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ポンペイの輝き 古代ローマ都市最後の日 2007/1/8

2007年01月08日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-

急がなくっちゃ!
サントリーミュージアム{天保山}へ! 
日本初公開の 「ポンペイの輝き
古代ローマ都市最後の日」展へ
早朝より逸る心をおさえ乍ら
{大阪港-天保山}へと駆けつけました

現在でも発掘が進むポンペイとその周辺の遺跡 
その最新の発掘成果を 披露するため ヨーロッパや
北米を回った 世界巡回展が
ついに日本にもやってきたのです
展示品のほとんどが 日本初公開 
彩り豊かな壁画のほか 別荘地から 見つかった
見事な 宝飾品の数々~~~

ポンペイを始めとする 古代ローマ帝国の都市を
一瞬にして 地中に 封印したことで知られる
西暦79年の ヴェスヴィオ火山噴火の大惨事を
ドキュメンタリータッチで
紹介する初めての試みです
犠牲者たちが避難する際に携えていたきらびやかな
宝飾品や 住居を飾っていたフレスコ壁画など
約400件を展示 出展品の殆が 日本初公開の様です
近年発掘調査が実施された モレージネ遺跡や
テルツィーニョ遺跡が 本格的に紹介されるのは
今回が初めてで 2,000年前の人々の生活を
活き活きと伝える 貴重な 出土品の数々を観る
絶好のチャンスといえます

小諸日記


古代ローマ帝国が「人類史上、最も幸福な時代」と
讃えられる 絶頂期にさしかかったころ
突然の大災害が 南イタリアを襲いました
西暦79年8月24日午後1時 ヴェスヴィオ山から
巨大な火柱が噴き上がったのです
噴火は 翌朝まで続き
ポンペイなどふもとの町々が埋没しました
夏のまぶしい太陽は灰雲にさえぎられ
住人たちは闇の中 持てる限りの財産を手に
町を脱出噴出物に厚く覆われた
都市は復興することなくようやく18世紀に
発掘が始まりました

展覧会はかつてヴェスヴィオ山周辺の
暮らしを彩っていた 壁画や宝飾品 彫像など
400件余りの第一級の出土品を集め
古代ローマ美術の粋を紹介し 2000年の時を超えて
輝く宝物には 19時間にわたった 噴火の 悲劇が
凝縮されている様です

また 本村凌二著『ポンペイ・グラフィティ』では
友人を 公職に推す訴えあり
恋人への甘い告白もあります 
遺跡からは1万点以上が見つかっているそうです

才色兼備の女神達に見守れ 寝そべって
飲めや歌えのと供宴を繰り広げた ローマ人達
そんな優雅な暮らしを想像すると 男性として
羨ましい限りです


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「2007 壮快な談笑 ナ協新年会    2007/1/7

2007年01月07日 | PAL 健康 医療 介護 福祉活動

昨年暮れに逢ったのに 御久しぶり お元気!

生駒市難聴者福祉協会が いつも一心同体の様に
支援して下さる OHPいこま(要約筆記)の
方々と合同で 新年会が開催されました  
小生も賛助会員として例年通り参加させて頂き
終始談笑の輪の中で 楽しい新春のひとときを
過ごしました     多謝  多謝!

ささやかな新年茶会(初釜?)・ビンゴ・
サザエさんゲームに饗じ~~~
途中には素晴らしい ハーモニカ独奏
(浪曲子守唄.わたしの城下町.明日があるさ)も
あり---

最後は カラオケ三昧で 時間の経つのを
忘れてしまう程でした

小諸日記


談笑で満ち溢れた 今日の センター2階
フレンドルームの窓の外は
近畿地方 中部にも 季節風が 吹き荒れ
激しい雪が舞い落ちる時も ありました


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頌 春 !  萬 國 春 風 百 花 舞 2007 1/1

2007年01月01日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-

頌  春

山めぐる 大和国原 日の始  岡 本 艶 女 『松 苗』
新春を賀し 佳き年を迎えられた 皆様の 御多幸をお祈り申し上げます

爽快な 元朝詣は 例年通り四社でした

武甕槌命が 白鹿に乗ってやってきたとされる
春日大社

平城京の守護の為に創建された御社とされており
和銅3年(710)藤原不比等が平城遷都の際
藤原氏の氏神を祀ったのが起こり
神護景雲2年(768)今の地に社殿を造営
興福寺と同様 藤原氏が勢力を伸ばすにつれ
社殿の造営が行われ 平安後期には 
現在のような規模を整えました

