もしどんなに体に悪いと言われているものを食べていたとしても、
その人の頭の中に、うらみもねたみも、怒りも悲しみもなく、
心がアコースティックな響きを持ち続けていたら、
その食事は消化の途中でうまいこと分別されて、
一部はちゃんと栄養になって、悪い部分は排出されて、
体も壊さず、なかなかいい線、行くのではないか?
と、僕は本気で思っているところがあります。
逆に、どんなに食材を厳選して、調理にも気をつかって作ったとしても、
それを食べる人の頭の中が、不安や悲しみに満ちていたら、
その食事のほとんどは、消化吸収されない可能性がある、
とも考えています。
最初の7行は、極論に近いかも知れませんが、それを実践した男を身近に知っています。
次の4行については、基礎医学を学ぶと、科学的に立証される事実だと納得出来ます。
劣悪な環境や不安定な感情は、人体の器官(特に消化器官)を機能させないどころか傷めることさえあります。
僕はたま〜に胃が痛くなり、家人に「心因性ね、」と胸を指差してからかわれます。
ムッとして、でも探ってみると、確かに「あ、あれだ、」と、原因が「出来事」の中に見つかったりします。
それを引きずってあれこれ考えながら食事をすると、大抵そのあと胃が痛くなる、、、
我が家の実例集係をやっています。
そんなわけで、
僕らは、そんなにいつもアコースティックな心ではいられないから、
病気のことも加わって、食べるものにかなり気を配るようになりました。
それから、希に二人がもめることもあるわけですが、短期収束を心がけています。
体には心の平安が一番だと思います。
仕事では心を砕いて戦っています、これは仕方ない。
でも仕事を離れた時は、なるべく平穏に過ごさせたい、過ごしたいと思っています。
「平和」
これも外せない療養食(養生食)ではないかと思ったりしています。
(これが記事「このブログに於ける療養食の定義」の最後に書きたかったことなのでした .......うまく書けたかな.......)