近畿地方は既に(梅雨入り)九州北部⇒関東 甲信
北陸.東北南部が梅雨入り⇒東北北部は梅雨入り
間近で日本海側は雨量が多く梅雨前線の活動の
程度如何で大雨になる恐れも有り御御注意下さい
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近鉄奈良駅に降りた途端に表玄関(行基菩薩広場)
(行基さん)で 市民に親しまれている(行基菩薩像)
(二月堂修二会.お水取り)で 所縁のある方々の
名前が記された過去帳が読み上げられていますが
聖武天皇.聖武天皇の母.聖武皇太后宮.3番目には
光明皇后の名が続き4番目に読み上げられるのが
「行基菩薩」ですね!
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私度僧で民衆から大変慕われ度々弾圧に根げずに
溜池15窪.橋6所.困窮者の為の「布施屋」等々
民衆と共に土木事業のリーダーとしても活躍された
(行基菩薩)⇒743年.聖武天皇に東大寺大仏造立の
実質上の責任者として招聘されています
『一枝の草.一握りの土を持ち寄るだけでもいい
出来るだけ多くの人々に参加してほしい』(行基)
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東大寺開眼法要が行われる3年前に生涯を閉じた
(行基さん)は常に(東大寺大仏殿・盧舎那大仏)を
穏やかな表情で見つめておられます
『行基の精神を引き継ぎ街のシンボルにしたい』
(再開発時に当時の元市長.鍵田忠三郎さん)
近鉄奈良駅の行基菩薩像は3代目で初代2代目は
当時.心無い人に壊されたり.雨風で傷んだ為に
平成7年台座のみが赤膚焼御本体はブロンズ像で
復元されました
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像を制作したのは約400年の歴史を持つ赤膚焼の
窯元(正人窯)(奈良) 元市長から依頼されたのは
七代目大塩正人さん(故人)約2年かけて作り上げ
「同じ型で作ったものが霊山寺(奈良)と九品寺
(奈良県御所市)にある」(正人窯.大塩正已さん)
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(霊山寺)は山門の通り沿い(九品寺)は本堂の脇に
行基菩薩像が安置されていますね!
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『霊山の 釈迦のみまへに 契りてし
真如くちせず あひみつるかな』
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「天竺より東大寺供養にあひに菩提がなぎさに
来つきたりける時よめる」(拾遺集)
天平勝宝四年(752)の東大寺開眼供養会に出仕
天竺から難波津の渚にこられた時に読んだ
「行基菩薩の歌」とされていますね
『霊山の 釈迦のみ前に 契りてし
ことな忘れそ 世はへだつとも』(良寛)
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仏教を布教する傍ら大規模な土木開発や社会福祉
事業を推進.東大寺の大仏殿建立に大きく貢献した
「行基菩薩」像を後に⇒新型コロナウイルス感染
拡大防止の為.臨時休館中の(県立美術館)では
感染防止対策を講じた上で5月19日から開館!
特別展(熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後
日本美術の力)を鑑賞致したく急いだものです!
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[熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後日本美術の力]
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1950年代後半⇒1970年代にかけ日本の現代美術を収集
大橋嘉一さんは1953年に東京藝術大学へ寄附され
「大橋賞」を設置する等日本の現代美術を支えました
大橋コレクション(2,000点)は奈良県立美術館.国立国際
美術館.大橋嘉一さんの母校.京都工芸繊維大学美術工芸
資料館に分割して寄贈~3館に分散したコレクションが
一堂に会するのは今回が初回.奈良県立美術館では戦後
昭和に躍動した画家たちの熱いエネルギーを感じられる
(秀作90点)が紹介されています
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第1展示室には戦前から創作活動に取り組む作家さん
桂ゆき.小山田二郎.杉全直.須田剋太等々作品!
(大橋コレクションに見る戦後日本美術の力)は
6つのコーナーで構成され第5室は大阪の前衛集団
「具体美術協会」を代表する白髪一雄.元永定正
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第6室は「奈良の現代作家―館蔵品から」
大橋嘉一が生前に東京藝術大学に寄付して設定された
「大橋賞」の受賞者.奈良出身の絹谷幸二.金森良泰の
作品等が展示されています
戦後の混乱期の中で新しい価値観や存在感を求めて
模索し挑戦する33人の芸術家による作品90点
戦後の激動の時代に活躍した画家の独創的で活力が
溢れあふれる(熱い絵画)ですね!
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特別展「よみがえる正倉院宝物-再現模造にみる
天平の技-」~(奈良国立博物館)
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新型コロナウイルス感染拡大防止の為.対策を講じ
5月19日より開幕予定でしたが残念乍ら開催期間は
2020年7月4日~9月6日(日)となりましたね
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元来正倉院宝物の模造製作は修理と一体の事業!
昭和47年(1972)からは宝物の材料や技法.構造
の忠実な再現に重点がおかれる様になったそうです
以来.人間国宝.伝統技術保持者の熟練の技と最新の
調査・研究成果との融合により芸術性・学術性の
高い優れた再現模造が数多く生み出されて来ました
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(よみがえる正倉院宝物-再現模造にみる天平の技)
国立博物館での開催が待ち遠しいものです!
