「県立商業」から(八回も校名が変遷)した母校!
同窓会(翔楓会)総会は例年5月の第3日曜日に
近鉄奈良駅に近い 奈良商工会議所(4~5F)で
開催されています⇒毎年の様に 出席している
小生ですが~恥ずかし乍ら 初めて参加させて
頂いたのが令和元年度「慰霊祭」(5.18)でした!
八十有余年に渡り大東亜戦争中も途絶える事無く
先輩諸兄姉の絶え間ない御尽力で 学校関係者
物故者の 御冥福を祈り黙祷を捧げて来られました
例年の様に挙行される「慰霊祭」は 公立高校では
稀有な事と聞いています!
令和元年度「慰霊祭」では卒業生7柱を合祀致し
(1758柱)の御霊の慰霊祭が 植村佳史兄(県議)の
進行により粛々と挙行され御遺族の方々も感謝の
言葉を述べられました. 役員席の片隅に居た
小生も 感無量になった次第です!『合掌』
「船橋学舎の跡 奈良県商業教育発祥の地」
(奈良県知事 上田繁清)
JR奈良駅から北へ油阪⇒「昭和」の香りを色濃く
残す店舗や町並みが広がっている船橋商店街!
奈良県商業教育発祥の地~(船橋学舎の跡)
現在は奈良県立大学になっていますが母校の
同窓会.翔楓会.総会の前には立ち寄っています!
打上佐保能河原之青柳者 今者春部登 成尓鶏類鴨
うちのぼる 佐保の川原の 青柳は
今は春べと なりにけるかも
大伴坂上郎女『萬葉集』 巻8-1433
有 朋 自 遠 方 来 不 亦 楽 乎
子曰 [学而時習之.不亦説乎.有朋自遠方来.
不亦楽乎.人不知而不慍、不亦君子乎]
子曰く[学びて時に之を習う.亦た説ばしからずや
朋有り.遠方より来たる.亦た楽しからずや。
人知らずとも慍みず.亦た君子ならずや。」
『論語』開巻第一の言葉ですね!
「県立商業」8回も校名が変遷「商字.翳せる一本楓」
三笠の山裾 青葉の庭に
商字 かざせる 一本楓
大正10年(1921) 郷土と商業の発展を期して開校!
校章を(ミネカエデ)の種と定め (商)を冠す
せかいに雄飛する楓の種子が (翔)すなわち
鳥が羽を広げて 飛ぶが如く願う
翔は[祥]に通じ目出度くまた隆盛の趣有り~~
大和国原 花野のはてに
商字 かざせる 一本楓
剛健進取の 楓を伸ばして
現はす力の 微はこれと
夕の光に 天とぶ木の実
令和元年度「翔楓会総会」奈良商工会議所( 5.19)
大正10年(1921)に開校して以来
[県立 商業]から{八回も 校名が変遷}
母校の同窓会(翔楓会)総会に出席致しました
「生きること 働くことの意義の認識を深め
よろこびの追求や 自ら学ぶ意欲を育てる」
[たくましい体力と 豊かな感性に支えられた
実践力を養う.社会の変化に主体的に対応できる
資質や能力を備えた 豊かで たくましい
人間を育成する[実業学校]としての教育目標は
平成の現在にも引き継がれていますね!
翔楓会 総会では 小生の恩師.藤本比呂史先生
(22期)の辯舌巧みな「記念講演」が今も
印象に残っています
例年は 植村佳史兄(県議)の(自由.明朗.快活)
ユーモアセンスで名司会.進行役で翔楓会総会は
可なり盛り上がりましたが 今年は来賓祝辞!
緑萌えたつ 青春の 夢よ 楓が実を結ぶ
奈良の都に根を深く「自由.明朗.闊達」の~
朋有り.遠方より来たる. 亦た楽しからずや
子曰 「学而時習之.不亦説乎.有朋自遠方来.
