北の大地~[東京―新函館北斗間]が最短4時間2分
速やかに結ばれる[北海道新幹線開業]カウントダウンで
盛り上がり~[上野―札幌間]寝台特急 《カシオペア》の
上り最終列車を『ご苦労様!頑張ったね』~悲喜交々で
見送った多くの方々がおられた事でしょうね!
[札幌―青森間]479.1キロを結ぶ夜行急行 《はまなす》
道内最後の《夜汽車》との惜別(3.22)を 迎えましたね!
北陸新幹線[東京駅-金沢駅間]が最速2時間28分で
結ばれた北陸新幹線金沢開業(2015.3.14)から1周年を
迎えた昨今も新幹線開業記念.各種イベントを繰り広げ
[駅を降りた人に 傘を差し出す もてなしの心]
金沢駅の玄関口~3,019枚のガラスを使用して明るく
雨にも濡れないドームを中心に盛り上がっていますね!
加賀藩.御膳所の老舗料亭{大友楼}九谷焼.輪島塗
華麗な器で舌鼓.そんな贅沢三昧は 叶わぬ小生の事
[JR金沢駅]でも{大友楼}の 駅弁を販売している聞き
前田家.梅の御紋が記された{利家御膳}を賞味致しました
{霊峰.白山}を遥かに眺め乍ら~俳聖松尾芭蕉も称賛
八泊九日もした[加賀温泉郷]山中温泉 {俳諧散歩}と洒落込んだものです
「此の川の くろ谷橋は 絶景の地也
行脚のたのしみ 奚にあり」 芭蕉
加賀.大聖寺川~[鶴仙渓]~奇岩怪石の立ち並ぶ
素晴らしい景観.渓谷美を 堪能致しました
[黒谷橋]⇒[こうろぎ橋]にかけて1.3Km
[鶴仙渓]の遊歩道を長閑に尋ねて観ました
山峡の加賀温泉街~薬師山~道明ヶ淵~黒谷橋
[黒谷橋]~松尾芭蕉が行脚の楽しみ ここにありと称賛した景勝地です
芭蕉は山中湯に“桃源郷”を見立てました
当時は 那谷道を通り [黒谷橋]を渡って多くの
旅人が山中を訪れたと伝えられています
[あやとりはし] 華道.草月流.家元.勅使河原宏先生
デザインのユニークなS字型.橋紅紫色と渓谷との
コントラストが見事に表現されていますね
[芭蕉堂] ~芭蕉翁を祀る御堂.全国の俳人によって
明治43年に建てられました
[芭蕉の館] ~芭蕉翁が泊まった泉屋に隣接し
扇屋別荘を改築.山中温泉最古の宿屋建築
昭和6年の大火にも類焼を免れた貴重な建物です
{やまなかや 菊は手折らじ ゆのにほひ}
[芭蕉の館]2階~[芭蕉.桃妖] 資料展示室
芭蕉が書き残した{やまなかや菊は~~}掛軸.真蹟
芭蕉像や扁額等々俳諧資料が公開展示!
曽良を伴い江戸から[奥の細道]の旅に出て山中温泉
八泊九日.四ヵ月に渡る[同行二人]の旅の終焉の地
芭蕉・曽良はそれぞれの思いを句に託しています!
{ゆきゆきて たふれ伏すとも 萩の原} 曾良
{今日よりや 書き付け消さん 笠の露} 芭蕉
芭蕉を敬愛していた俳人.蕪村は[奥の細道]の
全文に絵画をいれて写しています
蕪村筆[奥の細道]山中の段の後半ですね
[総湯・菊の湯] ~賀藩の藩営温泉.[白鷺発見伝説]や
[行基発見伝説]等もあり温泉街の中心に共同浴場
[菊の湯]=「総湯」とも呼ばれています
芭蕉も称賛した名湯とされ.女湯には[山中座]も
併設.前には足湯もあり春休み中の学生さん達も
湯につかり戯れていました
《菊の湯前の 石碑碑文》
『山中温泉はいまから千三百年ほど前 僧行基が北陸
行脚の際.発見しその後一時兵乱のため荒廃していましたが
文治年間.長谷部信連がこの地に鷹狩りの際一羽の白鷺が
芦の間の流れに傷脚を洗うのを見て霊泉の湧出するを知り
ここに浴槽を設けて以来八百年の歳月を経て次第に繁栄を
見るようになり 日本三名湯の 一つにもかぞえられ
特に元禄二年俳聖芭蕉をはじめ多くの文人墨客が訪れ
山中の名は年と共に著われ 殊に昭和六年大火の後は
湯の街の面目を一新し今に見る情緒豊かな温泉観光地が
形成されたのであります』
早春のお楽しみは[カニ汁大鍋]の振る舞い!
山中の冬の名物と言えば[大鍋の振る舞い]
山中温泉出身の料理人・道場六三郎氏監修
[こだわり食材]をつかった[かに汁大鍋]
山中漆器で頂いた[かに汁大鍋]の豊か味!
