訓点語という。国語である。和文語ではない。日本語である。などなど、実際はどうであったか。訓点語学会に報告があり、その創設のころの、訓点語学会は、平安時代初期から日本において漢文に記入されて来た古訓点を中心として、広く国語史・文体史・古辞書等の研究をする人々の団体、昭和29年の設立に遠藤嘉基先生が会長となる。遠藤先生には1973年から5年の間、その名講義、日本霊異記の訓釈についての訓詁注釈を受けた。さてその訓点語には一方の泰斗、中田祝夫先生が見える。奇しくも1980年から88年まで中田先生とは職場を同じくした。訓点、訓点研究、泰山北斗の奇遇にあって、わたしにおける学びは尊い。日本語の草創に思いをはせると訓点語資料のことがある。
https://kambun.jp/izanai/04-12rekishi.htm
>漢文訓読はいつから行われているのでしょうか?
興味ある問題ですが、漢文訓読がいつごろから始まったかは明らかではありません。応神天皇の15年(西暦284年)に、百済(くだら=当時朝鮮半島にあった国)から来日した王仁(わに)によって、『論語』と『千字文』がもたらされた時、すでに訓読の方法があったという説さえあります。
それはありえないとしても、推古朝にはすでに漢文訓読が行われていた形跡があります。奈良時代末期から平安時代になると、仮名や「ヲコト点」、返り点などを漢文に直接書き込んだ「訓点資料」が現れます。これらの「訓点資料」により、当時の訓読がどんなものであったかを知ることができます。
> 「ヲコト点」というのは、朱点を漢字の四隅や中央に打って、訓読法を指示する記号です。平安時代の訓読法は各博士家の秘伝だったようで、「ヲコト点」も各家で違っていました。最初期の「ヲコト点」は、朱点ではなく、白粉で書かれていました。これについて遠藤嘉基(えんどう・よしもと)博士は、「書は太陽に向かって読むものであるが、そういう態勢で白粉の加点を見るとなかなか詳細を知ることがむずかしい。極端にいえば、白粉は太陽を背にしてはっきりと浮いてくる。」(『訓点資料と訓点語の研究 改訂版』、臨川書店、14ページ)と述べられています。このような秘密の「ヲコト点」 が次第に「朱点」として固定化されるようになります。
それでは、具体的に昔の訓読はどのようなものだったのか、見てみることにします。
中田祝夫(なかだ・のりお)博士の『古点本の国語学的研究・総論篇』(勉誠社)により、昔の読み方を再現してみます。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
>訓点を施した訓点資料に表記されている国語をさす。いままでに知られている最古の資料は『華厳経刊定記 (けごんきょうかんじょうき) 』 (783) である。平安時代後期以降は固定化して伝承されたので,平安時代前期の有識者層男子の文章語を知るための貴重な資料である。漢語の数・頻度数が多く,和語の種類が少いこと,促音便・撥音便が用いられていること,「シカレドモ」 (和文サレド) や「ゴトシ」 (和文ヤウナリ) など,和文にはみられない特有の語彙があることなど,すでに当時の会話語とはかなり異なる相をなしていたことが知られている。
デジタル大辞泉の解説
古代、漢文を訓読するときに用いられた国語。語彙・語法において和文語とは違った特徴を有し、後世の文語体の形成に影響を与えた。
精選版 日本国語大辞典の解説
〘名〙 漢文を訓読する際に用いる語。漢文に施された古い時代の訓点によって知られる日本語。