日本語史と国語史と対にすると、内観による歴史を、資料として何に求めるかという、命題ができる。日本語史には日本語史料を用い、国語史には国語史料を用いる、ということである。ここでも、資料と史料の表記によって表わされることは、歴史のとらえ方が変わるかのようである。国語史料は和文、和語によるものを主として、それは伝統的に仮名文字、とりわけ平仮名による雅語に始まるものであった。もう少しいえば、その資料には平安朝の歌語とそれによって綴られた物語文とを分析したものである。それだけではないことを承知してみれば、漢字語彙は漢文訓読語の史料によるものであった。国語が国字また和字とのかかわりにおいて、訓読にあてられた仮名を専ら国語史料としたのである。その国語史を国学者たちによる擬古文のことばをもってした時代から、近代になって大きく変化を遂げたのが翻訳による話し言葉への影響である。漢文は訓読と言い、欧州の言語によるものは翻訳として日本語に位置する。これを国語に位置すると言ってよいのであるが、そのためにここに国語の概念が現れるようになる。つまり日本語へのせめぎあいが包摂される言語の現象で、国語はイデオロギーと見られるようになったことである。そうすると、日本語は、その後においてどうであるのか。
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