あっちこっち歩いて楽しむおタケさん

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南朝の行宮・女人(女院)高野天野山金剛寺

2012-03-11 22:26:02 | 神社仏閣
2012.03.07(水)
 
楠公史蹟めぐりツアーも足早に最後の目的地
 
女人高野と呼ばれる天野山金剛寺へとバスで移動です
 
こちらは富田林市に隣接する河内長野市に在します
 
駐車場で下車して天野川沿いに表山門へと向かいます
 
本来はこの山門から御参りですが駐車場の都合で逆に山門を潜り参内します
 
 
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山門を潜って進む(戻る)と左手に大きな楼門が見えてきます
門番には増長天様と持国天様
水晶の目の玉を輝かせて待ち構えています
阿吽の呼吸です
 
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一礼して楼門を潜ります
左手にはまだ蕾は小さく固い枝垂桜
京都の円山公園のものと同じ種類
こちらは白に近い淡い桜色だそうです
3月の下旬には満開になるようです
 
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*金剛寺のパンフレットより
 
食堂(じきどう)は後村上上帝が摩尼院へ大和の賀名生(あのう)の仮宮より来山行在
正殿として大政を執られた
史上、天野行宮、天野殿と称するのはこれである
 
北朝の光厳、光明、崇光の三上皇が観蔵院に移り、四年間御座所となった
後村上上帝は六年間行在の後、観心寺に移られたが、その後三代、二十年の間行宮となった
 
 
摩尼院から当時(正平年間)は渡り廊下で繋がっていたようだ
 
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度重なる改修には近辺の大名達もいろいろな寄進をしたようだ
盥盤(たらいばん)は江戸時代に岸和田藩主の岡部氏の普請
 
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金堂は今、屋根の大改修中で素屋根になりすっぽりと覆われて体育館の様だ
 
本尊は大日如来、その脇士不動明王、隆三世明王、(三体とも運慶作)
 
*パンフレットより
 
この寺の創立は天平年間(奈良朝)聖武天皇の御願により行基菩薩が草創
弘法大師止錫の霊蹟
 
その後、後白河法皇と皇妹八条女院の叡信を得て
金堂、宝塔、御影堂、鐘楼、食堂、中門等、外に七十余坊が造営せられた
現存の伽藍、建築物の大部分は重要文化財に指定されている
 
女人高野の由来
八条女院は深く、中興の阿観僧正に御帰依になって沢山の所領地を寄進せられ真如親王直筆の
弘法大師の御影を当山御影堂に安置し、一切の行事を高野山と同様にして
女性が弘法大師に御縁を結ぶ霊場とせられ、以来当山は女人高野と称し女性の宗教的修養の道場となった
 
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なんだかむずかしい南朝の歴史
 
 
学びつつもすっかり時代の辻褄が合わなくなり
立派で歴史を感じる建物の案内を40分では語り部さんも苦笑
 
せめて写真に納めてまたの日に記憶を読みがえらせることにします
 
盥盤の屋根に紅梅が映えます
その先には楼門も
 
 
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檜皮葺の多宝塔の前には御手植桜
花はもう少ししてから楽しめそうです
 
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薬師堂、五佛堂、観月停、御影堂と続きます
 
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薬師堂の左手から山中へ四国八十八ヶ所巡りが出来るようになっています
入り口には千年杉がすっくと立っています
山門を入って直ぐ右にも同じぐらいの樹齢の大杉が立っていました
生命の木ですね
 
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振り返ると白梅が食堂を飾ります
 
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北朝の帝たちが都を偲んで観月の宴を催したであろう観月停を抜けて
修復中の金堂を周回して土塀の向こうに摩尼院の檜皮葺の屋根
需要文化財の建造物で楠氏文書や桜井駅にて正成が正行に授けた月山作短刀
後村上帝愛用の琵琶、笛、等等数千点に及ぶ国宝、重文、重美の宝庫
ここに後村上上帝が行在なされた
 
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鐘楼は唐風建築
 
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楼門を出て天野川にかかる屋根つきの橋は
片桐且元の寄進とか
その袂には水かけ三尊仏様が
不動明王、観世音菩薩、地蔵菩薩様、世界平和の為犠牲となられた、有縁、無縁の方々の供養
 
 
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かつては清流だった天野川
七橋と呼ばれ清流には沢山の橋が架けられていたようだ
 
 
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寺坊による御酒も造られていたらしく
今では市内の酒本が権利を引き継ぎ販売されている銘酒
あれ?名前は??
 
