音韻の体系を図にして五十音図と言う。日本語で50音を区別するような命名であるが、古くは、五音を名称に持つ。ごいん と読む。この五音をそのまま五十音と捉えるかどうか、少なくとも中国語の音韻の説明からすれば、50音図はその名残をとどめないように見える。祖先が日本語の音韻を体系づけようとしたのは音韻を並べて書いたのは悉曇学の影響だと指摘している。それがそうであるとして、ここで母音はアイウエオ順であるが、子音はアカヤサタナラハマワという順になっているものがあるので、この並びは明らかに、子音の調音位置を口の内から外の順に並べたものであり、五音そのものである。すなわち、喉音、牙音、歯音、舌音、唇音のようになっている。発音を意識して中国語の音韻を学び、それを日本語の音韻にしようとしたのが仮名文字発音である。
ウイキペディアより。
>五音(ごいん)とは、伝統的な中国音韻学において声母(頭子音)のこと、またはその分類を示す。声母の発音を調音の位置・調音方法によって分類したもので、唇音・舌音・歯音・牙音・喉音がある。
本来「五音」という言葉は音楽用語で、階名の「宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・徴(ち)・羽(う)」のことをいった。
現代から見ると、五音の分類には調音位置によるものと調音方法によるものがまじっているが、これはインドの子音分類が阻害音・鼻音とそれ以外を別に扱っていることに起因する。
五音は五十音図と関係があり、平安時代の成立当時、五十音図は五音図と呼ばれた。アカヤ行は喉音、サタナラ行は舌音、ハマワ行は唇音とされた。江戸時代、歌舞伎十八番の外郎売には「アワヤ喉、サタラナ舌に、カ牙サ歯音、ハマの二つは唇の軽重、開合さわやかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ…」とあり、アワヤ行が喉音、サタラナ行が舌音、カ行が牙音、サ行が歯音、ハマ行が唇音(ハ行は軽唇音、マ行が重唇音)とされている。なおハ行が唇音とされたのは江戸時代まで現在のファ行にあたる音で発音されていたからである。
漢字の音を示す手段である反切を説明するものとして考案されたものとされるが(明覚『反音作法』、1093年)
五十音が現在のようになった背景にある大きな二つの要素は、悉曇学と反切であるとされる。
ウイキペディアより。
>五音(ごいん)とは、伝統的な中国音韻学において声母(頭子音)のこと、またはその分類を示す。声母の発音を調音の位置・調音方法によって分類したもので、唇音・舌音・歯音・牙音・喉音がある。
本来「五音」という言葉は音楽用語で、階名の「宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・徴(ち)・羽(う)」のことをいった。
現代から見ると、五音の分類には調音位置によるものと調音方法によるものがまじっているが、これはインドの子音分類が阻害音・鼻音とそれ以外を別に扱っていることに起因する。
五音は五十音図と関係があり、平安時代の成立当時、五十音図は五音図と呼ばれた。アカヤ行は喉音、サタナラ行は舌音、ハマワ行は唇音とされた。江戸時代、歌舞伎十八番の外郎売には「アワヤ喉、サタラナ舌に、カ牙サ歯音、ハマの二つは唇の軽重、開合さわやかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ…」とあり、アワヤ行が喉音、サタラナ行が舌音、カ行が牙音、サ行が歯音、ハマ行が唇音(ハ行は軽唇音、マ行が重唇音)とされている。なおハ行が唇音とされたのは江戸時代まで現在のファ行にあたる音で発音されていたからである。
漢字の音を示す手段である反切を説明するものとして考案されたものとされるが(明覚『反音作法』、1093年)
五十音が現在のようになった背景にある大きな二つの要素は、悉曇学と反切であるとされる。