政治がなにを操るか、という問いかけは、直ちに反発をもらいそうだが、政治家が嘘をつくという、そのことに気づいてから、わたしには60年がたつ、つまりそこで政治家をあきらめることになる、その思いから、マスク2枚騒動を眺めている。これには美しい日本を実現するという表現にも、同様のことであった。
ただちにも、新冠病魔の政府がとる対策に、どこそこの支給はいくら、支援はいくら、最近のニュースでは、韓国ではインスタントフードが送られてくるそうで、その政治による虚実を含めて、政府が行うことを言われたことだけで比較しても意味がないだけでなく、日本におこる状況を説明するに象徴的になってしまったかのような議論誘導には気を付けた方がいい。それが、所得の減収に対して30万となれば、誰も何も言えなくなってしまったかのように、海外でも取り上げるマスク2枚論である。
だから、それをどうのこうのと言わないけれど、本気になっておこっているような2枚の議論には、致し方ない。そもそもで考えれば、使い捨てマスクを作った人がいて、それを後生、大事のものと考えるには資源のことからすれば、大げさだけれども、ひところように、布製の、ガーゼを用いた、それに工夫をしたマスクを使えばよいと思ってしまうのは、わたしだけか。くしゃみをして、せき込んで、ヒトに及ぼさないことが肝心である。
専門家やらなにやら、マスクは役に立たないとか、病者のしるしになるとか、マスクの衛生についてだけでなく、そこに洋の東西で、ウイルスを防ぎえない、とか、一方で、病人がするものだから、と言って、様々なことが言われるが、その発言は、医師の所見でしかない、ということが、感染症者に対する看護の医師の、自分たちのマスク姿をみればわかる。
その根本に、その効用を知るならば、清潔に保つマスクの管理をする、つまりは、洗って消毒して使うようなことを考えれば、これは病院では大変なことになってしまうから、専用の除菌がわりの使い捨てとなると、ゴム手袋も同様、それでは、中、軽症で他人に菌を移さないという発想で気持好く使えばよい、という考え方がある。
日本人の気質風土があったはずであるとおもって、湿気が多い、寒気寒風の風邪に防御できるのは、マスクには違いないので、自分たちでその用法を自覚して、節約、節制を持つべきであろう。