言志耋録四八から 五〇まで
(喜怒哀楽 一)
喜怒哀楽の四情、常人に在りては、喜怒の発する十に六七、哀楽の発する十に三四、過失もまた多く喜怒辺に在り。
警む可し。
(喜怒哀楽二)
喜気は猶お春の如し、心の本領なり。
怒気は猶お夏の如し、心の変動為り。
哀気は猶お秋の如し、心の収斂在り。
楽気は猶お冬の如し、心の自得なり。
自得は又喜気の春に復す。
(端座内省)
端座内省して心の工夫を做すには、宜しく先ず自ら其の主宰を認むべきなり。
省する者は我れか、省せらるる者は我れか。
心は固より我れにして、身も亦我れなるに、此の言を為す者は果たして誰ぞや。
是を之れ自省と謂う。
自省の極は、乃ち霊光の真の我れたるを見る。
(喜怒哀楽 一)
喜怒哀楽の四情、常人に在りては、喜怒の発する十に六七、哀楽の発する十に三四、過失もまた多く喜怒辺に在り。
警む可し。
(喜怒哀楽二)
喜気は猶お春の如し、心の本領なり。
怒気は猶お夏の如し、心の変動為り。
哀気は猶お秋の如し、心の収斂在り。
楽気は猶お冬の如し、心の自得なり。
自得は又喜気の春に復す。
(端座内省)
端座内省して心の工夫を做すには、宜しく先ず自ら其の主宰を認むべきなり。
省する者は我れか、省せらるる者は我れか。
心は固より我れにして、身も亦我れなるに、此の言を為す者は果たして誰ぞや。
是を之れ自省と謂う。
自省の極は、乃ち霊光の真の我れたるを見る。