主語と述語を文の中で見つける練習問題を捉えて中学生の議論をしているのだが、これもまた、主語とはなにかを説明の上で明らかにしないで、ああだこうだという、まるでその学習を大してして来なかった、その説明をまともにしてもらってこなかっような経験があって、じつは理解力があったかどうか、自らの学習経験での不足を言い立てては中学生がそうであるかのような話は、おかしなことである。そういう話をしているのだから、主語とは何かとか、文の中での役割を議論の外に置こうとする、まったくもって、自分がわからなくしているだけのような説明の仕方である。もちろん日本語だけでなくほかの言語でも主語が大事であるということをふつうに認めているようなので、中学校の教科書に書いてあるとかないとか言いながら、それ以上の、自身の考えを表明していない、ということは、学校での学習した説明をわかっていない、受けていない、というような文章になっている、としか思えないのは、中学生の国文法の学習を全く打ち消してしまった態度だからなのである。
と、前回に続けて中学生のレベルで議論を始めて、いきなり国語、言語の専門をひけらかす書であるから、先週はこれを紹介しなかったが、じつは、またこのブログできっかけとなった御意見番の著作が、前回、今回と、下敷きになっている。
下敷きのたとえはいささか気が引けるが、日本語のしくみがわかる本、研究社出版、2000年11月発行、そして著者は町田健さんである。いくつかの啓蒙のタイトルで、言語ないし文法を、好きになる、分かる、よくわかるなどという、仕組みもこの流れでいえば、しくみがわかる、そうなるかならないか、20年を経て巡り合うことのない著作であったが。