月刊 日本語論 5月1994 Vol.2 No.5 特集――文章の技術 入社試験・小論文でのタブー 太田俊郎氏による。文章論というものはほかのハウツーものと違って、どれほどマスターしてもいっこうにいい文章は書けない、と言う。けだし、正鵠を得る物言いである。新聞社入社試験の800人の学生の小論文をみて、経験するところから、これだけはするなと言うタブーを挙げる。第一は、主語をけちるな。第二は、同じ表現を繰り返すな。第三は、文体で乱れるな。このタブーを、最初の400字くらいで見分ける。900人受験者がいて、そのうちの600人はまずふるいにかけられるが、それでも、このタブーはすべきでないとして、残る300人が、こうして本選に入る、というわけである。表現の正しさは言うまでもないが、鱗が落ちましたと言って、目からを省略するようなのはやはりいただけない。この文にあるタブーの指摘は、文章を読むものをしてイライラさせないことである。正鵠を得るか、射るか、などの表現のことはやはり、気になるところだろうし、主語をけちるなとなると、これはもうほとんど、わたしには文章の書き方として、これでは失格である。 . . . 本文を読む
第11章、コスとコエル この2語をどう、使い分けるか。留学生が山の峠を通過するバスに乗って質問したという。バスは峠を越したんですか、峠を超えたのですか、と。お申し越し下さい、家にお越しください、乗り越し料金は、などなど、コスとか言えない用法がある。意味成分表を作ってその違いを求める。しかし、ここで、筆者は重大な解説をしている。意味成分の分析で説明するのに個人的見解があって、それを自分が60年使ってきて、さしさわりがなかった故をもって、語の意味における正しさを、同一社会集団の所属している成員間で互いに何とか理解できる範囲での理解ということになる、と意見を述べる。そこで日本語教育の当面の目標を置くことになって、最大公約数的な意味のサークルに外国人を誘導することであると論じている。 . . . 本文を読む
薬を切ることになった、1ミリの錠剤をこれからやめる、さて、どうか。昨日20日に診察をして、医師の指示に従うと、この1年半の、 1ミリの継続をやめることになる、ちょうど台風が来ていいとか何とか、変わりはないので、7年に及ぶ治療が終わることであり、そうなるかどうかと、くわばらくわばら・・・
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