『自然.注に曰.天に従ふを道と謂ひ.道に従ふを
自然と謂ふ』(芭蕉翁顕彰碑)『自然』
伊賀鉄道.上野市駅から上野丸之内.上野公園内の
『芭蕉翁記念館』を訪ねる前に通るのが伊賀市役所
『升かふて分別かわる月見かな』芭蕉の句碑が
有りますが.市役所表玄関の南に(芭蕉翁顕彰碑)
文学碑『自然』の匠案は伊賀出身の濱邊萬吉氏が
担当され 芭蕉の真筆を刻まれた~『自然』
「人法地.地法天.天法道.道法自然」(老子)
(人は地に法り.地は天に法り.天は道に法り.
道は自然に法る)「中庸」や「老子」に造詣が
深かった芭蕉が確立した蕉風体.俳諧の理念を
表す言葉として用いたと言われていますね!
上野公園内『芭蕉翁記念館』で伊賀上野の
語り部顧問の百上進一さんに現代俳句に至る.
懇切丁寧な御説明を受け乍ら(俳聖殿)迄
御一緒させて頂いた次第です
蝉時雨に癒され乍ら(芭蕉の旅姿)を模したと
される(俳聖殿)~(2010年)平成22年に国の
重要文化財に指定された(俳聖殿)で
芭蕉翁の面影を偲いでみました
上層の屋根が笠.下部が顔.下層のひさしは蓑と衣姿
堂は脚部.回廊の柱は杖と脚を~~下層八角形平面
上層円形平面の木造建築・屋根は桧皮葺!
芭蕉翁の旅姿をあらわす(俳聖殿)は昭和17年
芭蕉翁誕生300年を記念して故川崎克氏が私費を
投じて建設され.毎年10月12日の芭蕉逝去の日
俳聖殿前で市主催の(芭蕉祭)が催され応募された
献詠俳句・連句の特入選が発表されます!
平成29年度の芭蕉翁献詠俳句(English Haiku)
英語俳句の部~特選2句!
The war end day―A young soldier’s will says
“I will be a star.”(Japan・Kyoko Shimizu)
(終戦忌 星になるてふ 兵の遺書(自訳)
tinder-dry heathland cracked hooves of wild ponies
exploding seedpods (UK Sheila K. Barksdale)
(種薯割る 野馬のひづめ 荒野地帯)
一般の部・特選2句!
「冷奴どこを割ひてもわが昭和」(畑中継雄)むつ市
「文仁野の松に潮鳴る沖縄忌」(古波蔵里子)豊見城市
俳聖殿には芸術院会員長谷川栄作氏が原像.
川崎克氏が焼成した伊賀焼きの芭蕉翁瞑想像が
安置され芭蕉祭当日に表彰される顕詠俳句
特選句が飾られています!
『 蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 』(蓑虫庵)
芭蕉五庵(無名庵.西麗庵.東麗庵.瓢竹庵.蓑虫庵)
唯一現存するのが芭蕉翁の門人.服部土芳の草庵
貞享5年(1688))3月に芭蕉が訪れ庵開きのお祝いに
贈った「蓑虫の 音を聞きに来よ 草の庵」の句に
因んで『蓑虫庵』と名付けられたそうですね!
昭和13年県指定文化財史跡.名勝に指定!
門人.服部土芳はここで芭蕉翁の遺語を集めて
(三冊子)を執筆していますね!
(蓑虫庵)を跡に伊賀市内の一部(芭蕉句碑)
巡りと 洒落んだ次第です!
[やまざとはまんざい遅し梅花](芭蕉)上野公園東入口
[さまざまの事おもひ出す桜哉](桃青) 上野公園
[よくみればなづな花さく垣ねかな](はせを)蓑虫庵
[古池や蛙飛びこむ水の音」(はせを) 蓑虫庵
[閑さや岩にしみ入る蝉の声](芭蕉)ふるさと芭蕉の森
[行秋や手をひろげたる栗のいが](芭蕉) 芭蕉の森
[旅人と我名よばれん初しぐれ] (芭蕉) 芭蕉の森
「草臥て宿かる比や藤の花」(芭蕉翁)ふじ旅館
「自然注曰従天謂道従道謂自然矣」
(東野芭蕉桑門)伊賀市役所前
「月ぞしるべ こなたへ入せ 旅の宿」(芭蕉)
JR 伊賀上野駅
The war end day―A young soldier’s will says
“I will be a star.”(Japan・Kyoko Shimizu)
(終戦忌 星になるてふ 兵の遺書(自訳)
No more Hiroshima! No more Nagasaki!
73回目の{終戦記念日}戦没者を追悼し 国民の
全てが心から平和を祈念する日が間近です!