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『ゆめの国 燃ゆべきものの 燃えぬ国
木の校倉の とはに立つ国』(森 鴎外)
北陸.東北南部が梅雨入り⇒東北北部は梅雨入り
間近で日本海側は雨量が多く梅雨前線の活動の
程度如何で大雨になる恐れも有り御御注意下さい
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近鉄奈良駅に降りた途端に表玄関(行基菩薩広場)
(行基さん)で 市民に親しまれている(行基菩薩像)
(二月堂修二会.お水取り)で 所縁のある方々の
名前が記された過去帳が読み上げられていますが
聖武天皇.聖武天皇の母.聖武皇太后宮.3番目には
光明皇后の名が続き4番目に読み上げられるのが
「行基菩薩」ですね!
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私度僧で民衆から大変慕われ度々弾圧に根げずに
溜池15窪.橋6所.困窮者の為の「布施屋」等々
民衆と共に土木事業のリーダーとしても活躍された
(行基菩薩)⇒743年.聖武天皇に東大寺大仏造立の
実質上の責任者として招聘されています
『一枝の草.一握りの土を持ち寄るだけでもいい
出来るだけ多くの人々に参加してほしい』(行基)
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東大寺開眼法要が行われる3年前に生涯を閉じた
(行基さん)は常に(東大寺大仏殿・盧舎那大仏)を
穏やかな表情で見つめておられます
『行基の精神を引き継ぎ街のシンボルにしたい』
(再開発時に当時の元市長.鍵田忠三郎さん)
近鉄奈良駅の行基菩薩像は3代目で初代2代目は
当時.心無い人に壊されたり.雨風で傷んだ為に
平成7年台座のみが赤膚焼御本体はブロンズ像で
復元されました
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像を制作したのは約400年の歴史を持つ赤膚焼の
窯元(正人窯)(奈良) 元市長から依頼されたのは
七代目大塩正人さん(故人)約2年かけて作り上げ
「同じ型で作ったものが霊山寺(奈良)と九品寺
(奈良県御所市)にある」(正人窯.大塩正已さん)
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(霊山寺)は山門の通り沿い(九品寺)は本堂の脇に
行基菩薩像が安置されていますね!
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『霊山の 釈迦のみまへに 契りてし
真如くちせず あひみつるかな』
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「天竺より東大寺供養にあひに菩提がなぎさに
来つきたりける時よめる」(拾遺集)
天平勝宝四年(752)の東大寺開眼供養会に出仕
天竺から難波津の渚にこられた時に読んだ
「行基菩薩の歌」とされていますね
『霊山の 釈迦のみ前に 契りてし
ことな忘れそ 世はへだつとも』(良寛)
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仏教を布教する傍ら大規模な土木開発や社会福祉
事業を推進.東大寺の大仏殿建立に大きく貢献した
「行基菩薩」像を後に⇒新型コロナウイルス感染
拡大防止の為.臨時休館中の(県立美術館)では
感染防止対策を講じた上で5月19日から開館!
特別展(熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後
日本美術の力)を鑑賞致したく急いだものです!
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[熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後日本美術の力]
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1950年代後半⇒1970年代にかけ日本の現代美術を収集
大橋嘉一さんは1953年に東京藝術大学へ寄附され
「大橋賞」を設置する等日本の現代美術を支えました
大橋コレクション(2,000点)は奈良県立美術館.国立国際
美術館.大橋嘉一さんの母校.京都工芸繊維大学美術工芸
資料館に分割して寄贈~3館に分散したコレクションが
一堂に会するのは今回が初回.奈良県立美術館では戦後
昭和に躍動した画家たちの熱いエネルギーを感じられる
(秀作90点)が紹介されています
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第1展示室には戦前から創作活動に取り組む作家さん
桂ゆき.小山田二郎.杉全直.須田剋太等々作品!
(大橋コレクションに見る戦後日本美術の力)は
6つのコーナーで構成され第5室は大阪の前衛集団
「具体美術協会」を代表する白髪一雄.元永定正
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第6室は「奈良の現代作家―館蔵品から」
大橋嘉一が生前に東京藝術大学に寄付して設定された
「大橋賞」の受賞者.奈良出身の絹谷幸二.金森良泰の
作品等が展示されています
戦後の混乱期の中で新しい価値観や存在感を求めて
模索し挑戦する33人の芸術家による作品90点
戦後の激動の時代に活躍した画家の独創的で活力が
溢れあふれる(熱い絵画)ですね!
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特別展「よみがえる正倉院宝物-再現模造にみる
天平の技-」~(奈良国立博物館)
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新型コロナウイルス感染拡大防止の為.対策を講じ
5月19日より開幕予定でしたが残念乍ら開催期間は
2020年7月4日~9月6日(日)となりましたね
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元来正倉院宝物の模造製作は修理と一体の事業!
昭和47年(1972)からは宝物の材料や技法.構造
の忠実な再現に重点がおかれる様になったそうです
以来.人間国宝.伝統技術保持者の熟練の技と最新の
調査・研究成果との融合により芸術性・学術性の
高い優れた再現模造が数多く生み出されて来ました
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(よみがえる正倉院宝物-再現模造にみる天平の技)
国立博物館での開催が待ち遠しいものです!
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『ゆめの国 燃ゆべきものの 燃えぬ国
木の校倉の とはに立つ国』(森 鴎外)
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