卓球競技活動において、いや、それに限ったことではなく、多分人生全てにおいて、自分自身の置かれた立場や活動内容を、その方向性も短期的、中長期的にと、いろいろな角度から考えることが必要不可欠だと思っているし、そうあり続けること、し続けることで、思考能力も日進月歩、一朝一夕とはいかないけれど、少なからず成長していけるものだと思っている。
車椅子で卓球活動を始めて7年目。
最近は自分自身でもその点における成長をより実感できるようになってきた。
今まではおぼろげなイメージだったものが、より明確になってきたし、これまでは人の言葉をお借りして表現していたものが、自分の言葉でも表現できるようになってきたり、一つの動きを見て判断できる幅が以前よりもだいぶ広がっている、より明確なものになっている感覚がある。
あくまでも自分基準でしかないけれど(笑)
何が正しくて何が間違っているのか?
そもそも、自分基準という物差し自体正しいものなのか?
自分の進もうとする方向性は間違ってはいないのか?
自問自答することから、暗中模索、疑心暗鬼な感情も常に持っている。
いや、持っていた。
「自分はこれでいく!」
と、それこそ「心に決めて」、「胸を張って」突き進むのだと決めたのは結構早い段階。
まぁ、若気の至りとか、根拠のない自信というか裏付けのない勢いという感じのもの。
40代の狂い咲きみたいなものかな?(笑)
でも、その根拠のない自信に根拠がつき始めた気がしている。
ようやく、中身が追い付いてきた感がある。
それはなぜ?
自分で言うのもなんだけど、知識という情報がより蓄えられ、それをより早く処理できる能力が養われてきたこと。
そうすることで視野も思考も広がり、より多くの情報を得ることも出来、知識を知恵へと昇華できるような感がある。
考え続けるから答えにたどり着く、そんな感じで、自身の成長を確信しているし、今の活動に手ごたえを感じている。
それは間違いなく、卓球の経験値が上がったからというものだけではなく、これまでのすべてにおける人生経験の賜物でもあると思う。
多分、仕事で養われた集中力と記憶力の恩恵もあり、それが自分の活動を後押ししてくれている。
そして一番大きな違いは、その頭の働きに伴った体の動きがよりスムーズになったというか、頭と体のギャップがより小さくなっているような、それを実感できていることが一番の要因だと思う。
これはコーチとトレーナーの、そのご指導に基づく活動の成果だと実感している。
これもまた一朝一夕でどうにかなるものではないと思う。
でも、積み重ねようとしてきたものに、ようやくそれなりの高さが出来てきたことだと思っているし、これまで積み重ねてきたものが、ひとつのきっかけで開花した、そんな感覚もある。
積み重ねたその高さは、まだまだ足りていないけれど、この実感が大きなモチベーションとなっているのは間違いない。
40代でも身体を成長させることは出来るわけで、脊髄損傷という中途障害であればこそ、自身の体の動きに「ハンディキャップ」は間違いなくあるけれど、その分、自分が持つ可能性も一般の40代より大きいものだと思っている。
いや、思えるようになった。
これは卓球という競技特性にもよると思う。
いずれにしても、今僕はスポーツの恩恵をものすごく感じている。
「失ったものを嘆くのではなく、今そこにあるものを最大限に活かせ!」
は、障害者(中途障害?)のポリシー。
でもそれは身体という物理的なものに限ったことではなく、思考や想像も含め、それこそ自分自身の生命活動全てにおいて言えることであり、そうなってくるとそれは何も障害者に限ったことではなくすべての人に共通するものと言える気がする。
話が大きくなってきた(笑)
まぁそれくらい自分自身の成長を実感できているということで、それだけ思考も高まっているということ。
車椅子である以上、「卓球」といっても一般のそれとは技術も戦術も似て異なるところが多々ある。
某超強豪大学OBの方も「車椅子の卓球はやっぱり全然違ってくるね」と繰り返し言われる。
細かな技術からプレースタイル、身体の使い方、それに伴うトレーニングにおいても、障害を持つ「普通」ではない身体であることもあり、明確な指導を行える人が日本にはいないのが現状。
ベテラン選手も現役として活動を続けているので、経験者が指導者になるというのも未だない。
だから、僕を含め日本の車椅子選手は独自のスタイルで活動を行っている。
仲間であると同時にライバルでもあるから、幕内を見せたくはないという心情も当然ある。
逆に、「俺はこれだけやってるぜ!」と自慢したい心理もあるはず。
いずれにしても、みんないろいろ考えながら頑張っているのだ。
僕も、ようやく今までのものが形になり始めた。
自分が目指し、イメージしてきたものが、ようやく掴めてきた感がある。
そして、さらなるステップアップのために、もっとハードルを上げていく必要もある。
と同時に、ケアもしっかり行っていかなければならない。
これから先が楽しみで仕方ない。
早く自分を試したい。
でも、今はまだその時ではない。
急いては事を仕損じる。
迎えに行かない。
引き付けてしっかり打つ。
頭、そして身体。
良い感じになってきた。
あとは心も鍛えなきゃいけない。
よし、頑張ろう!
