に出場しました。
毎年夏と冬に開催されている恒例の一般の団体戦です。
江戸川区は卓球人口も多いので男子団体戦は1部から7部まであるのですが、僕は所属チーム中最も下の5部で出場。
といっても5部ともなればだんだんレベルも上がってくるので車椅子の僕でどこまで通用する?と、健常者を相手にどうプレーするかと自分なりにイメージしたりと、楽しみと不安が交錯する感じでした。
5チームのリーグ戦のところ、1つ棄権が生じたため4チームで3試合ということに。
で、チームは2勝1敗の2位。
僕は2試合出場して1勝1敗でした。
1勝できたのは良かったけど、負けた試合が悔しい。
内容が悔やまれるものなのでした。
相手はベテランのカットマン。
そもそもカットマンとの対戦を想定していなかったのが反省点。
試合序盤は自分がペースを掴めた感もあったから良かったけど、ミスがない、安定感抜群の方なので僕の方が焦ってしまい、1セット目終盤には相手の術中にハマる感じで逆転をゆるし、その後はそのままの流れで0-3で敗退。
冷静でいればもう少しマシな試合が出来ていたかなと、その点が大きな反省と悔しさの要因。
もう一試合はベテランの変化形ペンホルダーの方。
裏面も貼って強烈な回転のサーブから変化の大きなボールでラリー戦に持ち込む感じ。
1セット目は僕のサーブからの展開が優位に運べたので勝利。
でも2セット目は相手サーブに苦しめられたり、凄いボールを決められたりして落とす。
そこで冷静さを失わなかったのが功を奏し(笑)、3セット目からは相手の弱いと思える部分を狙っていき、またレシーブの際も修正を入れた結果3-1で勝つことが出来た。
自分なりに頭を使ってプレーできたのは、脳筋の僕としては高評価に値する(笑)
でもそれはフィジカル等のコンディションの良さに支えられての結果だと思う。
だから判断が出来たのだろうし、行動が出来たのだと思う。
自分で言うのもなんだけど、トレーニングの積み重ねの現れと捉えることが出来、その点がこの試合の一番の評価だと思える。
そして思いのほか試合が早く終わったので、その足でパラの方の強化練習会に参加。
試合の為欠席の連絡をしていたけど、終わった時点でこれなら参加できると急遽向かうことに。
そこで試合の反省を兼ねた良い練習が出来たのでした。
でも帰宅すると思いのほか疲労感がある。
やはり2試合だけとはいえ緊張感のある試合だったから、そういう点で無自覚の疲労もあったのでしょう。
でもその分いい勉強も出来たし、その後の練習も良い時間にすることが出来ました。
車椅子の自分が一般の方と一緒に卓球をやる、プレーをする。
車椅子という分かりやすいハンディキャッパーを目の当たりにした時に、人は意識せずとも何かしらの気を遣うものだと思います。
それは人として自然な感覚であり、優しさが起こす自然な行為だと思います。
でも、「それどころじゃない!」というプレッシャーを相手に与えることが出来るか、それだけの力を示すことが出来るか、僕がそれを示すことが出来て初めてお互いがイーブンに試合が出来るのだとも思います。
相手のレベルが高ければ自分のレベルもそれに応じたものでないと、結局は相手に気を遣わせてしまうだけに過ぎない。
だから、まずは自分がどうあるか、どうあるべきか、それを常に心がけて自分を環境に適応できるように磨いていく努力も不可欠だと思います。
それが共生社会のリアルでしょう。
卓球の場合、車椅子にだけ特別なルールが存在します。
だから「車椅子の自分にルールを合わせてください」と主張することは出来ます。
それを相手に「主張する」、でもそれは表現を変えると相手に「強要する」ということにもなりかねない。
目の前に現れた初見の車椅子選手から突然強要され、いつも通りにプレーできないとなると、決して心地よいものではないかもしれない。
その印象は少なからず引きずるものだと思うし、車椅子プレーヤー全体の印象に影響を及ぼしかねないものになるとも思います。
