と聞けば、巧言令色鮮し仁 論語学而篇の語を思う。辞書義には、巧みな言葉を用い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、仁の心が欠けている、という。ことばに儒教の教えが現れる。その風土には漢字の意味解釈がある。日本語には少なからず影響していることを、漢字文化の背景として思う。心があるかないか、人に有心となれば、それはないほうが良いのであって、その心を見るものには意見とうつる、日本人にも影響して、その心を持つのは異心邪見であるから、それを見通されることになる。仁たるもの、それを持つものにその力がある。忖度を見透かされること、毚兔を獲る犬である。王たるものは忖度を知る。他人を思いやる心とは仁者のものであるから、徳を備えるのである。字義による忖度の解釈が日本語化して部下が上司を思いやるふうになった。上司の忖度は、そこにない。部下から忖度をするのではなくて、上司が部下の有心を忖度して取り扱うのであるから、上司において忖度が働けば、その部下は退けられるのである。
https://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/40649877.html
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2013/5/25(土) 午前 9:22 詩経を読む 詩
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節南山の什の7は《小弁》ですがかつて孟子関連↓で取り上げたこともあり
http://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/40655024.html
後に回し、先に
《巧言》
(こうげん)、毛伝「節南山の什」8・朱子詩集伝「小旻の什」4
悠悠昊天、曰父母且。
無罪無辜、亂如此憮。
昊天已威、予慎無罪。
昊天泰憮、予慎無辜。
亂之初生、僭始既涵。
亂之又生、君子信讒。
君子如怒、亂庶遄沮。
君子如祉、亂庶遄已。
君子屢盟、亂是用長。
君子信盜、亂是用暴。
盜言孔甘、亂是用餤。
匪其止共、維王之邛。
奕奕寢廟、君子作之。
秩秩大猷、聖人莫之。
他人有心、予忖度之。
躍躍毚兔、遇犬獲之。
荏染柔木、君子樹之。
往來行言、心焉數之。
蛇蛇碩言、出自口矣。
巧言如簧、顏之厚矣。
彼何人斯、居河之麋。
無拳無勇、職為亂階。
既微且尰、爾勇伊何。
為猶將多、爾居徒幾何。
読み下し
悠悠たる昊天、父母に曰う。
無罪無辜なるも、亂はかくの如く憮(憮然、残念、おおう)たり。
昊天已に威なるも、予は慎(まこと)に無罪。
昊天泰(おおいに、はなはだ)憮なるも、予は慎に無辜。
亂の初めて生ずるは、僭(せん、しん:本分を超える:古注来=諧、讒と通説)始めに既に涵(包容、潜む、容れる)る(ればなり)。
亂の又生ずるは、君子讒を信ず(ればなり)。
君子如(も)し怒らば、亂、庶(ねがわ、おおく)くば遄(すみやか)に沮(止む、阻む)む。
君子如し祉(福、さいわいする)すれば、亂、庶くば遄に已む。
君子屢(しばし)ば盟ず、亂、是に用(もっ)て長ず。
君子、盜を信ず、亂、是に用って暴。
盜言孔(はなは)だ甘し、亂、是に用って餤(餅;=啖、くらう、すすむ)む。
それ共(=恭、供)を止めず、維れ王の邛(病,労)たり。
奕奕(えきえき:高大、盛、美好)たる寢廟、君子これを作る。
秩秩たる大猷(はかりごと)、聖人はこれを莫(いな)とす。(通説は「大道を莫=謨(は)かる」と読む)。
他人に心あり、予はこれを忖度す。
躍躍たる毚兔(ざんと:ずるい兔)は犬に遭うて獲らる。
荏染(じんぜん:やわらかい)柔木、君子これを樹う。
往來の行言、心、これを數(かぞえる、わきまえる)う。
蛇蛇たる碩言、口より出ず。
