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国語文法、日本語文章論5

2016-07-03 | 日本語文章
それは国語学だから日本語学の研究ではどうなるかをとらえなければならない、という言葉を耳にして、聞きなれたことではあるが、その立場を表明しての言及は事実の解明には役に立っていない。国語学が果たしてきた分析と、日本語学が果たしてきた、かどうか、じつはまだ、それは分明ではないのだけれど、日本語研究というのなら、日本語教育研究から進められてきたことというなら、それはそれで、理のあるところであるけれど、いくつか思い出すようなことである。国語研究で和文と漢文を区別して、和語のこと、漢語のことと闡明にしての議論を、国語学ではやっていた。漢文訓読による日本語研究であったろうに、訓点語学会は和語でない日本語という、いまにして思っても、おかしな立場を表明して研究を分けようとしていた。あれはなんだったのだろう。国語の祖語を追求しようとして、日本語の系統を論じようとしたら、国語は文献研究の証拠を求めて、祖語の探求を仮設としてするわけではない、とか何とか、学会の会場が凍り付いたものだった。国語学に和語漢語外来語があっても国語の現象であるとするならどれにも言葉としての、日本語であることには変わらない。国語の偏見には、しからしめるところがあるにしても、いまの時代は、いってみると外来語と和語漢語の拮抗である。日本語学ではというときに、かつて国語が持っていたらしい、その国語をとらえていたような、おちいる料簡があって、それ以外を国語としないような、そんな雰囲気を日本語研究と称して日本語の分析をのみよしとするのは、議論者がそれを、国語分析を理解しない、しようとしないのではなくて、斥けて良しとする偏見のほか、なにものでもない。どこへいっても日本語である。


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