えず、非常に不快だった。
末次由紀さんの今回の件、彼女が“書いている通りの遣り取り(言い方)”だったら、自分は「そんなに目くじらを立てて迄、批判する事では無いでしょ。」と思う。居丈高な態度で、「ずれなさい!」と言ったのでは無いだろうから。
此の手の話、要は「“言い方”や“遣り方”による。」と思う。
状況は違うけれど・・・まだ子供が幼稚園児にだったころ、始発駅で乗った電車がすでに込み合い始めていて、ふと見ると座席に大きな花束が置かれていたので、子連れだったこともあり「誰がこんなところに」と思わずつぶやいたところ、慌てて「すみません」とその花束を取り上げたのが、近くに立っていたらしい男性。
どこかで見たような気がするその人物が、昔フォーククルセイダーズなどで活躍していた「はしだのりひこ氏」だと思い出したのは、彼が次の乗換駅で降りた後でした(笑)。
はしださん、何故花束だけを座席に置いていたんでしょうね?花束を手に持って、席に座っていれば良かったのに・・・其の光景を想像し、思わず笑ってしまいました。らしいと言えば、らしい光景なので。
ある舞台公演を夫婦2人で鑑賞した時の事、隣り合った席が取れず、1つ飛んだ席に座る事になりました。間には別の方が座っておられました。
上演前に、夫婦間で飲み物とか食べ物を、手を伸ばしてやり取りしていた時、その間に座っていた方が、「席、変わりましょうか?」と声をかけられたのです。
私たちは厚かましく席を変わって欲しいとも思っておらず、お願いするつもりもなかったのですが、間の方が私たちの様子を見て気を利かせてくれ、遠慮してると「どうぞどうぞ」と言ってくれるので、お言葉に甘えて私と席を交換し、夫婦隣り合わせで座る事が出来ました。
上演終了後、その方に「ありがとうございました」と何度もお礼を言いました。こういうのは、お互い気持ちいいですね。
もし私の方がこの方のような席に座っていて、ご家族が離れた席に座っていた場合は、頼まれた場合は勿論、頼まれなくてもやはり気持ちよく席を変わってあげようと思います。善意の輪が広がるのはいい事ですね。
ところが、こういう座席の交換は、本当は問題があるのだそうです。
こちらの記事に載っていますが、 ↓
https://news.yahoo.co.jp/articles/d292c060ad9c4c6ce4cd8422b72d0f51e8af88a8
>劇場や映画館、コンサート会場や列車などで事故や犯罪が起きた場合、チケット購入時に入力した個人情報が手がかりとなる事がある。その為、自分が購入した座席に座った人物が、盗撮やチカン、盗難などの犯罪行為を行なった場合、予期せぬトラブルに巻き込まれることもあるようだ。さらに、席を交換した相手が「不正転売」でチケットを購入していた場合、こちら側も「チケット不正転売禁止法」の罪に問われる可能性がある。―
という事らしいです。言われてみればその通りですね。
まあ善意で譲ってくれた方が痴漢するとは思えませんが(笑)、事件や事故があった場合、そこに誰が座っていたかが重要になって、予約時の入力情報から座っていた人間が特定される事は十分あり得るでしょうから、安易に席を交換するのは考えものかも知れませんね。
しかしこんな記事が広く流布されると、これからは座席の交換を嫌がり、拒否する人が出て来るかも知れませんね。そんなギスギスした世の中、嫌ですねぇ。
Kei様の経験談、自分がKei様御夫婦の間に座っている人間だったとしたら、矢張り席を譲ると思います。間に座った方に配慮し乍ら、飲食物を渡されているというのは「凄く気を遣うだろうなあ。」と感じるからです。そういう対応を受けた方は、以降、同様の行為をされるだろうし、“善意のバトンタッチ”という感じで微笑ましさを感じる。
別記事で書かれている様な事態、ミステリーでは在りそうな設定では在りますね。悲しいかな、世の中には“悪意”という物も存在し、そういう事態が“零”とは言えない。其れでも、自分はそういう悪意よりも、善意の存在を信じたい気持ちが在ります。こういう世の中ですから、最悪の事態を想定して備える事は大事だけれど、其れが先行し過ぎてしまうと、何とも潤いの無い世の中になってしまう気がするので。