巧言、簧(こう:笛の中の舌)の如し、顏の厚きかな。
彼れは何人ぞ、河の麋(牡鹿:び=湄、岸辺、水辺)に居る。
無拳無勇、職として亂階(禍端、禍根)を為す。
既に微(び:足瘡)且つ尰(しょう:足腫病)、爾の勇伊れ何ぞ。
猶(はかりごと、と通説。しかし猶=同=亂階(禍端、禍根)でしょう)をなすこと將(まさ)に多し、爾の居徒(なかま)幾何(いくばく)ぞ。
詩意
はるかなる天たる天は父母でもあり、父母たる天に曰う。
(我はかくも)無罪無辜なのに、(世の)亂はかくも無惨に覆い尽くす。
天たる天は暴虐だが、予は慎ましく無罪(のはず)。
天たる天ははなはだ無惨だが、予は慎ましく無辜(のはず)。
亂の初めの原因は僭越を許すにある。
亂が深刻化するのは、君主が讒言を信ずるからだ。
君主が讒言を怒りつければ、多くの亂など早いうちに阻止されるものだ。
君主が真剣に止めれば、多くの亂などたちどころに已むものだ。
(いまどきの君主はそうしないからダメなのだ)。
君主たちは屢(しばし)ば盟(ちか)いあう、そんなことをするから亂はかえって深刻化する。
君主たちは、いわば盗人達を信用する、だから亂はかえって暴虐になる。
盗人の言葉は大変甘い、だから亂はかえってお餅のようにおいしそうに見える。
このように諸侯臣下たちは共(=恭、供)を止めてしまう。こうして、周王は病苦になる。
高大な宮殿や宗廟は(昔の)君主たちが昔作ったものだ。
ちまちました大猷(はかりごと)など(昔の)聖人は否定したものだ。
他人にはみな心がある、我らはこれを忖度せねばならない。
どんな利口な兔(乱に生きる諸侯君主でしょう)も犬(聖人周王や心ある人々でしょう)に出会えば(結局は)つかまって(平らげられて)しまうのだ。
柔かい木(巧言を言う諸侯家臣でしょう)はもともと君主が樹えたものだ。
行きずりの人の言葉でも、心はついつい当てにしてしまう。
蛇のような長々した大言壮語も、(所詮は)口より出るもの。
巧言(甘い言葉、旨い言葉、当てにしてしまう大言壮語)は、どれも簧(こう:笛の中の舌)のようなもの、厚顔(無恥)の中からでてくる。
(乱の原因の讒言巧言をなす)こういう連中は一体何者なのか、いってみれば黄河の水辺に屯する麋(しか:角のある牡鹿)なのだ。
拳を持つわけでもなし勇気を持つわけでもないが、本来的に亂の原因(狩猟の対象)なのだ。
(健康な牡鹿でなく水辺に居るから)微(び:足瘡)で尰(しょう:足腫病)を病んだ牡鹿だから、その勇気などどうって事はないのだ。(あるいは、爾=心ある人たち、と読むなら、君たち心ある人たちの勇気には勝てっこないのだ、とも読めましょうか)。
乱をなすことばかり多い連中だ。その仲間は幾何(いくばく)もない大したことはない連中だ。(あるいは君たち心ある人は少なくないのだから連中をやっつけれるはずだ、とも読めましょうか)
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《巧言》
(こうげん)、毛伝「節南山の什」8・朱子詩集伝「小旻の什」4
悠悠昊天、曰父母且。
無罪無辜、亂如此憮。
昊天已威、予慎無罪。
昊天泰憮、予慎無辜。
亂之初生、僭始既涵。
亂之又生、君子信讒。
君子如怒、亂庶遄沮。
君子如祉、亂庶遄已。
君子屢盟、亂是用長。
君子信盜、亂是用暴。
盜言孔甘、亂是用餤。
匪其止共、維王之邛。
奕奕寢廟、君子作之。
秩秩大猷、聖人莫之。
他人有心、予忖度之。
躍躍毚兔、遇犬獲之。
荏染柔木、君子樹之。
往來行言、心焉數之。
蛇蛇碩言、出自口矣。
巧言如簧、顏之厚矣。
彼何人斯、居河之麋。
無拳無勇、職為亂階。
既微且尰、爾勇伊何。
為猶將多、爾居徒幾何。
読み下し
悠悠たる昊天、父母に曰う。
無罪無辜なるも、亂はかくの如く憮(憮然、残念、おおう)たり。
昊天已に威なるも、予は慎(まこと)に無罪。
昊天泰(おおいに、はなはだ)憮なるも、予は慎に無辜。
