語と意味をとらえて漢字と語義を考えた。それは語義、語意として、語の意味を見直すことであった。語を言語記号とする見方では、漢字はどのように捉えられるか。ソシュールの言語記号は聴覚映像と概念をコインの表裏の関係で説明する。/arbor/と樹形図とを半円にした図は講義ノートにより書きこまれたもののようだが、その樹形図に漢字を書きこむものもあって、聴覚映像は、/ki/ となる。
漢字をそのまま概念に当てはめる議論はとくにないが、国語学者の間では一つを措いてそのモデルをあきらかにしない。その一つは半円ではなくて3等分する図形となる。つまり、聴覚映像と漢字と概念である。言語記号に文字が入り込んでその位置づけは果たして語と意味の関係を表すものとなるだろうか。ここに漢字と意味の関係、文字とは言葉そのものであるか、ということが問われ、文字は記号ではないとすることができるかどうかである。
意味の意味についてはオグデンとリチャーズによって言語と指示するものの関係を現わした意味の基本三角形でよく知られている。シンボルと考えと指示物が3点に位置し、ことばとモノの関係はその図形の頂点にある考えを通してあらわされ、重要なのは底辺にあたる象徴と指示物が実践では描かれていない。直接には結びつかないことを破線で表している。指示するのはことばではない。これはのちに、意味の3角形としてウルマンらによって表される言葉と概念とモノの関係になる。意味の基本三角形が表したのは漢字を介して意味をとらえる日本語そのもと考えてよい。
漢字概念は言語を手段とするわたしたちにとっては音象徴に現われる文字が何であるかという解明が迫られる。文字を言葉とみてきたので、それはただの記号ではない。音声記号に対して文字記号になる、つまり言語記号である。
漢字をそのまま概念に当てはめる議論はとくにないが、国語学者の間では一つを措いてそのモデルをあきらかにしない。その一つは半円ではなくて3等分する図形となる。つまり、聴覚映像と漢字と概念である。言語記号に文字が入り込んでその位置づけは果たして語と意味の関係を表すものとなるだろうか。ここに漢字と意味の関係、文字とは言葉そのものであるか、ということが問われ、文字は記号ではないとすることができるかどうかである。
意味の意味についてはオグデンとリチャーズによって言語と指示するものの関係を現わした意味の基本三角形でよく知られている。シンボルと考えと指示物が3点に位置し、ことばとモノの関係はその図形の頂点にある考えを通してあらわされ、重要なのは底辺にあたる象徴と指示物が実践では描かれていない。直接には結びつかないことを破線で表している。指示するのはことばではない。これはのちに、意味の3角形としてウルマンらによって表される言葉と概念とモノの関係になる。意味の基本三角形が表したのは漢字を介して意味をとらえる日本語そのもと考えてよい。
漢字概念は言語を手段とするわたしたちにとっては音象徴に現われる文字が何であるかという解明が迫られる。文字を言葉とみてきたので、それはただの記号ではない。音声記号に対して文字記号になる、つまり言語記号である。