僧鑑真和上が聖武天皇に招かれ 幾度にも及ぶ苦難を
過て来日を果たし 天平宝字3(759)年 新田部親王の
旧邸を賜り創建された 鑑真和上の発願による私院
とも言える『唐招提寺』
唐招提寺 境内には 金堂.講堂.校倉(2棟).鼓楼は
国宝ですが 伽藍が立ち並んでいます
天平彫刻の傑作も数多く特に『鑑真和上像(国宝)は
わが国に現存する最古の肖像彫刻で 開山堂前には
鑑真和上像に対面して芭蕉が詠んだ有名な(句碑)が
立てられています
『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』
唐招提寺 開山堂で鑑真像を拝み詠う 芭 蕉
鑑真和上が 天平宝字七年(763) 5月6日 結跏趺坐し
西に面し七十六年間の 生涯を終えらましたが
弟子 忍基は講堂の棟や梁のくじける夢を見て
鑑真和上の遷化近いこと予感!
高80㎝ 脱活乾漆造り穏やかな微笑--眼許から
顎にかけて 感じられる 強い意志!
そんな和上の像を刻んだと言われていますね!
筋骨逞しい体膈---拝する人々の 心に迫り
静まり返っている盲いた双つの眼 (鑑真和上坐像)
鑑真和上が亡くなってから九百年後.元禄元年四月
芭蕉は唐招提寺 鐘楼の北側の鑑真の往坊跡に
建てられていた開山堂で鑑真像を拝んで
『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』と詠った作品
芭蕉は鑑真像の盲いた双の眼に露わならぬ悲しみ
涙を感じとり----辺りは若葉で埋まっていて
その若葉で御眼の涙をぬぐって差し上げたい
そんな気持ちが伝わってきますね!
盲いた眼を持って日本に渡って来られた鑑真像を
拝した時. 静かに閉じられている双の眼に打たれました
『天平の甍』の著者井上靖は『おん目の雫』と
題する著述で芭蕉の句についてこの様に書いています
「芭蕉は鑑真像の 盲いた双の眼に それと露わならぬ
悲しみの 涙を感じ取ったのである
天平8年前後は 鑑真にとっては最も苦しい時期で
あった その苦しい時期のことを思い出す度に必ず
榮叡と祥彦の二人は鑑真の瞼の上に浮かんできたに
違いないと思う そして その都度 鑑真の盲いた
眼は 何ものでも 拭うことができぬ涙であった
ことであろうと思う---芭蕉はその涙を 若葉で
ぬぐって差し上げたいと思うたのである}(井上靖)
『自分の血を 蚊に与えるのも仏の道である』
[覚盛さんが大切にした 不殺生の精神をうちわ
から感じて頂きたいです]~(石田太一執事長)
唐招提寺中興の祖『覚盛上人』の命日(5月19日)
上人の遺徳を偲び 講堂.鼓楼て 中興忌梵網会
厳修されています
令和4年5月19日は新型コロナウィルス感染症の
流行状況に鑑み一部変更させて頂きます
御寛容下さいます様 伏してお願い申し上げます
*『唐招提寺』からのお知らせです
*(令和4年5月19日(木)
13時:中興忌梵網会(於講堂)※南都晃燿会の
舞楽奉納は規模を縮小して堂内で行います。
15時:うちわまき法会(於鼓楼)
※参拝者(例年500名)対象の「うちわまき」を
中止し これを関係者のみで行います。
「魔除けの宝扇」の抽選は見送らせて頂きます。
9時~16時:覚盛上人坐像(重文)の 特別開帳
※中興堂にて堂外から御参拝頂けます
僧侶が(国宝の鼓楼)から 約50本の(うちわ)が
午後3時 鐘の音を合図に数回に分けて投げられ
約20人の参加者が(魔よけ)の意味があるという
(うちわ)を 両手を広げ受け止めていましたね
蚊を叩かずとも(扇子)で払ってあげよう!
鎌倉時代に活躍された「唐招提寺中興の祖」
大悲菩薩覚盛上人.修行中に蚊に刺されている
御姿を見た弟子が蚊を叩き潰そうとした際
(自分の血を 蚊に与えるのも~)と言われた
厳格に仏道に邁進する上人が亡くなった後
蚊を叩かずとも(扇子)で払ってあげよう!