こっちは相手にルールを合わせてやってあげているのに、「チョレイ!」なんて声を上げられた時にはカチンときちゃうかもしれない(笑)
逆にカチンとこない人、それは完全に違う立場、違う目線(上から目線?)で客観視出来ている人だといえるだろうし、それがプレーヤーとして技術レベルの違いでそうならまだしも、障害者と健常者という違いがそうさせているとするとそれが共生社会という観点からすれば逆に良いのかそうでないのか?とも思える訳です。
だからこそ障害を持つ僕らは障害者だから合わせてもらって当たり前ではなく、相手に合わせるのはお互い様というスタンスを障害者側こそが取っていないと、いつまで経っても共生社会は実現できないだろうし、成立させることは出来ないのではと思ってしまう。
だから、「してもらって当たり前」と決して思うことなく、相手が合わせてくれている、気を遣ってくれている、それを「察する」感覚も研ぎ澄ますというコミュ力を高め、それらに対して自分がどう応じるのか、行動すべきかも単なる障害者ではなく一社会人として考えていかなければと思う。
そもそもコミュ力は身体障害者にとって問題ないもののはずだし。
なんて偉そうに(笑)
でも、こうして健常者の、一般の大会に出場させていただき、同じ舞台で同じ選手としてプレーするからこそ学べる、気づけるものだとも思う。
それはこれからの僕の人生にとって間違いなく大きなプラスになる。
そういう学びを糧として、喜びとして、これからの活動に活かし、「人」として成長していきたい。
なんか大きな話にまとめたなぁ(笑)
とにかく、まずは毎日のトレーニングだけでなくコンディショニングをしっかり行って、良い状態でプレー出来るよう取り組んでいきたい。
今回の試合での経験はまた一つ良い学びになった。
次回のこの試合は半年後。
次はもっと良いプレーが出来るように、自分を磨いていく。
そしてパラの試合につなげていく。
毎年夏と冬に開催されている恒例の一般の団体戦です。
江戸川区は卓球人口も多いので男子団体戦は1部から7部まであるのですが、僕は所属チーム中最も下の5部で出場。
といっても5部ともなればだんだんレベルも上がってくるので車椅子の僕でどこまで通用する?と、健常者を相手にどうプレーするかと自分なりにイメージしたりと、楽しみと不安が交錯する感じでした。
5チームのリーグ戦のところ、1つ棄権が生じたため4チームで3試合ということに。
で、チームは2勝1敗の2位。
僕は2試合出場して1勝1敗でした。
1勝できたのは良かったけど、負けた試合が悔しい。
内容が悔やまれるものなのでした。
相手はベテランのカットマン。
そもそもカットマンとの対戦を想定していなかったのが反省点。
試合序盤は自分がペースを掴めた感もあったから良かったけど、ミスがない、安定感抜群の方なので僕の方が焦ってしまい、1セット目終盤には相手の術中にハマる感じで逆転をゆるし、その後はそのままの流れで0-3で敗退。
冷静でいればもう少しマシな試合が出来ていたかなと、その点が大きな反省と悔しさの要因。
もう一試合はベテランの変化形ペンホルダーの方。
裏面も貼って強烈な回転のサーブから変化の大きなボールでラリー戦に持ち込む感じ。
1セット目は僕のサーブからの展開が優位に運べたので勝利。
でも2セット目は相手サーブに苦しめられたり、凄いボールを決められたりして落とす。
そこで冷静さを失わなかったのが功を奏し(笑)、3セット目からは相手の弱いと思える部分を狙っていき、またレシーブの際も修正を入れた結果3-1で勝つことが出来た。
自分なりに頭を使ってプレーできたのは、脳筋の僕としては高評価に値する(笑)
でもそれはフィジカル等のコンディションの良さに支えられての結果だと思う。
だから判断が出来たのだろうし、行動が出来たのだと思う。
自分で言うのもなんだけど、トレーニングの積み重ねの現れと捉えることが出来、その点がこの試合の一番の評価だと思える。
