春日野は 今日はな焼きそ 若草の
つまもこもれり 我もこもれり
(古今和歌集 巻 壱)
明治33年から続く伝統行事・古都の炎の祭典!
古都奈良の新年を飾る炎の祭礼「若草山焼き」
今年(2021)は 新型コロナウイルス感染症拡大
防止の観点から「Withコロナ」を念頭に奈良
公園周辺での密集を避ける為.若草山へ入山
出来ず(花火を中止)する等.規模を縮小して開催
される予定でした~(令和3年1月23日)
自宅や離れた場所からでも 若草山焼き行事を
観賞出来る様.野上神社祭典等から山焼き迄の
(若草山焼き行事)の様子を(奈良公園室)の
YouTubeチャンネル「奈良公園-Nara Park」で
配信されるのを楽しみに待っていた次第です
令和3年1月23日当日.山麓で興福寺の僧侶らが
大型のたいまつを前に 読経等の 儀式を執り
たいまつに火を移し午後6時 若草山の中腹に
移動し枯れ草に点火を試みたが生憎の(降雨)で
枯れ草が燃えなかった様子ですね!
残念乍ら 「火が付かず終了」との 扱いとなり
ました.~若草山焼きが 雨で燃え広がらなかった
事は過去にも有りますが 明治33年から続く
古都の炎の祭典.冬の伝統行事!無念な限りです
『 きれいに燃えれば 景気も 良くなる』
山焼きを見ると一年が始まったという気持ちになる
地元の 人々の中にこんな声も聞かれましたが
奈良全体の防災.世界の人々の平安を祈願ですね!
古都.奈良の冬の風物詩・明治33年からの伝統行事
《若草山 山焼き》の 起 源 は?
{東大寺}と{興福寺}の領地争い?
若草山頂(鶯塚古墳)~前方後円墳近くに出る
霊魂を鎮める 杣人の祭礼?
江戸時代に火を放ったのが始まり?
若草山を年内~翌年の1月頃までに焼かなければ
翌年に何か不祥事件が起こると考えられていた!
等.種々な説がある様ですが--原始的な野焼きの
遺風~つまり 若草山の 芽生えを良くする為とも
数々 雑多に語り伝えられていますね!
いずれにしても古都の夜空を彩る若草山焼きは
明治33年から伝統行事として定着しています
皆さん方も萬葉のロマンを感じ乍らこの様な
(若草山の山焼き)起源の一考も如何でしょうか!
先人の鎮魂・慰霊~大和路から世界の人々へ
悠久.平安を祈る伝統行事ですね!
奈良公園近くの登大路町.奈良県立美術館では
江戸時代末期.浮世絵風景画の名手(歌川広重)の
浮世絵風景画展が催されています
「広重の名所江戸百景 併催:新収蔵品
新寄託品を中心に」企画展(奈良県立美術館)
(歌川広重.名所江戸百景 大はしあたけの夕立」
(歌川広重.東海道五十三次之内 庄野白雨」
(歌川広重.東都名所 吉原仲之町夜桜」
(葛飾北斎.富嶽三十六景 等が 展示されています
歌川広重の『名所江戸百景』を前期.後期に
分けて全点展覧され広重の(東都名所)や
(東海道)シリーズも展示されており浮世絵風
景画の魅力を堪能させれられますね!
大和文華館.浅野秀剛館長の講演会(2月14日)
「広重の名所江戸百景」も企画されています
奈良時代.に(称徳天皇の鎮護国家)の勅願により
創建され(南都七大寺)の寺格を有する(西大寺)
鎌倉時代.叡尊上人の興法利生の思念により再建
密.律双修の真言律.根本道場として有名ですね
(叡尊上人)が八幡宮に献茶した 余服のお茶を
民衆に振舞ったことに 由来する(茶儀)
(西大寺の大茶盛)~僧侶が直径30cm以上もある
大茶碗にお茶を点て お茶を回し飲みする様子は
例年.ご参加の皆さん和やかな雰囲気ですね
※新型コロナウイルス対策として残念乍ら一般
参拝の方の献茶はありません!
《西大寺新春企画・秘仏愛染明王特別公開》
西大寺.愛染堂内陣(1月15日~2月4日)
『愛情を清め高めてくださる 愛染明王さまを
拝観しご真言をお唱えされては如何でしょう
是非お参り下さい』と 呼びかけておられます
『白き蓮 天意のままに ひらきけり』(美代子)
(西大寺境内) 聚宝館入り口には奈良で晩年を
過ごした俳人.橋本多佳子さんの四女で俳句結社
(七曜)を主宰する橋本美代子さん母子の句碑が
仲良く並び建てられていますね
『いなびかり 北よりすれば 北を見る』(多佳子)