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邯鄲の夢:“人の世の栄枯盛衰の儚い事”の喩え。
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貫井徳郎氏の小説「邯鄲の島遥かなり」を読了。
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神生島 に“イチマツ”が帰って来た。神か仏の様な人間離れした美貌の一ノ屋松造(いちのや まつぞう)に、島の女達は例外無く魅入られて行く。イチマツの末裔達には皆、身体の何処かにに“イチマツ痣”と呼ばれる“唇の形の様な赤い痣”が在り、「女は全て醜女、そして男に関しては『稀に末造の様な美貌の持ち主が生まれる。』とされ、其の男は島を救ってくれる。」という言い伝えが在り・・・。
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新選組の生き残りで在る一ノ屋松造が、神生島に帰って来たのは、明治維新から間も無い頃の事。人間離れした美貌の持ち主の彼に、島中の女達が熱を上げ、次々と関係を持って行く。そんなストーリーで始まり、最初は「官能小説っぽい感じだなあ。」という思いが。
彼の血を引く末裔達(松造から数えて、最大6代先迄。)が、「明治→大正→昭和→平成」という時代を生きて行く姿が描かれている。約150年間の世相と末裔達との関わりは、大河ドラマを見ている様な壮大さが在り、最初の「官能小説っぽい感じだなあ。」という思いは、早々に消え失せた。
イチマツの末裔達は当初、島民達から“特別な存在”として重用されていた。そんな環境だからこそ、彼等は自分形の使命感を持ち、現実と抗い乍らも生きている。時には現実に押し潰され、辛い人生を送る者も。又、末裔で在る事を意識せずに生き様とする者も居るが、結局は“イチマツの軛”から逃れられないのが、何とも皮肉。あんなにも“特別な存在”とされて来た末裔も、時代が進む中で、“特別な存在”と見做されなくなって行くのも、此れ又皮肉で在る。
全部で17部(章)から構成されている。16部迄は“大河ドラマ”の様な雰囲気が在るけれど、最後の17部では何か“ホーム・ドラマ”の様な雰囲気に変わっており、其処が個人的には残念。イチマツの末裔達の“歴史”を明治から描き、其の終着点としての“今”という事なのだろうが、16部で終わらせていても良かった気がする。
総合評価は、星3.5個。