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上巳

2015-03-03 | 日本語あれこれ百科
ひいなあそび、まちなみに装うひいなのほほえみ――とは、近江八幡節句人形めぐり。
3月3日まで、と思ったら、22日までとか、毎年めぐってくる、この催しは何だろう。

ひな祭りは節句の催し。
せちえ、せっく、せちにち。
年間の五つの節句には、じんじつ、正月7日、じょうし、3月3日、たんご、5月5日、しちせき、7月7日、ちょうよう、9月9日。

節は、

>唐時代の中国の暦法で定められた季節の変わり目のことです。暦の中で奇数の重なる日を取り出して(奇数(陽)が重なると 陰になるとして、それを避けるための避邪〔ひじゃ〕の行事が行われたことから)、季節の旬の植物から生命力をもらい邪気を祓うという目的から始まりました。 

とある。

3月最初の、巳の日に、禊ぎをして穢れを祓い、身代りの人形に汚れをうつして河川、海などへ流す風習となった、というのだが、はて。
これは中国から伝わったとする。

定かな出典は見当たらないようだが、百度百科によれば、次のようである。

http://baike.baidu.com/view/105758.htm
“上巳”最早出现在汉初的文献。《周礼》郑玄注:“岁时祓除,如今三月上巳如水上之类”。据记载,春秋时期上巳节已在流行。上巳节是古代举行“祓除畔浴”活动中最重要的节日。《论语》:“暮春者,春服既成,冠者五六人,童子六七人,浴乎沂,风乎舞雩,咏而归。”就是写的当时的情形。宋代以后,理学盛行,礼教渐趋森严,上巳节风俗在汉人文化中渐渐衰微。由于上巳日和轩辕黄帝诞辰是同一天,近年来不少专家积极倡议将三月三日同时设为“中华圣诞节”,以扩大黄帝文化和上巳节的影响。


节日历史
起源

上巳(sì),是指以干支纪日的历法中的夏历三月的第一个巳日,故又有三巳、元巳之别称《周礼·春官·女巫》:“女巫掌岁时祓除衅浴。”郑玄注:“岁时祓除,如今三月上巳,如水上之类;衅浴谓以香草药沐浴。”《后汉书·礼仪上》:“是月上巳,官民皆(洁)于东流水上,曰洗濯祓除去宿垢疢为大。”《后汉书·周举传》:“六年三月上巳日,(梁)商大会宾客,宴于洛水。”因知在先秦时,这个日子已成为大规模的民俗节日,主要活动是人们结伴去水边沐浴,称为“祓禊”,此后又加了祭祀宴饮、曲水流觞等内容。魏晋以后,该节日改为三月初三,故又称重三或三月三,杜甫《丽人行》诗中“三月三日天气新,长安水边多丽人”云云,就是对唐代长安曲江风景区内节日盛景的描绘。此节在中国流传时间甚长,不少地区至今尚有余韵可寻,当然在节日性质和内容上已发生了不少变化;此外,一般多认为当前南方许多少数民族中盛行的各种以三月初三为期的节日活动,也与古代的上巳节有渊源关系。为此,对上巳节的起源及其原初涵义的探索,成为民俗学研究的热门课题。
汉代学者应劭对上巳节的起源和意义作过阐述,大意是:这种活动远在殷周时就已经形成,政府还专门设置女巫之职进行主持。因为此时正当季节交换,阴气尚未退尽而阳气“蠢蠢摇动”,人容易患病,所以应到水边洗涤一番。所谓“禊”,即“洁”,故“祓禊”就是通过自洁而消弥致病因素的仪式。为什么要选在巳日呢?应劭解释说,“巳者,祉也”,既除掉致病因素,又祈求福祉降临(《风俗通义·祀典·禊》)。这种看法为许多学者赞同,如现代学者乌丙安认为该节日的原初意义是“古人春季驱邪祛瘟的卫生保健古俗”另有一种观点认为,上巳节起源于兰汤辟邪的巫术活动,在这项活动中,兰草被用作灵物。兰草有香气袭人的特点,古人在举行重大祭神仪式前,须先期进行斋戒,其中包括采用当时最好的沐浴方式——兰汤沐浴,这在楚辞中有生动的描写。祭神必斋戒,斋戒必沐浴,沐浴用兰汤,于是兰汤、兰草便与神灵有了联系。当兰汤沐浴成为一种辟邪法术时,这种沐浴活动就必须由专职的女巫进行组织和领导。 三月上巳到河边洗除邪秽的“祓禊”风俗,从起源上看正与兰汤辟邪术密切相关。由《诗经·郑风·溱洧》的描写可以看到,春秋时期郑国的祓禊活动最为典型:每到三月上巳日这天,郑国男女倾城而出,来到溱水、洧水之滨,手执兰草洗濯身体,祓除不祥。同一时期,其他区也有河滨祓禊的风俗。总之,早期的河滨祓禊礼俗与兰汤辟邪术属于同一巫术体系,因其皆以兰草可辟不祥的观念为基础的,区别仅在于兰汤沐浴是个人行为,多在室内,并可随时实施,祓禊则是集体活动,必在河滨,并须定时举行。



http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/209936.html
ひな祭り2015年2月23日(月)
3/3は中国から伝わった「五節句」のひとつです。節句とは、季節の節目の行事ということです。古代中国では奇数が縁起がよいとされ、1/1,3/3,5/5,7/7,9/9の奇数が重なる日に儀式をしました。例えば1/1は、安楽が長く続くよう祈る日で、今は正月行事と重なるため1/7に変わりました。3/3は、病や災いを取り除く行事を行う日とされました。これが日本に入って、奈良時代には川のほとりでみそぎ・はらえをする厄ばらいの行事が行われるようになりました。今も3月3日に各地で行われる「曲水の宴」は、この厄ばらいの行事が元になっているようです。また3月3日は桃の節句と呼ばれて、桃の花を飾りますが、これも桃が古くから邪気をはらう植物とされたためで、厄ばらいという意味があるわけです。では、この日にひな人形を飾るようになったのはどうしてかということですが、3/3の厄ばらいの行事には、人の代わりに、紙で作った「ひとがた」にけがれを託して、川や海に流すということも行われました。これは「流しびな」の行事として、今でも各地に残っています。こうした厄ばらいの行事だったのが、江戸時代の初期になると、ひとがたを流すのではなく、人形を飾るようになりました。「雛(ひな)」とはもともと人形そのもののことで、雛を飾ることから、3月3日の節句をひな祭りというようになりました。ひな祭りがもともと厄ばらいの行事だった、ということと関係するのが、ひな人形は3月3日が過ぎたら早めに片付けなさいという言い伝えです。古くは「ひとがた」にけがれを託して流したのですが、ひな人形も、女の子の身代わりとして、けがれや災いを引き受けてくれるものと考えられるようになりました。そして、人形を片付けることでけがれをはらったとみなすようになったわけです。女の子が縁遠くなるなどというのは、いつまでも置いておくと、災いがまた戻ってしまうということからきたのでしょうね。


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