現代日本語文法文章論 題材は、タイトルが、ピッケル研究 頂上目指す とあり、副題に、登山の進歩支える「山男の魂」、国内外からコレクション とある。日本経済新聞の文化面、20140925付けである。執筆者は諏訪部豊氏である。なお、有料会員サイトであり、著作の全文をこのように言語分析に資料としているので、そのことをお断りするとともに、ここにお礼を申したい。
冒頭の文は、次である。
> 険しい雪山を登るのに欠かせないピッケル。
末尾の文は、つぎである。
>今後も研究を深めるとともに、コレクションを広く見てもらえる博物館を設けたいと考えている。
書き出しの文段は、次のようである。
> 険しい雪山を登るのに欠かせないピッケル。侍の日本刀になぞらえ「登山家の魂」ともいわれた。つるはしのような形をしていて、雪にさして登る手がかりにしたり、氷雪を削って足場をつくったり、つえにしたりする。私は約15年にわたり、ピッケルの収集と研究を続けてきた。本場スイスやフランス、イタリア、日本製などコレクションは約200本に膨らんだ。
末尾の文段は、次のようである。
> それでも木製シャフトのピッケルは登山の進歩に重要な役割を果たし、集めたものには歴史的な価値があると考えている。研究はまだまだ途上で、今でも8合目あたりだろうか。今後も研究を深めるとともに、コレクションを広く見てもらえる博物館を設けたいと考えている。
段落は、見出しのもと、次のようである。
>改良重ね、軽く丈夫に
夏でも氷河の残るヨーロッパアルプスでは登山家の求めに応じて、ふもとの農村で農具を作る古くからの鍛冶屋が、仕事の合間にピッケルを作っていた。鋼材を熱してたたく鍛造で、1本ずつの受注生産だった。
>ネットで海外にも人脈
ピッケルの魅力は、やはり山男のシンボルだということだ。持っているだけで登山家とわかる。登山を始めたばかりだった15歳の私には輝いて見え、次第に集めたくて仕方なくなった。
>まだ8合目、道は続く
私が収集と研究をしているのは鍛造の手作りで、柄の部分(シャフト)が木製のものだ。金属シャフトのものが約50年前に生まれ、1980年代に普及したことで、今では木製シャフトのピッケルはほとんど使われていない。製作する職人は世界で3人になったとされる。
春秋
2014/9/25付
日本経済新聞
「一つ六銭だよ」。屋台のすし屋のあるじに言われて、仙吉はつまみかけた鮪(まぐろ)のにぎりを元に戻す。ふところには4銭きり。多分これで足りると思ったのが計算違い、少年は逃げるように店を後にするのだった――。志賀直哉の名作「小僧の神様」の有名な場面である。
大正時代の小僧さんのような気分を、買い物のさいに味わっている人も少なくあるまい。この春の消費税アップにともない外税表示が認められるようになったため、ときとして会計の段になって往生するのだ。1980円か、こりゃあ値ごろだな……と千円札を2枚出してお釣りを待っていたら「138円足りませんっ」。
「外税を知らずにレジで天仰ぐ」「値札見て『込み』か『抜き』かと目をこらす」。神戸元町商店街が先月、消費税をテーマに募集した川柳にもこんな作品が並んだ。レジでいきなり8%を加算されたときの負担感はなかなかのもので、増税をいやでも意識するはめになる。ここにきての消費伸び悩みの一因かもしれない。
わずかな差でも「イチキュッパ」に引かれるのが人の世だ。なのにつれない外税表示だが、再増税のあかつきには内税表示に戻ると言われても「10%」が頭に浮かんでこれまた心乱れよう。かの小僧はやがて鮨(すし)をたらふく食べさせてくれる紳士に出会う。消費を盛り上げるそういう「神様」はどんな政策か、企業の知恵か。
冒頭の文は、次である。
> 険しい雪山を登るのに欠かせないピッケル。
末尾の文は、つぎである。
>今後も研究を深めるとともに、コレクションを広く見てもらえる博物館を設けたいと考えている。
書き出しの文段は、次のようである。
> 険しい雪山を登るのに欠かせないピッケル。侍の日本刀になぞらえ「登山家の魂」ともいわれた。つるはしのような形をしていて、雪にさして登る手がかりにしたり、氷雪を削って足場をつくったり、つえにしたりする。私は約15年にわたり、ピッケルの収集と研究を続けてきた。本場スイスやフランス、イタリア、日本製などコレクションは約200本に膨らんだ。
末尾の文段は、次のようである。
> それでも木製シャフトのピッケルは登山の進歩に重要な役割を果たし、集めたものには歴史的な価値があると考えている。研究はまだまだ途上で、今でも8合目あたりだろうか。今後も研究を深めるとともに、コレクションを広く見てもらえる博物館を設けたいと考えている。
段落は、見出しのもと、次のようである。
>改良重ね、軽く丈夫に
夏でも氷河の残るヨーロッパアルプスでは登山家の求めに応じて、ふもとの農村で農具を作る古くからの鍛冶屋が、仕事の合間にピッケルを作っていた。鋼材を熱してたたく鍛造で、1本ずつの受注生産だった。
>ネットで海外にも人脈
ピッケルの魅力は、やはり山男のシンボルだということだ。持っているだけで登山家とわかる。登山を始めたばかりだった15歳の私には輝いて見え、次第に集めたくて仕方なくなった。
>まだ8合目、道は続く
私が収集と研究をしているのは鍛造の手作りで、柄の部分(シャフト)が木製のものだ。金属シャフトのものが約50年前に生まれ、1980年代に普及したことで、今では木製シャフトのピッケルはほとんど使われていない。製作する職人は世界で3人になったとされる。
春秋
2014/9/25付
日本経済新聞
「一つ六銭だよ」。屋台のすし屋のあるじに言われて、仙吉はつまみかけた鮪(まぐろ)のにぎりを元に戻す。ふところには4銭きり。多分これで足りると思ったのが計算違い、少年は逃げるように店を後にするのだった――。志賀直哉の名作「小僧の神様」の有名な場面である。
大正時代の小僧さんのような気分を、買い物のさいに味わっている人も少なくあるまい。この春の消費税アップにともない外税表示が認められるようになったため、ときとして会計の段になって往生するのだ。1980円か、こりゃあ値ごろだな……と千円札を2枚出してお釣りを待っていたら「138円足りませんっ」。
「外税を知らずにレジで天仰ぐ」「値札見て『込み』か『抜き』かと目をこらす」。神戸元町商店街が先月、消費税をテーマに募集した川柳にもこんな作品が並んだ。レジでいきなり8%を加算されたときの負担感はなかなかのもので、増税をいやでも意識するはめになる。ここにきての消費伸び悩みの一因かもしれない。
わずかな差でも「イチキュッパ」に引かれるのが人の世だ。なのにつれない外税表示だが、再増税のあかつきには内税表示に戻ると言われても「10%」が頭に浮かんでこれまた心乱れよう。かの小僧はやがて鮨(すし)をたらふく食べさせてくれる紳士に出会う。消費を盛り上げるそういう「神様」はどんな政策か、企業の知恵か。