ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

筆力の無さ?それとも読解力の無さ?

2011年02月04日 | 其の他
*****************************************
辻村: 私、大学を卒業した後、地元の山梨に帰って就職したんですけど、学生時代と違って、まわりの友だちが本なんて絶対に読まない子ばっかりになったんです。たとえば、私のデビュー作(「冷たい校舎の時は止まる」)は、高校生が学校の中に閉じ込められる話なんですけど、第一章の登校の場面で、主人公たちが家を出て、学校にたどり着くまでがもう彼女たちには読み通せない。

石田: え?どうして?

辻村: 「誰と誰が一緒に登校したのか分からなくなっちゃう。」って。そこを無理に覚えなくてもいいってことがわからないんです。読むものはぜんぶ暗記の対象で、苦痛を伴うものだっていう固定観念がある。実生活ではすごくクレバーで、物事をしっかり考えている子たちなんだけど、読むという行為にまったく慣れていない。ところが、その子たちが石田さんの本は読んでいるんですよ。この対談を目にする、ふだんから本をきちんと読むであろう人たちに、この私の驚きがどれぐらい届くのか心もとないんですけど、ほんとに読まないし読めない。そもそも本にお金を出すという発想さえなくて、おこづかいの大半は、毎晩安い居酒屋やカラオケで騒ぐのに費やして、他にこれといった趣味も持たないというのが、私の多くの地元友だちの、リアルな日常だと思います。その子たちが「IWGP」を読んで、こんなところで泣いちゃったよ~って盛り上がってるんです。

石田: そう言えば、「IWGP」のドラマに出てくれた長瀬(智也)くんや妻夫木(聡)くんも、それまで原作の本なんてほとんど読んだことがなかったけど、これは最後まで楽しく読めたんだって。

辻村: わかるような気がする。

石田: やっぱり世界観が彼らに近いからかな?「IWGP」って社会の上のほうの人がほとんど登場してないんです。いつも底辺からものを見てる。でも暗い感じはしないでしょう?いまの人って、みんなすぐ落ち込んで「もうダメだ。」ってなっちゃうけれど、マコトたちは偉い人、お金持ちに対して全然ひるまないし、くじけない。その楽観的な姿勢がいいのかもしれないね。
*****************************************

「IWGP」こと「池袋ウエストゲートパーク」シリーズの第10弾刊行を記念して、同シリーズの物語世界を徹底解剖した本「IWGPコンプリートガイド」が刊行された。其の中で作者の石田衣良氏と作家の辻村深月さんとの対談が載っており、冒頭で一部を紹介させて貰った。

近年では若い人に限らず、「読書を日常的に行っている人」と「読書を全くしない人。」という二極化が進んでいるのは感じていたけれど、「読むものはぜんぶ暗記の対象で、苦痛を伴うものだっていう固定観念がある。」という理由から読書を全くしない人が増えているのだとしたら、其れは驚きだ。海外の小説では登場人物の名前が覚え辛く、少し読み進めては「あれ?此の人って、どういう関係の人だっけ?」と「登場人物一覧」を何度も確認するという事は在るけれど、だからと言って「全部を暗記しなければ。」とは思わない。試験勉強じゃ無いんだし、名前や状況が判らなくなったら遡って確認すれば良いだけの話だから。其れだけの理由で読書を全くしなくなるのだとしたら、本当に勿体無いと思う。

読み手の読解力の無さがストーリーを追い進めなくさせているという面も在るとは思うけれど、だからと言って「読書を全くしない人」が全て読解力が無いと言う訳でも無いだろう。実際問題、辻村さんが語っているの友人達も「IWGP」シリーズは読んでいるのだから。自分も経験が在るのだけれど、余りにもくどくどしい文章や、逆に説明不足過ぎる文章だと、正直読むのが辛くなる。「難しい漢字はどんどんひらいて、文章のスピードを上げる。」、「文章をとにかく切っていくんです。バチバチ切っていくと、あ、次はここで切れるなという予測がつくじゃないですか。するとそこではあえて切らずに延ばしたり、あるいは切るべきじゃないところで切ってさらに短くしたりして、ちょっと外した変拍子も入れていく。」と石田氏は語っているが、「読者への阿り」では無い範囲での「読ませる工夫」は重要だろう。