本殿向って右(東)から
第一殿 茨城県の 鹿島神宮から迎えられた
武甕槌命(タケミカヅチのミコト)
第二殿 千葉県の 香取神宮から迎えられた
経津主命(フツヌシのミコト)
第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)と 
第四殿 比売神(ヒメガミ)は枚岡神社から
それぞれ 春日の地に迎えて祀られている 
奈良時代の神護景雲二年768)
現在地に四所の 神殿が創設されたのが
はじまりとされています

境内に含まれる主なものは 標高295mの
御蓋山全域の山林部と 社頭から西方 飛火野
雪消の沢一帯の芝原、若宮おん祭の 御旅所
(おたびしょ)から 一の鳥居に至る参道の
地帯を含む 平野部です

また“万燈籠”で知られるさまざまな形の
釣燈籠 石燈籠の多くは 庶民の寄進によるもので
庶民信仰の深さを伺い知ることができます
毎年 2月節分の日と 8月14・15日に
すべての燈籠に火を入れる“万燈籠”の行事が
行なわれています

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布都御魂大神を主祭神とされる
石上布留社(石上振神宮)

古代の山辺郡石上郷に属する
布留山の西北麓に鎮座し
布都御魂大神は 神体である 布都御魂剣
ふつのみたまのつるぎに宿る 神霊とされ
布都斯魂大神
宇摩志麻治命 五十瓊敷命(いにしきのみこと)
白河天皇 市川臣を 配祀されています
市川臣は、孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命の
後裔で 当社社家の祖です

[『古事記』・『日本書紀』にすでに
石上神宮・石上振神宮との記述があり
古代軍事氏族である物部氏が祭祀し ヤマト政権の
武器庫としての役割も
果たしてきたと考えられています

社伝によれば布都御魂剣は
武甕槌・経津主二神による
葦原中国平定の際に使われた剣で
神武東征で熊野において 神武天皇が
危機に陥った時に 天津神から高倉下の
手を通して 天皇の元に渡り 
その後 物部氏によって 宮中で
祀られていたが 崇神天皇7年 勅命により
物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し
「石上大神」として祀ったのが
当社の創建とされています
また禁足地は今もなお 布留社と 刻まれた
剣先状石瑞垣で囲まれています



歓喜天が守護神の宝山寺・生駒聖天
(大聖歓喜自在天)

生駒は「大空の中に龍に乗れる者あり
かたち唐人に似たり 青き油笠を着て葛城の嶺より
馳せて胆駒山(いこまやま)に隠る
午の時にいたりて住吉の松のいただきの上より
西に向い馳せ去りぬ」 (日本書記)とあります

生駒山は 古くから神霊の宿る山として
崇められてきました
役小角 空海の修行の地との伝承があります 
今も山中に お瀧場として 霊場が点在しています

真言律宗 正式名は「都史陀山大聖無動寺」と言い
延宝六1678)年 宝山湛海の 開山
本尊は 不道明王だが 聖天さんと呼ばれる 大
聖歓喜自在天への信仰が強く この寺の信仰は
般若磐と呼ばれる 安山岩の 突起に出来ている
洞穴に見る 巨石信仰にあり
特に生駒市から南へ行った処から見る 岩山には
ただならぬものを感じるものです

生駒に拠点を置いた『記紀』に表れる
最古の氏族は 長髄彦や 物部の遠祖の
饒速日尊であり 彼らを奉じる氏族は この磐山を
見逃すはずがなく聖地として敬ったと
考えられています

小諸日記


生駒山が御神体の 往馬大社
(往馬坐伊古麻都比古神社)

御祭神は,伊古麻都比古神(産土の男神)
伊古麻都比賣神(産土の女神) ほか 五柱で
貞観元年(西暦859年)
『延喜式神名帳』に 往馬坐伊古麻都比古神として
名を連ねる神社です

また「生駒曼荼羅図」は県の絵画とされ
伝統行事の 火祭りは 県の 無形民俗文化財と
指定されています
つまり 往馬大社は古くから 火の神として尊ばれ
歴代天皇の大嘗祭に用いられる火きり木を
献上されており
昭和天皇の大嘗祭や平成2年に執り行われた
平成の 大嘗祭の「斎田點定の儀」にも
往馬大社の 火きり木が使用されました

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