地上波も衛星放送でも、パラリンピックの放送が様々されている。
それを見た人たちの声もたくさん届く。
特にパラ卓球。
興味深い感想が聞こえてきた。
当事者としてではなくあくまでも客観的な視点において、パラスポーツを通じての共生社会、バリアフリーというのが国を挙げての大きなテーマの一つだと捉えているし、それは誰にも想像に難くないことだと思う。
そういう点において、今回のパラリンピックが投じる一石はとても大きなものだろうし、僕自身その余波を実感している。
卓球場へも車椅子のお子さんの問い合わせが入って来ているし、「何かしらスポーツに取り組みたい」という障害者の声が聞こえてくれば、「パラスポーツに興味が湧いた」という声も多数耳に届く。
がしかし、その余波は必ずしも背中を押してくれるだけということではなく、場合によっては正面から向かってくる波になり得ることも考えられる。
いずれにせよ、その波の「力」をどう活かすのか、それはまさにその人次第。
もしかしたら、ただその恩恵をあやかろうとするだけの人は、それなりの恩恵しか得られないものかもしれない。
逆に自分で掴みにいく人こそ、その大きな恩恵を得られるものなんだろうなと考えたりもする。
行きつく答えは、自分次第。
とにかく、この街で開催されているパラリンピック、僕はそれに大いなる影響を受けている。
まず、先週の練習だった。
全然ダメだった。
身体も心も目も全然動かない。働かない。自分にイライラした。あんなフラストレーションは久しぶりだった。
なぜ?
それはパラリンピックを観戦してちょっと浮足立ってしまっていたから(笑)
でも何故調子が悪かったのか、その原因を具体的に自分でもよく分っている。
だから反省するし、修正する。
そして今週。
反省し修正したからバッチリ動けた。
そして、それぞれのコーチとパラリンピックについて話し、そこで得た情報をフィードバックした上で練習をする。
それがものすごく充実したものになる。
後はそうやって小さなものを積み重ねていくだけ。
それしかない。
パラリンピックというステージに立っている選手、そこで活躍している選手、結果を出している選手というのは、みんなコツコツと積み重ねていったからそこに立っているのだろうから。
そんな彼らにインスパイアされて、新しい一歩を踏み出す。
でもそれは何もパラ卓球に限ったことではない。
僕はそのステージで活動しているけれど、僕が参考にするアスリートはパラ全ての競技を対象とするし、それはパラだけでなくオリンピアンも同じくその対象としている。
いや、スポーツ選手だけでなく学者や科学者、研究者などの専門家も同様。
さらには、今という同じ時代を生きる方々だけでなく、歴史に名を連ねた方々の偉業からも同様に学べるし、直接その姿を見なくても、僕は文字から学ぶことも重要と捉え、それを活かしていく必要性も常々感じている。
だけど、今回の東京パラリンピック、リアルタイムで見るそれはやはり最高の学びを与えてくれた。
それを自分が見たことが良いだけじゃなく、それを他者とリアルタイムで同時に見て、情報として共有できたことが大きな財産なのだ。
見た感想や持ったイメージは人それぞれ。
それを聞き合える、ぶつけ合える、自分の価値観、そして自分とは違う価値観を互いに共有し合い、その為に同じものを見て、同じ時間を共有する、それが凄く良いことだし、大切なこと。
それはまさにダイバージェントだし、それを今の日本社会に体現させたのがまさに今回のパラリンピックだったんじゃないかと思う。
いや、僕のパラ卓球についての話ですけどね(笑)
前回のリオから5年。
その変化、進化を確認することが出来た。
得た情報は決して十分とは言えない。
モニターを通して見ただけだし、それが実際にこの目で見るものとにギャップがあることは過去の経験からも理解している。
それでも、求めていたものを得ることは出来た。
道のりはまだまだ長い。
でも、共に歩んでくれる方々も大勢いる。
といっても自分の足で歩いていかなければならないのだけれど、今回のパラリンピックは今までの僕のパラ卓球活動において最大のターニングポイントを設けてくれた。
ここから先へはまた自分の足でしっかり進んでいかなければならない。
チェウォーカーだから車輪を漕いで進むことになるけど(笑)
見据える目標は変わらない。
そこへたどり着くために何をどう行っていくのか。
歩幅を大きくしたり、あるいは敢えてそこで足踏みをしたり、遠回りをすべき時もあるかもしれないし、少し戻るようなことだってあるかもしれない。
けれど、見据える先は変わらない。
そこへ到達するためにどう歩いていくのか。
東京2020パラリンピック、良いヒント、というか、良いチャンスを与えてくれた。
出場出来なかった悔しさなんて、今となっては微塵も・・・というと嘘になるけど(笑)、でもそう言えるくらいに感じていない。
なぜなら、次を見据えているから。
そこへたどり着くためにどうするのか?
それを考えてると、過ぎ去ったことへの感傷なんて何もない。
まず今は試合をしたい。
でも、国内の大会ですらその開催が危ぶまれるような状況。
不安は増すばかり。
でも、ブレずに積み重ねていく。
自分の未来を信じるというのは実に楽しいことなのだなぁ(笑)
さぁ、頑張っていこう!