亂の初めて生ずるは、僭(せん、しん:本分を超える:古注来=諧、讒と通説)始めに既に涵(包容、潜む、容れる)る(ればなり)。
亂の又生ずるは、君子讒を信ず(ればなり)。
君子如(も)し怒らば、亂、庶(ねがわ、おおく)くば遄(すみやか)に沮(止む、阻む)む。
君子如し祉(福、さいわいする)すれば、亂、庶くば遄に已む。
君子屢(しばし)ば盟ず、亂、是に用(もっ)て長ず。
君子、盜を信ず、亂、是に用って暴。
盜言孔(はなは)だ甘し、亂、是に用って餤(餅;=啖、くらう、すすむ)む。
それ共(=恭、供)を止めず、維れ王の邛(病,労)たり。
奕奕(えきえき:高大、盛、美好)たる寢廟、君子これを作る。
秩秩たる大猷(はかりごと)、聖人はこれを莫(いな)とす。(通説は「大道を莫=謨(は)かる」と読む)。
他人に心あり、予はこれを忖度す。
躍躍たる毚兔(ざんと:ずるい兔)は犬に遭うて獲らる。
荏染(じんぜん:やわらかい)柔木、君子これを樹う。
往來の行言、心、これを數(かぞえる、わきまえる)う。
蛇蛇たる碩言、口より出ず。
巧言、簧(こう:笛の中の舌)の如し、顏の厚きかな。
彼れは何人ぞ、河の麋(牡鹿:び=湄、岸辺、水辺)に居る。
無拳無勇、職として亂階(禍端、禍根)を為す。
既に微(び:足瘡)且つ尰(しょう:足腫病)、爾の勇伊れ何ぞ。
猶(はかりごと、と通説。しかし猶=同=亂階(禍端、禍根)でしょう)をなすこと將(まさ)に多し、爾の居徒(なかま)幾何(いくばく)ぞ。
詩意
はるかなる天たる天は父母でもあり、父母たる天に曰う。
(我はかくも)無罪無辜なのに、(世の)亂はかくも無惨に覆い尽くす。
天たる天は暴虐だが、予は慎ましく無罪(のはず)。
天たる天ははなはだ無惨だが、予は慎ましく無辜(のはず)。
亂の初めの原因は僭越を許すにある。
亂が深刻化するのは、君主が讒言を信ずるからだ。
君主が讒言を怒りつければ、多くの亂など早いうちに阻止されるものだ。
君主が真剣に止めれば、多くの亂などたちどころに已むものだ。
(いまどきの君主はそうしないからダメなのだ)。
君主たちは屢(しばし)ば盟(ちか)いあう、そんなことをするから亂はかえって深刻化する。
君主たちは、いわば盗人達を信用する、だから亂はかえって暴虐になる。
盗人の言葉は大変甘い、だから亂はかえってお餅のようにおいしそうに見える。
このように諸侯臣下たちは共(=恭、供)を止めてしまう。こうして、周王は病苦になる。
高大な宮殿や宗廟は(昔の)君主たちが昔作ったものだ。
ちまちました大猷(はかりごと)など(昔の)聖人は否定したものだ。
他人にはみな心がある、我らはこれを忖度せねばならない。
どんな利口な兔(乱に生きる諸侯君主でしょう)も犬(聖人周王や心ある人々でしょう)に出会えば(結局は)つかまって(平らげられて)しまうのだ。
柔かい木(巧言を言う諸侯家臣でしょう)はもともと君主が樹えたものだ。
行きずりの人の言葉でも、心はついつい当てにしてしまう。
蛇のような長々した大言壮語も、(所詮は)口より出るもの。
巧言(甘い言葉、旨い言葉、当てにしてしまう大言壮語)は、どれも簧(こう:笛の中の舌)のようなもの、厚顔(無恥)の中からでてくる。
(乱の原因の讒言巧言をなす)こういう連中は一体何者なのか、いってみれば黄河の水辺に屯する麋(しか:角のある牡鹿)なのだ。
拳を持つわけでもなし勇気を持つわけでもないが、本来的に亂の原因(狩猟の対象)なのだ。
(健康な牡鹿でなく水辺に居るから)微(び:足瘡)で尰(しょう:足腫病)を病んだ牡鹿だから、その勇気などどうって事はないのだ。(あるいは、爾=心ある人たち、と読むなら、君たち心ある人たちの勇気には勝てっこないのだ、とも読めましょうか)。
乱をなすことばかり多い連中だ。その仲間は幾何(いくばく)もない大したことはない連中だ。(あるいは君たち心ある人は少なくないのだから連中をやっつけれるはずだ、とも読めましょうか)