鳴神の 音のみ聞きし巻向の 檜原の山を
今日見つるかも {柿本朝臣人麻呂歌集}
『山を 詠む』 (萬葉 巻 7-1092)
自然と謂ふ』(芭蕉翁顕彰碑)『自然』
伊賀鉄道.上野市駅から上野丸之内.上野公園内の
『芭蕉翁記念館』を訪ねる前に通るのが伊賀市役所
『升かふて分別かわる月見かな』芭蕉の句碑が
有りますが.市役所表玄関の南に(芭蕉翁顕彰碑)
文学碑『自然』の匠案は伊賀出身の濱邊萬吉氏が
担当され 芭蕉の真筆を刻まれた~『自然』
「人法地.地法天.天法道.道法自然」(老子)
(人は地に法り.地は天に法り.天は道に法り.
道は自然に法る)「中庸」や「老子」に造詣が
深かった芭蕉が確立した蕉風体.俳諧の理念を
表す言葉として用いたと言われていますね!
上野公園内『芭蕉翁記念館』で伊賀上野の
語り部顧問の百上進一さんに現代俳句に至る.
懇切丁寧な御説明を受け乍ら(俳聖殿)迄
御一緒させて頂いた次第です
蝉時雨に癒され乍ら(芭蕉の旅姿)を模したと
される(俳聖殿)~(2010年)平成22年に国の
重要文化財に指定された(俳聖殿)で
芭蕉翁の面影を偲いでみました
上層の屋根が笠.下部が顔.下層のひさしは蓑と衣姿
堂は脚部.回廊の柱は杖と脚を~~下層八角形平面
上層円形平面の木造建築・屋根は桧皮葺!
芭蕉翁の旅姿をあらわす(俳聖殿)は昭和17年
芭蕉翁誕生300年を記念して故川崎克氏が私費を
投じて建設され.毎年10月12日の芭蕉逝去の日
俳聖殿前で市主催の(芭蕉祭)が催され応募された
献詠俳句・連句の特入選が発表されます!
平成29年度の芭蕉翁献詠俳句(English Haiku)
英語俳句の部~特選2句!
The war end day―A young soldier’s will says
“I will be a star.”(Japan・Kyoko Shimizu)
(終戦忌 星になるてふ 兵の遺書(自訳)
tinder-dry heathland cracked hooves of wild ponies
exploding seedpods (UK Sheila K. Barksdale)
(種薯割る 野馬のひづめ 荒野地帯)
一般の部・特選2句!
「冷奴どこを割ひてもわが昭和」(畑中継雄)むつ市
「文仁野の松に潮鳴る沖縄忌」(古波蔵里子)豊見城市
俳聖殿には芸術院会員長谷川栄作氏が原像.
川崎克氏が焼成した伊賀焼きの芭蕉翁瞑想像が
安置され芭蕉祭当日に表彰される顕詠俳句
特選句が飾られています!
『 蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 』(蓑虫庵)
芭蕉五庵(無名庵.西麗庵.東麗庵.瓢竹庵.蓑虫庵)
唯一現存するのが芭蕉翁の門人.服部土芳の草庵
貞享5年(1688))3月に芭蕉が訪れ庵開きのお祝いに
贈った「蓑虫の 音を聞きに来よ 草の庵」の句に
因んで『蓑虫庵』と名付けられたそうですね!
昭和13年県指定文化財史跡.名勝に指定!
門人.服部土芳はここで芭蕉翁の遺語を集めて
(三冊子)を執筆していますね!
(蓑虫庵)を跡に伊賀市内の一部(芭蕉句碑)
巡りと 洒落んだ次第です!
[やまざとはまんざい遅し梅花](芭蕉)上野公園東入口
[さまざまの事おもひ出す桜哉](桃青) 上野公園
[よくみればなづな花さく垣ねかな](はせを)蓑虫庵
[古池や蛙飛びこむ水の音」(はせを) 蓑虫庵
[閑さや岩にしみ入る蝉の声](芭蕉)ふるさと芭蕉の森
[行秋や手をひろげたる栗のいが](芭蕉) 芭蕉の森
[旅人と我名よばれん初しぐれ] (芭蕉) 芭蕉の森
「草臥て宿かる比や藤の花」(芭蕉翁)ふじ旅館
「自然注曰従天謂道従道謂自然矣」
(東野芭蕉桑門)伊賀市役所前
「月ぞしるべ こなたへ入せ 旅の宿」(芭蕉)
JR 伊賀上野駅
The war end day―A young soldier’s will says
“I will be a star.”(Japan・Kyoko Shimizu)
(終戦忌 星になるてふ 兵の遺書(自訳)
No more Hiroshima! No more Nagasaki!
73回目の{終戦記念日}戦没者を追悼し 国民の
全てが心から平和を祈念する日が間近です!
鳴神の 音のみ聞きし巻向の 檜原の山を
今日見つるかも {柿本朝臣人麻呂歌集}
『山を 詠む』 (萬葉 巻 7-1092)