心の中まで温まり有難う御座いました
{漁火に 河鹿や波の 下むせび} 芭蕉
「此の川の くろ谷橋は 絶景の地也
行脚のたのしみ 奚にあり」 芭蕉
速やかに結ばれる[北海道新幹線開業]カウントダウンで
盛り上がり~[上野―札幌間]寝台特急 《カシオペア》の
上り最終列車を『ご苦労様!頑張ったね』~悲喜交々で
見送った多くの方々がおられた事でしょうね!
[札幌―青森間]479.1キロを結ぶ夜行急行 《はまなす》
道内最後の《夜汽車》との惜別(3.22)を 迎えましたね!
北陸新幹線[東京駅-金沢駅間]が最速2時間28分で
結ばれた北陸新幹線金沢開業(2015.3.14)から1周年を
迎えた昨今も新幹線開業記念.各種イベントを繰り広げ
[駅を降りた人に 傘を差し出す もてなしの心]
金沢駅の玄関口~3,019枚のガラスを使用して明るく
雨にも濡れないドームを中心に盛り上がっていますね!
加賀藩.御膳所の老舗料亭{大友楼}九谷焼.輪島塗
華麗な器で舌鼓.そんな贅沢三昧は 叶わぬ小生の事
[JR金沢駅]でも{大友楼}の 駅弁を販売している聞き
前田家.梅の御紋が記された{利家御膳}を賞味致しました
{霊峰.白山}を遥かに眺め乍ら~俳聖松尾芭蕉も称賛
八泊九日もした[加賀温泉郷]山中温泉 {俳諧散歩}と洒落込んだものです
「此の川の くろ谷橋は 絶景の地也
行脚のたのしみ 奚にあり」 芭蕉
加賀.大聖寺川~[鶴仙渓]~奇岩怪石の立ち並ぶ
素晴らしい景観.渓谷美を 堪能致しました
[黒谷橋]⇒[こうろぎ橋]にかけて1.3Km
[鶴仙渓]の遊歩道を長閑に尋ねて観ました
山峡の加賀温泉街~薬師山~道明ヶ淵~黒谷橋
[黒谷橋]~松尾芭蕉が行脚の楽しみ ここにありと称賛した景勝地です
芭蕉は山中湯に“桃源郷”を見立てました
当時は 那谷道を通り [黒谷橋]を渡って多くの
旅人が山中を訪れたと伝えられています
[あやとりはし] 華道.草月流.家元.勅使河原宏先生
デザインのユニークなS字型.橋紅紫色と渓谷との
コントラストが見事に表現されていますね
[芭蕉堂] ~芭蕉翁を祀る御堂.全国の俳人によって
明治43年に建てられました
[芭蕉の館] ~芭蕉翁が泊まった泉屋に隣接し
扇屋別荘を改築.山中温泉最古の宿屋建築
昭和6年の大火にも類焼を免れた貴重な建物です
{やまなかや 菊は手折らじ ゆのにほひ}
[芭蕉の館]2階~[芭蕉.桃妖] 資料展示室
芭蕉が書き残した{やまなかや菊は~~}掛軸.真蹟
芭蕉像や扁額等々俳諧資料が公開展示!
曽良を伴い江戸から[奥の細道]の旅に出て山中温泉
八泊九日.四ヵ月に渡る[同行二人]の旅の終焉の地
芭蕉・曽良はそれぞれの思いを句に託しています!
{ゆきゆきて たふれ伏すとも 萩の原} 曾良
{今日よりや 書き付け消さん 笠の露} 芭蕉
芭蕉を敬愛していた俳人.蕪村は[奥の細道]の
全文に絵画をいれて写しています
蕪村筆[奥の細道]山中の段の後半ですね
[総湯・菊の湯] ~賀藩の藩営温泉.[白鷺発見伝説]や
[行基発見伝説]等もあり温泉街の中心に共同浴場
[菊の湯]=「総湯」とも呼ばれています
芭蕉も称賛した名湯とされ.女湯には[山中座]も
併設.前には足湯もあり春休み中の学生さん達も
湯につかり戯れていました
《菊の湯前の 石碑碑文》
『山中温泉はいまから千三百年ほど前 僧行基が北陸
行脚の際.発見しその後一時兵乱のため荒廃していましたが
文治年間.長谷部信連がこの地に鷹狩りの際一羽の白鷺が
芦の間の流れに傷脚を洗うのを見て霊泉の湧出するを知り
ここに浴槽を設けて以来八百年の歳月を経て次第に繁栄を
見るようになり 日本三名湯の 一つにもかぞえられ
特に元禄二年俳聖芭蕉をはじめ多くの文人墨客が訪れ
山中の名は年と共に著われ 殊に昭和六年大火の後は
湯の街の面目を一新し今に見る情緒豊かな温泉観光地が
形成されたのであります』
早春のお楽しみは[カニ汁大鍋]の振る舞い!
山中の冬の名物と言えば[大鍋の振る舞い]
山中温泉出身の料理人・道場六三郎氏監修
[こだわり食材]をつかった[かに汁大鍋]
山中漆器で頂いた[かに汁大鍋]の豊か味!
心の中まで温まり有難う御座いました
{漁火に 河鹿や波の 下むせび} 芭蕉
「此の川の くろ谷橋は 絶景の地也
行脚のたのしみ 奚にあり」 芭蕉