(ハート形のうちわ)を「法華寺」の尼僧が
覚盛上人の功績を偲びながらお供えした
中興忌梵網会法要の後の「うちわまき」行事
(うちわ)は災厄から免れる(魔除けのうちわ)
唐招提寺の金堂.講堂の東側の「鼓楼」上から
「うちわまき」~うちわが撒かれるのが例年
5月19日の15時からとなっていました
サンスクリット語の真言が書かれた ハート形の
(宝扇)(うちわ)を赤い和紙で1本ずつ丁寧に縁取り
「うちわには 虫よけ. 厄よけの意味があり
感染症を早く取りのぞいてほしいという
願いを込めた伝統を絶やさないように
法要を続けます」
「長い歴史の中では こんな事もある .試行錯誤し
乍ら伝統の行事の 思いだけは 伝えていきたい」
昨年に続き 規模の縮小を.岡本長老は語っています
「ハート形のうちわには千手観音と烏枢沙摩明王の
真言が書かれている. 烏枢沙摩明王は不浄なものを
清める仏と言われている. 近くの農家の人たちが
田植えの前このうちわであおいで害虫がつかない様
願った~お寺の行事には長い伝統のなかで蓄積され
人から人へ伝わった思いがある.大切に次の代に
引き継いでいきたい」
『大寺の まろき柱の 月かげを
土に踏みつつ ものをこそ思へ』(会津八一)
律宗.総本山.唐招提寺で唯一現存する奈良時代
8世紀後半に建立された(寄棟造の金堂.建築)
唐招提寺南大門から境内に入ると正面に堂々たる
(エンタシス柱)が印象的で独特の厳かな(金堂)
唐招提金堂の 近く西方には『會津八一.歌碑』
『おほてらの まろき はしらの つきかげを
つちに ふみつつ ものをこそ おもへ』
會津八一は『おほてらの まろきはしら』を
(法隆寺.西院伽藍)で~(唐招提寺)では
『つちに ふみつつ ものをこそ おもへ』と詠み
据えたと振り返っている(會津八一全集.鹿鳴集)
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過て来日を果たし 天平宝字3(759)年 新田部親王の
旧邸を賜り創建された 鑑真和上の発願による私院
とも言える『唐招提寺』
唐招提寺 境内には 金堂.講堂.校倉(2棟).鼓楼は
国宝ですが 伽藍が立ち並んでいます
天平彫刻の傑作も数多く特に『鑑真和上像(国宝)は
わが国に現存する最古の肖像彫刻で 開山堂前には
鑑真和上像に対面して芭蕉が詠んだ有名な(句碑)が
立てられています
『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』
唐招提寺 開山堂で鑑真像を拝み詠う 芭 蕉
鑑真和上が 天平宝字七年(763) 5月6日 結跏趺坐し
西に面し七十六年間の 生涯を終えらましたが
弟子 忍基は講堂の棟や梁のくじける夢を見て
鑑真和上の遷化近いこと予感!
高80㎝ 脱活乾漆造り穏やかな微笑--眼許から
顎にかけて 感じられる 強い意志!
そんな和上の像を刻んだと言われていますね!
筋骨逞しい体膈---拝する人々の 心に迫り
静まり返っている盲いた双つの眼 (鑑真和上坐像)
鑑真和上が亡くなってから九百年後.元禄元年四月
芭蕉は唐招提寺 鐘楼の北側の鑑真の往坊跡に
建てられていた開山堂で鑑真像を拝んで
『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』と詠った作品
芭蕉は鑑真像の盲いた双の眼に露わならぬ悲しみ
涙を感じとり----辺りは若葉で埋まっていて
その若葉で御眼の涙をぬぐって差し上げたい
そんな気持ちが伝わってきますね!