あいつらに負けないように!
それを見た人たちの声もたくさん届く。
特にパラ卓球。
興味深い感想が聞こえてきた。
当事者としてではなくあくまでも客観的な視点において、パラスポーツを通じての共生社会、バリアフリーというのが国を挙げての大きなテーマの一つだと捉えているし、それは誰にも想像に難くないことだと思う。
そういう点において、今回のパラリンピックが投じる一石はとても大きなものだろうし、僕自身その余波を実感している。
卓球場へも車椅子のお子さんの問い合わせが入って来ているし、「何かしらスポーツに取り組みたい」という障害者の声が聞こえてくれば、「パラスポーツに興味が湧いた」という声も多数耳に届く。
がしかし、その余波は必ずしも背中を押してくれるだけということではなく、場合によっては正面から向かってくる波になり得ることも考えられる。
いずれにせよ、その波の「力」をどう活かすのか、それはまさにその人次第。
もしかしたら、ただその恩恵をあやかろうとするだけの人は、それなりの恩恵しか得られないものかもしれない。
逆に自分で掴みにいく人こそ、その大きな恩恵を得られるものなんだろうなと考えたりもする。
行きつく答えは、自分次第。
とにかく、この街で開催されているパラリンピック、僕はそれに大いなる影響を受けている。
まず、先週の練習だった。
全然ダメだった。
身体も心も目も全然動かない。働かない。自分にイライラした。あんなフラストレーションは久しぶりだった。
なぜ?
それはパラリンピックを観戦してちょっと浮足立ってしまっていたから(笑)
でも何故調子が悪かったのか、その原因を具体的に自分でもよく分っている。
だから反省するし、修正する。
そして今週。
反省し修正したからバッチリ動けた。
そして、それぞれのコーチとパラリンピックについて話し、そこで得た情報をフィードバックした上で練習をする。
それがものすごく充実したものになる。
後はそうやって小さなものを積み重ねていくだけ。
それしかない。
パラリンピックというステージに立っている選手、そこで活躍している選手、結果を出している選手というのは、みんなコツコツと積み重ねていったからそこに立っているのだろうから。
そんな彼らにインスパイアされて、新しい一歩を踏み出す。
でもそれは何もパラ卓球に限ったことではない。
僕はそのステージで活動しているけれど、僕が参考にするアスリートはパラ全ての競技を対象とするし、それはパラだけでなくオリンピアンも同じくその対象としている。
いや、スポーツ選手だけでなく学者や科学者、研究者などの専門家も同様。
さらには、今という同じ時代を生きる方々だけでなく、歴史に名を連ねた方々の偉業からも同様に学べるし、直接その姿を見なくても、僕は文字から学ぶことも重要と捉え、それを活かしていく必要性も常々感じている。
だけど、今回の東京パラリンピック、リアルタイムで見るそれはやはり最高の学びを与えてくれた。
それを自分が見たことが良いだけじゃなく、それを他者とリアルタイムで同時に見て、情報として共有できたことが大きな財産なのだ。
見た感想や持ったイメージは人それぞれ。
それを聞き合える、ぶつけ合える、自分の価値観、そして自分とは違う価値観を互いに共有し合い、その為に同じものを見て、同じ時間を共有する、それが凄く良いことだし、大切なこと。
それはまさにダイバージェントだし、それを今の日本社会に体現させたのがまさに今回のパラリンピックだったんじゃないかと思う。
いや、僕のパラ卓球についての話ですけどね(笑)
前回のリオから5年。
その変化、進化を確認することが出来た。
得た情報は決して十分とは言えない。
モニターを通して見ただけだし、それが実際にこの目で見るものとにギャップがあることは過去の経験からも理解している。
それでも、求めていたものを得ることは出来た。
道のりはまだまだ長い。
でも、共に歩んでくれる方々も大勢いる。
といっても自分の足で歩いていかなければならないのだけれど、今回のパラリンピックは今までの僕のパラ卓球活動において最大のターニングポイントを設けてくれた。
ここから先へはまた自分の足でしっかり進んでいかなければならない。
チェウォーカーだから車輪を漕いで進むことになるけど(笑)
見据える目標は変わらない。
そこへたどり着くために何をどう行っていくのか。
歩幅を大きくしたり、あるいは敢えてそこで足踏みをしたり、遠回りをすべき時もあるかもしれないし、少し戻るようなことだってあるかもしれない。
けれど、見据える先は変わらない。
そこへ到達するためにどう歩いていくのか。
東京2020パラリンピック、良いヒント、というか、良いチャンスを与えてくれた。
出場出来なかった悔しさなんて、今となっては微塵も・・・というと嘘になるけど(笑)、でもそう言えるくらいに感じていない。
なぜなら、次を見据えているから。
そこへたどり着くためにどうするのか?
それを考えてると、過ぎ去ったことへの感傷なんて何もない。
まず今は試合をしたい。
でも、国内の大会ですらその開催が危ぶまれるような状況。
不安は増すばかり。
でも、ブレずに積み重ねていく。
自分の未来を信じるというのは実に楽しいことなのだなぁ(笑)
さぁ、頑張っていこう!
あいつらに負けないように!
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