音楽好きの石田氏、様々な曲を流し乍ら、小説を書き上げて行くと言う。文章のテンポが良いのも、音楽によって更に筆力が磨かれて行っているのかもしれない。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
« “押尾手法”で逃げ切りを図る... | トップ | 「海に沈んだ町」 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めてコメントいたします (A.K)
2011-02-05 17:13:48
こんにちは
社会人講座で英文読解講座を取得した際
生徒たちは平均年齢40代という印象でしたが
この「誰と誰が一緒に登校したのか分からなくなっちゃう。」状態に陥り、結局12回の講座で
読み進んだのはたったの3ページでした。
正直愕然としましたし、悪いけど進みがあまりにおそくてイライラしましたね。
そういう私も外国映画を見て「あれ、結局この人は何だったっけ?」と混乱することもあるんですが^^;。
返信する
>A.K様 (giants-55)
2011-02-05 20:15:46
初めまして。書き込み有難う御座いました。

ミステリー大好き人間の自分ですが、海外のミステリー(勿論、翻訳物。)を読む際には、人名を中心とした固有名詞が頭の中で中々整理出来ず、数頁読んでは「あれ、此れは誰(何)だっけ?」と前に遡って確認する作業が結構在ります。又、A.K様と同様に、洋画でも混乱を来す事がしばしば。日本語での名称ですと「字面」と「其の対象のイメージ」が無意識の内に結び付くけれど、英語では其れが上手く行かないという事なのでしょうね。

今後とも何卒宜しく御願い致します。
返信する
筆力のなさ?読解力のなさ?  (梅吉)
2011-02-07 23:42:41
ごぶさたしてます。

読書は僕もしますが。
それでも最近の若い人は本を読まずに
ただ、ひたすら暗記をすることに
慣れている、慣らされ過ぎている
感じがしますね。
暗記をしないと、覚えられない
と、いうのは
いまだにテストなどの
詰め込み教育が横行しているせいもある
と、思うのですが。
辻村氏のまわりの友だちも
そういう経験をしてるからでは
ないかと、思うのです。
読書感想文もおそらく
うまく書けなかったのかもしれない。
でも、辻村氏のまわりの友だちのような
想像力は僕には持ち合わせていませんでしたね。
むしろ、僕は見たまま感じたままありのままのことを読書感想文に書いてましたから。 
学校の読書感想文は、僕も出来ないほうでした。当時は読書すること自体が
面倒な作業と、いう感じだったし。
見たまま感じたままありのままの思いで
感想文を書こうものなら
先生にしかられたくらいですから。
ですから、僕も担任の先生に何べんも
しかられてました。
  
でも、読書しない人イコール読解力がない
とは、僕も思いません。
筆不精イコール筆力がない 
とも、思ってません。
その人にはその人なりの個性があるわけですしそういう人の個性を認める教育を
学校で家庭で社会で教えて育んで行く
ことが大切ではないでしょうか。 

  
返信する
>梅吉様 (giants-55)
2011-02-08 01:11:21
書き込み有難う御座いました。

もう大分昔になりますが、大学の入試問題(現代国語)に自身の小説を題材として使用された某作家が実際に問題を解いてみた所、「選択問題」で自分の考えとは異なる選択肢が「正解」とされていた事が紹介されていました。「こういう捉え方をされているんだ。自分の考え方とは一寸違っていたので、意外だった。」といった趣旨のコメントを其の作家は述べておられましたが、数学等とは異なり「必ずしも一つの答えがバシッと導き出される訳では無い。」という現代国語という科目の特性を再認識させられる話でした。

絵画もそうですが作文も、或る人がマイナス評価を下したとしても、別の人が高評価を下す場合だって在る。後世に名を残す偉人達の中には、幼少期に他者とは可成り異なった個性を有していたというケースは珍しくなく、「変わった視点=駄目」という教育だけは改善されて欲しいものです。(協調性云々とは別の話ですが。)
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。