「“小泉劇場”に参加し、政治を煽情的に取り上げてしまった事を、我々マスメディアは猛省しなければいけない。」。TVや新聞、雑誌等でそういった声が上がったのは、何年前の事だったか。しかし「猛省」を口にし乍ら、マスメディアは相変わらず「劇場型政治」を礼賛している様にしか思えない。昨年の衆議院議員選挙では「小沢ガールズ」なる用語を作り上げ、政治とは無関係な下らない話を延々と“垂れ流し”ていたし、今回の参議院議員選挙でも「“柔(ヤワラ)ちゃん”が富士登山遊説を行った。」とか「小泉進次郎議員が全国各地で御国言葉を交えた応援演説を行い、大勢の聴衆を集めている。」等、政治の本質とは全く無関係な話ばかりを報道していた。「そういった報道の需要が在るからこそ、我々は取り上げているのだ。」とマスメディアの人間は主張するのだろうが、そうで在れば国民の側も変わらなければいけないけれど、普段は「政治に関する国民の成熟度がどうのこうの。」なんて事を主張しているマスメディアならば、好い加減「政治の煽情的な報道」は慎むべきではないか?
これは以前から何度も書いている事だが、立法を担う政治家は「国民の生殺与奪権」を握る強者で在り*1、その言動をマスメディアが厳しくチェックすべきだと思っている。特に政権与党には、必要以上に厳しい目を向ける必要が在るとも。政権与党が民主党だろうが自民党だろうが他の党だろうが無関係に、半端じゃなく厳しい目が向けられるべきなのだ。だから時には政権与党に対し「重箱の隅を楊枝で穿る」様な報道になってしまうのも仕方無い面は在ると理解しているも、それにしても「麻生太郎元首相の様に『漢字が読めない。』という面が、あそこ迄執拗に取り上げられるべきものだったのか?」等、疑問を感じる面も在ったりはする。
今回の参議院議員選挙で敗北を喫した民主党*2だが、マスメディアの報道を見ていると「小沢一郎氏の存在を、余りにも過度に報じている。」所が少なくない。「小沢一派が反乱を起こす可能性が在る。」というのは未だ大人しい方で、「小沢一派が反乱を起こす筈。」といった「反乱を起こさなければおかしい。」的な報道は、これ又煽情的な気がする。自民党が政権与党だった時代からこういった「対立を歓喜する様な報道姿勢」は見られ、そういった事が政権の不安定さを加速化させて行ったのではないか?
今から四半世紀前、バンドマスターのダン池田氏が、芸能界の腐敗した面を暴露した本「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」を出版し、大きな話題を呼んだ。「政治に関する国民の成熟度の低さ」を嘆く一方で政治を煽情的に報じ続けるマスメディアは、この本のタイトルを借りるならば「マスメディア本日モ反省ノ色ナシ」と言えるのではないだろうか。
*1 1つの政策だけを掲げ、「私が当選したら、6年間はこの政策“だけ”を頑張ります。」と主張していた候補者が、今回当選を果たした。その候補者自身はどちらかと言えば好きな方だし、その主張も単なる“言葉の綾”なのかもしれないけれど、上記した様に政治家は国民の生殺与奪に拘る法案を幾つも否・可決しなければいけない立場に在る訳で、「1つの政策だけを頑張る。」と言うのは困り物。まあ政策も糞も無い様な政治家よりはましだけれど、1つの事だけを頑張りたいのならばNPO立ち上げ等、別の方策も在ると思うのだが・・・。
*2 民主党が敗北を喫した要因の一つに、「民主党の散蒔き政策に不安を感じる。」という声が在ったと思う。散蒔き政策の代表として良く取り上げられるのは「子ども手当」だが、個人的には「以前にも何度か書いた様に「国の将来を背負って立つ子供達の育成に、国が一定の支援を行う。」という考え方は悪くないと思っている。でも、この件に関しては「賛否両論在って当然だろうな。」とも。唯、不思議に思うのは「金銭が“目に見える形で”散蒔かれているのは駄目だけれど、ゼネコンと政治家だけを肥え太らせる為だけに、無理無理に作られ続けて来た“箱物”も又、同じく散蒔きで在るという事に気付いていない(若しくはわざと目を逸らしている)人がそこそこ居る。」という点。
これは以前から何度も書いている事だが、立法を担う政治家は「国民の生殺与奪権」を握る強者で在り*1、その言動をマスメディアが厳しくチェックすべきだと思っている。特に政権与党には、必要以上に厳しい目を向ける必要が在るとも。政権与党が民主党だろうが自民党だろうが他の党だろうが無関係に、半端じゃなく厳しい目が向けられるべきなのだ。だから時には政権与党に対し「重箱の隅を楊枝で穿る」様な報道になってしまうのも仕方無い面は在ると理解しているも、それにしても「麻生太郎元首相の様に『漢字が読めない。』という面が、あそこ迄執拗に取り上げられるべきものだったのか?」等、疑問を感じる面も在ったりはする。
今回の参議院議員選挙で敗北を喫した民主党*2だが、マスメディアの報道を見ていると「小沢一郎氏の存在を、余りにも過度に報じている。」所が少なくない。「小沢一派が反乱を起こす可能性が在る。」というのは未だ大人しい方で、「小沢一派が反乱を起こす筈。」といった「反乱を起こさなければおかしい。」的な報道は、これ又煽情的な気がする。自民党が政権与党だった時代からこういった「対立を歓喜する様な報道姿勢」は見られ、そういった事が政権の不安定さを加速化させて行ったのではないか?
今から四半世紀前、バンドマスターのダン池田氏が、芸能界の腐敗した面を暴露した本「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」を出版し、大きな話題を呼んだ。「政治に関する国民の成熟度の低さ」を嘆く一方で政治を煽情的に報じ続けるマスメディアは、この本のタイトルを借りるならば「マスメディア本日モ反省ノ色ナシ」と言えるのではないだろうか。
*1 1つの政策だけを掲げ、「私が当選したら、6年間はこの政策“だけ”を頑張ります。」と主張していた候補者が、今回当選を果たした。その候補者自身はどちらかと言えば好きな方だし、その主張も単なる“言葉の綾”なのかもしれないけれど、上記した様に政治家は国民の生殺与奪に拘る法案を幾つも否・可決しなければいけない立場に在る訳で、「1つの政策だけを頑張る。」と言うのは困り物。まあ政策も糞も無い様な政治家よりはましだけれど、1つの事だけを頑張りたいのならばNPO立ち上げ等、別の方策も在ると思うのだが・・・。
*2 民主党が敗北を喫した要因の一つに、「民主党の散蒔き政策に不安を感じる。」という声が在ったと思う。散蒔き政策の代表として良く取り上げられるのは「子ども手当」だが、個人的には「以前にも何度か書いた様に「国の将来を背負って立つ子供達の育成に、国が一定の支援を行う。」という考え方は悪くないと思っている。でも、この件に関しては「賛否両論在って当然だろうな。」とも。唯、不思議に思うのは「金銭が“目に見える形で”散蒔かれているのは駄目だけれど、ゼネコンと政治家だけを肥え太らせる為だけに、無理無理に作られ続けて来た“箱物”も又、同じく散蒔きで在るという事に気付いていない(若しくはわざと目を逸らしている)人がそこそこ居る。」という点。
コロッとだまされてはいけないいけない。
と思うのでした。