車椅子で卓球活動を始めて7年目。
最近は自分自身でもその点における成長をより実感できるようになってきた。
今まではおぼろげなイメージだったものが、より明確になってきたし、これまでは人の言葉をお借りして表現していたものが、自分の言葉でも表現できるようになってきたり、一つの動きを見て判断できる幅が以前よりもだいぶ広がっている、より明確なものになっている感覚がある。
あくまでも自分基準でしかないけれど(笑)
何が正しくて何が間違っているのか?
そもそも、自分基準という物差し自体正しいものなのか?
自分の進もうとする方向性は間違ってはいないのか?
自問自答することから、暗中模索、疑心暗鬼な感情も常に持っている。
いや、持っていた。
「自分はこれでいく!」
と、それこそ「心に決めて」、「胸を張って」突き進むのだと決めたのは結構早い段階。
まぁ、若気の至りとか、根拠のない自信というか裏付けのない勢いという感じのもの。
40代の狂い咲きみたいなものかな?(笑)
でも、その根拠のない自信に根拠がつき始めた気がしている。
ようやく、中身が追い付いてきた感がある。
それはなぜ?
自分で言うのもなんだけど、知識という情報がより蓄えられ、それをより早く処理できる能力が養われてきたこと。
そうすることで視野も思考も広がり、より多くの情報を得ることも出来、知識を知恵へと昇華できるような感がある。
考え続けるから答えにたどり着く、そんな感じで、自身の成長を確信しているし、今の活動に手ごたえを感じている。
それは間違いなく、卓球の経験値が上がったからというものだけではなく、これまでのすべてにおける人生経験の賜物でもあると思う。
多分、仕事で養われた集中力と記憶力の恩恵もあり、それが自分の活動を後押ししてくれている。
そして一番大きな違いは、その頭の働きに伴った体の動きがよりスムーズになったというか、頭と体のギャップがより小さくなっているような、それを実感できていることが一番の要因だと思う。
これはコーチとトレーナーの、そのご指導に基づく活動の成果だと実感している。
これもまた一朝一夕でどうにかなるものではないと思う。
でも、積み重ねようとしてきたものに、ようやくそれなりの高さが出来てきたことだと思っているし、これまで積み重ねてきたものが、ひとつのきっかけで開花した、そんな感覚もある。
積み重ねたその高さは、まだまだ足りていないけれど、この実感が大きなモチベーションとなっているのは間違いない。
40代でも身体を成長させることは出来るわけで、脊髄損傷という中途障害であればこそ、自身の体の動きに「ハンディキャップ」は間違いなくあるけれど、その分、自分が持つ可能性も一般の40代より大きいものだと思っている。
いや、思えるようになった。
これは卓球という競技特性にもよると思う。
いずれにしても、今僕はスポーツの恩恵をものすごく感じている。
「失ったものを嘆くのではなく、今そこにあるものを最大限に活かせ!」
は、障害者(中途障害?)のポリシー。
でもそれは身体という物理的なものに限ったことではなく、思考や想像も含め、それこそ自分自身の生命活動全てにおいて言えることであり、そうなってくるとそれは何も障害者に限ったことではなくすべての人に共通するものと言える気がする。
話が大きくなってきた(笑)
まぁそれくらい自分自身の成長を実感できているということで、それだけ思考も高まっているということ。
車椅子である以上、「卓球」といっても一般のそれとは技術も戦術も似て異なるところが多々ある。
某超強豪大学OBの方も「車椅子の卓球はやっぱり全然違ってくるね」と繰り返し言われる。
細かな技術からプレースタイル、身体の使い方、それに伴うトレーニングにおいても、障害を持つ「普通」ではない身体であることもあり、明確な指導を行える人が日本にはいないのが現状。
ベテラン選手も現役として活動を続けているので、経験者が指導者になるというのも未だない。
だから、僕を含め日本の車椅子選手は独自のスタイルで活動を行っている。
仲間であると同時にライバルでもあるから、幕内を見せたくはないという心情も当然ある。
逆に、「俺はこれだけやってるぜ!」と自慢したい心理もあるはず。
いずれにしても、みんないろいろ考えながら頑張っているのだ。
僕も、ようやく今までのものが形になり始めた。
自分が目指し、イメージしてきたものが、ようやく掴めてきた感がある。
そして、さらなるステップアップのために、もっとハードルを上げていく必要もある。
と同時に、ケアもしっかり行っていかなければならない。
これから先が楽しみで仕方ない。
早く自分を試したい。
でも、今はまだその時ではない。
急いては事を仕損じる。
迎えに行かない。
引き付けてしっかり打つ。
頭、そして身体。
良い感じになってきた。
あとは心も鍛えなきゃいけない。
よし、頑張ろう!
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