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日本語学・日本語教育セミナー2016

2016-07-02 | 日本語教育
中部地区は大学院、日本語学・日本語教育、専攻の学生の研究集会がある。名古屋外大で行われて、熱心な集まりであった。そこで、ご指導をくださいとばかり、呼び出されることとなる。ボランティアである。会場の司会者が、まず、先生方の指導を繰り返しアナウンスするのも妙だが、周りに誰もいないと、これまた、何か言わなければならないかと、学生自身の指導担当がいるだろうにと思ってしまう。それでも、プログラムを眺めて会場を選んで、4会場あるのだが、聞いて回るようなことだ。院生ともなると、わがところでは計画発表会M1、構想発表会M2、そして中間発表会というのが修士論文の発表会をやっているから、おのずと、それに合わせたコメントということである。しかし、2年の後期ともなれば、それは中間発表会にあたるが、テーマにトピックに絞り込まれたことになるので、それなりに合わせた物言いとなるわけだが、計画、構想に段階であるとすると、それは選択肢を許すようなところでのコメントである。一番、その時期に適した意見を出す、質問をするというのは難しい、ということが、発表者たちにはわかっているのだろうか。日本語教育のテーマは裾広がりで、習得研究には、いわば、きりがないから、それはまたいっぽうで、実践研究報告になることもあって、研究手法やモデルの理論は抑えられたとしても、その修士論文となると、どうしてもやはり博士論文のための中途段階の報告にしかならず、それはそれで結果と考察でいいということになってしまうわけである。その様子の、さっきにやること、計画と、構想であるから、そこがしっかりできることが肝心で、パイロットテストでもやったというならば、それを言わなければならないのであって、あるいは研究文献の読み取りか先行研究の問題点探しをして議論の構築を構えるのであるから、まだそれを実験し証明していないのではものの言い放しであるようなことで、何かを言うために聞いているのは大変なことである。といいながら、朝から夕方まで8本ほどを聞いて、何を言えばいいのかわからない会場で、なるべく、困っていそうなのを聞いてみることにする。なかには開始早々では、ひとりだけ、それはわたしだけであったのであるが、その報告を聞いていて、する方もやりにくいことこの上ない、D院生が一人同席して、コミットメントをコミットすることになった。ディタッチメントがあって、評論研究でいえば、ああだこうだと言えるようなことだが、作家研究作品研究と広く見て文学研究をしたいのかどうか、留学している間の報告発表で北京の外大だとそのレベルにあって、研究手法のイロハもないのに、作品そのものの分析ができるかどうか、アンダーグラウンンドを、>『アンダーグラウンド』は、小説家の村上春樹が初めて取り組んだノンフィクションとして、新聞・雑誌等で賛否両論を含めて話題になった。その内容とは、1995年3月20日に起こった「地下鉄サリン事件」に関するものであり、62名に及ぶ事件の被害者に、直接村上春樹がインタビューをした記事をまとめたものとなっている。村上は河合隼雄との対談集において、このノンフィクションの出現を予告した。  コミットメントとしての作品とする作家の空想力に、それはフィクションではないのだけれど、言語としてだけのアプローチはおのずと限界がある。彼は僕の高校の後輩だからと、つい余計な内輪話までして、大学の学生運動をどう見たかを先輩として知ると、あいかわらずの作品であること、ついつい、個人感想を言わなくてはならないほど、会場は人気なく、ディタッチメントであった。そんなふうに発表している院生たちに、この研究集会はどこにレベルを求めるのか、心理学を専攻していた学生が修士に入って言語学1年生だからとおことわりをして認知心理学からの方法で実験計画を言ってみて、その発表内容は大したもんだから仮説を作って実験すればそれはそうなるであろうと思いつつ、心理学と認知言語とを、心理でもなく言語でまなく結びつける研究室のやり方では、この発表では何を言ってやればすむのか。認知言語は刺激と反応に偏りすぎては言語を媒介とした概念ではなくなってしまうので、概念メタファーと心理イメージとプライミング効果とをもってして言語の学問がどうこたえるかと切り込んできたのでは、どうしようもない。発表場所が違っているようなことで、日本語教育の面々に語意と身体性を問うても、それが概念操作のなせる業であるから、そちらの実験でどうかよろしくとなる。ついつい、言うことがないから、言語学1年生ですと見えを切ったスライドに向けて、もっと言語学の本を読みなさい、言語学の研究専門書を読んで、いまのご自身の手法を確かめるとよいなどと言ってしまうことになる。統語情報によってわかる実験の結果は言語から言うとふつうのことで、そこに刺激と反応をだけ、というわけではないのだろうけれども、もう少し言語学が研究する他者とのやり取り、いうところのコミュニケーションのための研究に向かうことを知らなければ、認知言語の限界を明らかにすることも、もとよりできない相談である。本を読むのに、推薦図書はというから、この発表にあうのは入門書から始めますか、ランダムに手当たり次第でもいいでしょう、言語研究が何をやっているかを知ってください、そのうえで、持っている研究方法を応用するといいでしょう、とかなんとか、タイトルにプログラムでその作成者がおこした印刷ミスは、発表者にとって致命的でもあったのであるから、それに気づく人もいない研究集会である。妄言多謝。


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