こちらの本坊は
また別に拝観料が必要ですので御門から失礼
 
はい、もう帰る
 
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真面目に語り部さんのお話聞いたつもりだったんですが
バスに乗り込むと直ぐに忘れてしまいました
 
モニターツアーでしたのでアンケートの記入(無記名)を済ませて提出
 
盛りだくさんの楠公史蹟めぐり
とても楽しかったです
 
また機会があったら
大阪の南部、楠公さんにゆかりの地を訪ねたいと思います
 
他にもまだまだ魅力的な歴史のある場所があります
 
右から左への知識ですが古の営みの場所に立ちその空気に触れ佇むだけでいい
 
16:00 富田林駅に着いてまだ帰るには少し時間に余裕があったので
隣の席の方と意気投合して徒歩で美具久留御魂神社へ旧巡礼街道を歩くことにした
 
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歩くこと20分、到着です
 
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拝殿から先に続く階段
どうやら本殿まで上ることが出来るようです
急な階段を登り本殿に到着
 
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美しい社殿が並びます
崇神天皇がこの地にゆかりの大国主命を祀ったのが始まりとされています
 
春日式かなぁ
 
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二人で
う~~ん、最後にここに来てよかったねと大喜び
 
参拝を済ませて下って先ほどの鳥居の間に二上山が見えます
 
そういえば、ツアーに同行案内もしてくださった富田林市の観光課の女性職員さんが
とても素晴らしいところです、特に鳥居の先に二上山が見えその先に続くのは
三輪山で神の道が一直線に続くのですよ
と教えてくださった
 
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来た道を戻らず一駅先の喜志駅へと歩くと駅前には
またまた、興味が湧く石碑が
叡福寺は聖徳太子の御廟のあるところです
一昨年の2月22日の命日に奈良の法隆寺から歩いて御参りしました
 
 
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また訪ねたいですがその脇の小野妹子さんも興味ありですね
 
と、話は尽きず電車に乗り阿部野橋で別れた
 
またどこかでお会いしましょうね
 
 
 
悲哀に満ち満ちた楠公遺蹟や行宮跡を訪ねてご満悦の一日は
あっと言う間に終わりました
 

鎮魂を込めて、、、あれから一年、、

2012-03-11 02:52:36 | 神社仏閣
これは先日(3/7.水)に訪ねた
 
大阪府河内長野市の天野山金剛寺の楼門を守る増長天様と持国天様
 
四天王のお二方で方や南方を方や東方の世界を守護されるといいます
 
甲冑を着けて念怒とも憤怒ともいわれる武将形で表されますが
 
強く皆々を守って下さる慈悲深い方々
 
 
阿吽の呼吸でどうぞ今後も変わりませずに全ての人をお守り下さいますように
 
 
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大楠公夫人の草庵

2012-03-11 02:19:55 | 神社仏閣
2012.03.07(水)
 
富田林観光協会主催の楠公遺蹟めぐりツアー
 
ランチも済んでバスで移動、着いたのは
金剛バスバス停、甘南備
いかにも歴史の香りがしそうな地名だ
 
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車道を横切って山門に続く坂道を登って行く
 
 
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出迎えたのは
楠正成(大楠公)夫人久子の方が長子、正行(まさつら)が自刃せんとすところを
強く諭す姿
 
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急な階段を登り山門へと上がる
 
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左手には樹齢を経た大けやき
 
右手に正成の像
後醍醐天皇を隠岐より兵庫に迎えた時のお姿
 
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山門をくぐり観音寺本堂へ
住職が快く出迎えてくださり
寺の由来を話して下さる
 
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書院へと案内されるが寺は大正時代に再興されただけあって
ソファーが置かれ応接間といった感
 
時の軍人達の直筆の額が掲げられている
これは「坂の上の雲」でも馴染みになった暗号文か?
 
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こちらは???
 
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そしてこちらは台湾総督???
 
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恩光閣も拝見させていただく
昭和御大典の御用材の御下賜により昭和7年に落成したのだそうだ
皇室の方もお見えになっていたようで
襖には房が着き天井板は屋久杉
1平米あたり?百万円はするという
今では手に入らないので、台風の雨漏りによるシミを表裏洗って磨いてもらったそうだ
 
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床の間の天上も竹組み
脇飾りは人間国宝さんによる竹細工
 
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何故?
この観音寺が軍人に縁があるのだろうか?
どうやらこの楠一族の香華寺に草庵を結んだ
正成夫人久子の方の遺蹟の再興にあるようだ
 
*お寺のパンフレットより
 
由緒深き大楠公夫人の遺蹟も楠氏一族の没落と共に廃滅に近いまで荒廃していたが
大正四年以来、岐阜の金山の人、加藤鎮之助氏の献身的努力と全私財を投じての発願により
見事に再興され現在にいたる
 
この加藤氏と軍人との繋がりからかも?
 
そしてもう一人繋がりがあったのが
久子夫人の草庵や観音堂を設計された帝室技術員伊藤忠太工学博士
 
久子夫人はこの地に草庵楠妣庵を結び敗鏡尼と称して
亡き正成公をはじめ一族郎党の菩提を弔いつつ生まれ故郷の甘南備に隠棲し余生をここに過ごされた
 
とある
 
本堂より階段を登り草庵と観音堂に御参り
いずれも伊藤博士の設計によるものだそうだ
 
 
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観音堂には夫人の念持仏たる十一面観世音様を奉祀
 
 
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境内には皇族の方々のお手植えの楠が大きくなっていた
 
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ひっそりと佇む五輪塔と墓所
 
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六人の男子の母親として強く生きられたのであろう夫人の生き様を思う