そして思いのほか試合が早く終わったので、その足でパラの方の強化練習会に参加。
試合の為欠席の連絡をしていたけど、終わった時点でこれなら参加できると急遽向かうことに。
そこで試合の反省を兼ねた良い練習が出来たのでした。
でも帰宅すると思いのほか疲労感がある。
やはり2試合だけとはいえ緊張感のある試合だったから、そういう点で無自覚の疲労もあったのでしょう。
でもその分いい勉強も出来たし、その後の練習も良い時間にすることが出来ました。
車椅子の自分が一般の方と一緒に卓球をやる、プレーをする。
車椅子という分かりやすいハンディキャッパーを目の当たりにした時に、人は意識せずとも何かしらの気を遣うものだと思います。
それは人として自然な感覚であり、優しさが起こす自然な行為だと思います。
でも、「それどころじゃない!」というプレッシャーを相手に与えることが出来るか、それだけの力を示すことが出来るか、僕がそれを示すことが出来て初めてお互いがイーブンに試合が出来るのだとも思います。
相手のレベルが高ければ自分のレベルもそれに応じたものでないと、結局は相手に気を遣わせてしまうだけに過ぎない。
だから、まずは自分がどうあるか、どうあるべきか、それを常に心がけて自分を環境に適応できるように磨いていく努力も不可欠だと思います。
それが共生社会のリアルでしょう。
卓球の場合、車椅子にだけ特別なルールが存在します。
だから「車椅子の自分にルールを合わせてください」と主張することは出来ます。
それを相手に「主張する」、でもそれは表現を変えると相手に「強要する」ということにもなりかねない。
目の前に現れた初見の車椅子選手から突然強要され、いつも通りにプレーできないとなると、決して心地よいものではないかもしれない。
その印象は少なからず引きずるものだと思うし、車椅子プレーヤー全体の印象に影響を及ぼしかねないものになるとも思います。
こっちは相手にルールを合わせてやってあげているのに、「チョレイ!」なんて声を上げられた時にはカチンときちゃうかもしれない(笑)
逆にカチンとこない人、それは完全に違う立場、違う目線(上から目線?)で客観視出来ている人だといえるだろうし、それがプレーヤーとして技術レベルの違いでそうならまだしも、障害者と健常者という違いがそうさせているとするとそれが共生社会という観点からすれば逆に良いのかそうでないのか?とも思える訳です。
だからこそ障害を持つ僕らは障害者だから合わせてもらって当たり前ではなく、相手に合わせるのはお互い様というスタンスを障害者側こそが取っていないと、いつまで経っても共生社会は実現できないだろうし、成立させることは出来ないのではと思ってしまう。
だから、「してもらって当たり前」と決して思うことなく、相手が合わせてくれている、気を遣ってくれている、それを「察する」感覚も研ぎ澄ますというコミュ力を高め、それらに対して自分がどう応じるのか、行動すべきかも単なる障害者ではなく一社会人として考えていかなければと思う。
そもそもコミュ力は身体障害者にとって問題ないもののはずだし。
なんて偉そうに(笑)
でも、こうして健常者の、一般の大会に出場させていただき、同じ舞台で同じ選手としてプレーするからこそ学べる、気づけるものだとも思う。
それはこれからの僕の人生にとって間違いなく大きなプラスになる。
そういう学びを糧として、喜びとして、これからの活動に活かし、「人」として成長していきたい。
なんか大きな話にまとめたなぁ(笑)
とにかく、まずは毎日のトレーニングだけでなくコンディショニングをしっかり行って、良い状態でプレー出来るよう取り組んでいきたい。
今回の試合での経験はまた一つ良い学びになった。
次回のこの試合は半年後。
次はもっと良いプレーが出来るように、自分を磨いていく。
そしてパラの試合につなげていく。
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