車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

進むべき道を判断する

2016年07月24日 19時51分54秒 | 日記
いつもと違った環境で練習するともの凄く良い勉強になる。

今まで以上に自己分析を行えている(つもり)なので、今の自分には何が足りないのか、何を補い、何を伸ばし、そのためにどのような練習が必要なのか、それを目の当たりにすることが出来る。



いつもと違った環境というのは試合がそうだし、遠征とかすれば普段とは異なる環境で異なる方々とプレーするわけだから案外簡単なことでもある。

でも試合と練習とでは内容が全然違ってくる。



リオ代表の水谷選手も自身の著書の中で言ってた。

「自分にとって気持ちの良い練習がかならずしもプラスになるとは限らない」と。

ではどういう練習がプラスになるのか?

それも人それぞれであり、もちろん指導者によって内容も方向性も異なるものなので何が良いのかは人それぞれ。

少なくとも絶対はないと思う。

でも逆の見方をすれば、それも水谷選手が言ってた。

「負ける人は無駄な練習をする」と。

そうなのだ。

だから自分に厳しく取り組まなければ成長はないと思う。

ただでさえ障害者と言うハンディキャップを有している身であるから周囲はもの凄く気を遣ってくれる。

健常者の選手のように無理をさせてはいけない、追い込んではいけないとなるのが一般的心情だと思う。

障害者としてそれに慣れ親しんでいるのもまた一般的なこと。

その良し悪しは別として。



そういった環境面においても取り組む内容においても、試合では分からないことが練習だからこそ分かるというものもある。

それを知ることで、自分の知らない価値観に接することで技術面だけでなくもっと大きな意味で成長し、進化することが出来るように思う。



久々に異なる環境で車椅子同士での練習に参加させていただいた。

もの凄く良い勉強というか、あらためて良い経験が出来た。

これを糧として自分自身の取り組みに磨きをかけていきたい。



国際大会では先輩方や仲間達(と僕は勝手に思っている)が金メダルまでも獲得するという華々しい活躍を重ねている。

環境はみなさんそれぞれだけど、言い訳することなく努力を重ねているし、こうした結果はその努力の賜物に違いない。



努力は、すれば必ず実を結ぶというものではない。

でも結んだ実は必ず努力の先に存在するものだと思う。

結ばない実があるとすれば、それは努力がまだ足りないだけなのでしょう。

他の奴の努力に勝っていなかったということ。



リオデジャネイロが間もなく開催されます。

障害者も健常者もなく、競技種目を超えて世界中の様々なアスリートが積み重ねてきた努力を競い合う。

ある意味「俺はこれだけ頑張ってきたんだ!」という胸の張りあいのように思える。

努力を重ねてきたからこそ、相手の努力を称えることが出来るのだろうし、相手のそれを否定しないのだと思う。

そういうシーンを目の当たりにできる4年に一度のチャンス。

僕の取り組みはそのレベルとは天と地以上の差があり到底比較できるようなものではないけれど、そうしたアスリートの真摯な姿勢に学び、日々学ぶ精神を忘れずに、例え規模は小さくとも出来る限りの努力を積み重ね、胸を張れる人間でいようと思います。

さぁ、明日からまた頑張ります!

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