不亦楽乎. 人不知而不慍. 不亦君子乎」
同窓会(翔楓会)総会は例年5月の第3日曜日に
近鉄奈良駅に近い 奈良商工会議所(4~5F)で
開催されています⇒毎年の様に 出席している
小生ですが~恥ずかし乍ら 初めて参加させて
頂いたのが令和元年度「慰霊祭」(5.18)でした!
八十有余年に渡り大東亜戦争中も途絶える事無く
先輩諸兄姉の絶え間ない御尽力で 学校関係者
物故者の 御冥福を祈り黙祷を捧げて来られました
例年の様に挙行される「慰霊祭」は 公立高校では
稀有な事と聞いています!
令和元年度「慰霊祭」では卒業生7柱を合祀致し
(1758柱)の御霊の慰霊祭が 植村佳史兄(県議)の
進行により粛々と挙行され御遺族の方々も感謝の
言葉を述べられました. 役員席の片隅に居た
小生も 感無量になった次第です!『合掌』
「船橋学舎の跡 奈良県商業教育発祥の地」
(奈良県知事 上田繁清)
JR奈良駅から北へ油阪⇒「昭和」の香りを色濃く
残す店舗や町並みが広がっている船橋商店街!
奈良県商業教育発祥の地~(船橋学舎の跡)
現在は奈良県立大学になっていますが母校の
同窓会.翔楓会.総会の前には立ち寄っています!
打上佐保能河原之青柳者 今者春部登 成尓鶏類鴨
うちのぼる 佐保の川原の 青柳は
今は春べと なりにけるかも
大伴坂上郎女『萬葉集』 巻8-1433
有 朋 自 遠 方 来 不 亦 楽 乎
子曰 [学而時習之.不亦説乎.有朋自遠方来.
不亦楽乎.人不知而不慍、不亦君子乎]
子曰く[学びて時に之を習う.亦た説ばしからずや
朋有り.遠方より来たる.亦た楽しからずや。
人知らずとも慍みず.亦た君子ならずや。」
『論語』開巻第一の言葉ですね!
「県立商業」8回も校名が変遷「商字.翳せる一本楓」
三笠の山裾 青葉の庭に
商字 かざせる 一本楓
大正10年(1921) 郷土と商業の発展を期して開校!
校章を(ミネカエデ)の種と定め (商)を冠す
せかいに雄飛する楓の種子が (翔)すなわち
鳥が羽を広げて 飛ぶが如く願う
翔は[祥]に通じ目出度くまた隆盛の趣有り~~
大和国原 花野のはてに
商字 かざせる 一本楓
剛健進取の 楓を伸ばして
現はす力の 微はこれと
夕の光に 天とぶ木の実
令和元年度「翔楓会総会」奈良商工会議所( 5.19)
大正10年(1921)に開校して以来
[県立 商業]から{八回も 校名が変遷}
母校の同窓会(翔楓会)総会に出席致しました
「生きること 働くことの意義の認識を深め
よろこびの追求や 自ら学ぶ意欲を育てる」
[たくましい体力と 豊かな感性に支えられた
実践力を養う.社会の変化に主体的に対応できる
資質や能力を備えた 豊かで たくましい
人間を育成する[実業学校]としての教育目標は
平成の現在にも引き継がれていますね!
翔楓会 総会では 小生の恩師.藤本比呂史先生
(22期)の辯舌巧みな「記念講演」が今も
印象に残っています
例年は 植村佳史兄(県議)の(自由.明朗.快活)
ユーモアセンスで名司会.進行役で翔楓会総会は
可なり盛り上がりましたが 今年は来賓祝辞!
緑萌えたつ 青春の 夢よ 楓が実を結ぶ
奈良の都に根を深く「自由.明朗.闊達」の~
朋有り.遠方より来たる. 亦た楽しからずや
子曰 「学而時習之.不亦説乎.有朋自遠方来.
不亦楽乎. 人不知而不慍. 不亦君子乎」