盲いた眼を持って日本に渡って来られた鑑真像を
拝した時. 静かに閉じられている双の眼に打たれました
『天平の甍』の著者井上靖は『おん目の雫』と
題する著述で芭蕉の句についてこの様に書いています
「芭蕉は鑑真像の 盲いた双の眼に それと露わならぬ
悲しみの 涙を感じ取ったのである
天平8年前後は 鑑真にとっては最も苦しい時期で
あった その苦しい時期のことを思い出す度に必ず
榮叡と祥彦の二人は鑑真の瞼の上に浮かんできたに
違いないと思う そして その都度 鑑真の盲いた
眼は 何ものでも 拭うことができぬ涙であった
ことであろうと思う---芭蕉はその涙を 若葉で
ぬぐって差し上げたいと思うたのである}(井上靖)
『自分の血を 蚊に与えるのも仏の道である』
[覚盛さんが大切にした 不殺生の精神をうちわ
から感じて頂きたいです]~(石田太一執事長)
唐招提寺中興の祖『覚盛上人』の命日(5月19日)
上人の遺徳を偲び 講堂.鼓楼て 中興忌梵網会
厳修されています
令和4年5月19日は新型コロナウィルス感染症の
流行状況に鑑み一部変更させて頂きます
御寛容下さいます様 伏してお願い申し上げます
*『唐招提寺』からのお知らせです
*(令和4年5月19日(木)
13時:中興忌梵網会(於講堂)※南都晃燿会の
舞楽奉納は規模を縮小して堂内で行います。
15時:うちわまき法会(於鼓楼)
※参拝者(例年500名)対象の「うちわまき」を
中止し これを関係者のみで行います。
「魔除けの宝扇」の抽選は見送らせて頂きます。
9時~16時:覚盛上人坐像(重文)の 特別開帳
※中興堂にて堂外から御参拝頂けます
僧侶が(国宝の鼓楼)から 約50本の(うちわ)が
午後3時 鐘の音を合図に数回に分けて投げられ
約20人の参加者が(魔よけ)の意味があるという
(うちわ)を 両手を広げ受け止めていましたね
蚊を叩かずとも(扇子)で払ってあげよう!
鎌倉時代に活躍された「唐招提寺中興の祖」
大悲菩薩覚盛上人.修行中に蚊に刺されている
御姿を見た弟子が蚊を叩き潰そうとした際
(自分の血を 蚊に与えるのも~)と言われた
厳格に仏道に邁進する上人が亡くなった後
蚊を叩かずとも(扇子)で払ってあげよう!
(ハート形のうちわ)を「法華寺」の尼僧が
覚盛上人の功績を偲びながらお供えした
中興忌梵網会法要の後の「うちわまき」行事
(うちわ)は災厄から免れる(魔除けのうちわ)
唐招提寺の金堂.講堂の東側の「鼓楼」上から
「うちわまき」~うちわが撒かれるのが例年
5月19日の15時からとなっていました
サンスクリット語の真言が書かれた ハート形の
(宝扇)(うちわ)を赤い和紙で1本ずつ丁寧に縁取り
「うちわには 虫よけ. 厄よけの意味があり
感染症を早く取りのぞいてほしいという
願いを込めた伝統を絶やさないように
法要を続けます」
「長い歴史の中では こんな事もある .試行錯誤し
乍ら伝統の行事の 思いだけは 伝えていきたい」
昨年に続き 規模の縮小を.岡本長老は語っています
「ハート形のうちわには千手観音と烏枢沙摩明王の
真言が書かれている. 烏枢沙摩明王は不浄なものを
清める仏と言われている. 近くの農家の人たちが
田植えの前このうちわであおいで害虫がつかない様
願った~お寺の行事には長い伝統のなかで蓄積され
人から人へ伝わった思いがある.大切に次の代に
引き継いでいきたい」
『大寺の まろき柱の 月かげを
土に踏みつつ ものをこそ思へ』(会津八一)
律宗.総本山.唐招提寺で唯一現存する奈良時代
8世紀後半に建立された(寄棟造の金堂.建築)
唐招提寺南大門から境内に入ると正面に堂々たる
(エンタシス柱)が印象的で独特の厳かな(金堂)
唐招提金堂の 近く西方には『會津八一.歌碑』
『おほてらの まろき はしらの つきかげを
つちに ふみつつ ものをこそ おもへ』
會津八一は『おほてらの まろきはしら』を
(法隆寺.西院伽藍)で~(唐招提寺)では
『つちに ふみつつ ものをこそ おもへ』と詠み
据えたと振り返っている(會津八一全集.鹿鳴集)
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