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さくもん、さくぶん

2017-02-13 | 日本語文法文章論
リマインダーが文章論33を1年前の記述として知らせた。作文大体について触れて、そこでブログはこのコーナーを休んでいる。さくもん などと聞くと、作問という語が浮かぶのが常で、書名にあっても、大体の作文とは何だろうかというような受け止めしかできないだろう。ブログを繰ると文章論30のところで、20から29までを引用する。ブログとは、どういうものかをあらためて、悩ませられるところであるが、文章書きにはもってこいの道具である編集機である。それで、作文について英作文、日本語作文、中国語作文と検索して、その中文造句のサブタイトルに、そうかと合点するようなことであった。それで興に任せて、中文作文、漢文作文と入れてみて、国語伝習所の漢文作文科目にたどり着いた。さらに尋常中学校の学科目にも及んだ。そこで漢文の作文教育があったか、それはどうなってしまったかと、漢文についてのサイトを見ることで、現代ではこうなってしまったようだとまたまた、合点をして、それではまた、作文教授の話を見ることになる。


http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/09/post-d41f.html
2010.09.02
[書評]日本語作文術 (中公新書:野内良三)

そもそも日本語の文章というのは多分に欧文の翻訳文なのである。文学者丸谷才一がその「文章読本」(参照)で、文章読本の古典中の古典、谷崎潤一郎の「文章読本」(参照)を評し、谷崎のいう文章は翻訳文のことだと喝破していた。井上ひさしの「自家製 文章読本 (新潮文庫)」(参照)でも同種指摘されていた。近代日本語、とくに文章の日本語というのは一種擬似的な翻訳文から出来てきた経緯がある。だったら、その仕組みに素直に注目すればよいのではないか。



思想史から東アジアを考える: 從思想史思考東亞
https://books.google.co.jp/books?isbn=9863501492
辻本雅史、徐興慶 編 - 2016
国語伝習所の漢文授業課程一週当り時間数授業内容 1 2 3 4 6 6 8 8 三字経及孝経の台湾句読と書取大学・中庸及論語の台湾句読と書取論語及孟子の台湾句読と書取、簡易な時文及台湾尺牘の作文孟子の台湾句読と書取、簡易な時文と台湾尺牘の作文

尋常中学校ノ学科及其程度(明治十九年六月二十二日文部省令第十四号 ...
www.mext.go.jp › 白書・統計・出版物 › 白書 › 学制百年史 資料編
第四条 尋常中学校ノ各学科授業ノ時数凡左ノ如シ. 第二外国語ト農業トヲ並へ置クトキハ其一ヲ生徒ニ課スルモノトス. 第五条 尋常中学校ノ各学科ノ程度左ノ如シ. 倫理 入倫道徳ノ要旨. 国語及漢文 漢字交リ文及漢文ノ講読書取作文. 第一外国語 読方訳解講 ...

漢文について(1)
www.manduuka.net/sanskrit/essay/kanbun.htm
2006/10/04 - が、これは一種の作文能力である。漢文の文字一字一字について、現代中国語でその字が単独で語として使えるかどうかという知識(「虎→老虎」のように絶対に二字にならないと語として使えないとは限らない。字のなかにはたとえば「書」の ...

大正期の漢文科存廃問題に見る漢文観: 明治期における漢文科存廃問題と ...
https://ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/5257/1/100907001.pdf
浮田真弓 著 - ‎2010 - ‎引用元 1 - ‎関連記事
も注目されたことと同様、中等教育においても作文教授が論じられた。漢文科存廃に関する議. 論も繰り返された。高等女学校の国語教育にもいくつかの提案がなされた。現代と同様入試を. 中心とした学力問題が論じられている。 大正期の議論に入るにあたり、 ...

大正期中等学校の国語及漢文科における文学教育論 - 兵庫教育大学
repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/15451/.../AA114330270160008.pdf
浮田真弓 著 - ‎2015
されたことを受け, 中等教育においても作文教授が論じ. られ, 指導法においては, 「小学校に学べ」 といった論も. 見られた。 明治期の漢文科存廃問題と同様に大正期にも. 漢文科存廃問題が論じられたが, 雑誌 『国語教育』 では'. 多様な漢文観をもとに存廃のみ ...


学研全訳古語辞典
さく-もん 【作文】
名詞
①漢詩を作ること。漢詩。
出典大鏡 頼忠
「さくもんの舟、管弦の舟、和歌の舟と分かたせ給(たま)ひて」
[訳] 漢詩(を作る人)の舟、音楽を(奏する人)の舟、和歌(を詠む人)の舟とお分けになって。
②文章を作ること。◇近世以降の語。
参考平安時代の男性貴族にとって、漢詩文を作ることは最も必要な教養とされていた。「さくぶん」と読むのは、室町時代から。


文章論33 作文大体
作文には、さくもん の訓みがある。さくもん を知るには、作文大体という書物による。漢詩文の作法書と説明する。作文を文にもとめて言えば、やはり漢詩文であった。その書を検索すると、国文......



文章論32 作文
2016-02-12 23:29:07 | 日本語文章論
文章は作文である。作文にあるのは事象の描写である。作者の描述に表現のあやがある。それを修辞技巧とした。その叙述に文章が再構築するものは出来事であったり、風景描写であったり、作者の思いであったりする。文章に意見があると言われ、主張を持つと言われ、文章そのもがひとを表しているという捉え方がある。作文に現れる森羅万象についての捉え方、ものの見方、考え方を示すと考えられるからである。その作文を漢字を用い、仮名文字をまぜ、いまは片仮名とローマ字でもって、漢字、平仮名にあらわせない概念や意味内容を文の中に表現している。作文には一文ずつを綴る作法をもって作文法とする。文章を構成する文はいかなるものであるか。文と句と語と、それはまた、連文節と文節という分節である。

文章論31 
2016-02-11 21:22:56 | 日本語文章論
文章は漢字表記を用いる。日本語の常用である。仮名交じりの文章を日本語文章とした。漢文文章と和文文章をわけることもあって、文章を一義に捉えることは行われなかった。そこには散文と韻文の考え方もあった。散文の意味は韻文を韻を踏み統一するのを規則とするなら、散文はその統一を図らないちうほどのことであった。それも漢文によるところである。詩と文である。文章を散文に捉えるのは本来ではない。韻文にも文章があり、定型と韻律を持つかどうかという、その文章の捉え方は言語表現の、漢字による表現の基礎にある。日本語でいう歌謡としての原型に似る。

文章論30 文章の構成
2016-02-10 10:23:38 | 日本語文章論
文章の構成について、その段落に関係構成を分析するのを修辞に見て、起承転結をモデルとするのを、その議論に観ることがある。その起承転結は論理構成にならないことが言われてきた。文章論においてこの議論は文章が作品であるか、言語の表現には違いないが、それを文章の統一体とみる文法機能を見出すかの違いがあって、そのいずれであるかよりも、その説明にポイントがある。つまり、転筆において論理飛躍があるというものである。よく知られているところで作品には表現のあやを見出すので論理の飛躍をどの論理によるかという、それは、あやとしての連想にあるので言語芸術の妙としては認めても、言語が関係構成する理屈はに充てはまらないということである。それは議論になることのことがらではない。その立場をとらえて、文学ですか、文法ですか、というような、話である。


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