右か左かと政治に限る話ではなかった。赤か白かであった。紅白の戦いに西軍東軍の別、さらには勤王佐幕と官軍賊軍の謂いにもなった。時を経て憲政に貴族院と衆議院は民主主義に選挙制度を開き議会に右翼左翼が見えて保守と革新の名分を担うようにもなった。政治家と民衆に国民はひとつとなるか、大衆と人民とには懸隔がある。
さて何やらわけのわからぬことで、政体のなり行くところ、
>アリストテレスは、政体の種類を、君主制、貴族制、民主制の三つの形態に区分し、また上記3種の政体が堕落した政体をそれぞれに専制、寡頭制、衆愚制と名づけた。
古典的分類と20世紀以降の国家形態との立憲か専制かあるいは共和制かという議論になったようにも見え、主権の現れをみるようにそれぞれの取り決めがある。政治共同体をなすは民族である、その民族の終結に国が形成される。
その一方では民族と民族とで個体を主張しての国家内のせめぎは近代には外形にはなはだしく東西、南北の分裂をもたらしたイデオロジーのありようも問われる。右と左に保守と革新があったのは政体のうちに分派することなく言ってみればイデオロジーの均衡があったからであろう。それがグローバル化が見せる国家間の地勢と対立軸を鮮明にするような経済状況と軍事準備が時世の経過に明瞭になりだした。
この右、左には、しかし、さらに主義主張のために手段を選べないという自己目的実現のための勢力が固まりつつある。分断に象徴されるのは格差という手段方法である。
世界大百科事典内のイデオロギー対立の言及
【冷戦】より
… そして二つの国が圧倒的優位にたち,同時にこの大国を中心としてブロック化がなされるという以上の二つの特色は,19世紀にヨーロッパの大国間に存在した,ほぼ同等の力をもつ国々が柔軟に連合する,いわゆる〈勢力均衡体系〉とは構造的に異なっていた。
[イデオロギー対立]
二つの〈超大国〉,ないしブロックの間では,政治体制の違いによる対立も生じ,それぞれの体制の政治原理の正当性をめぐって激しい論争が繰り返された。いわゆるイデオロギー対立であり,対立は妥協がほとんど不可能な原理の正否をめぐる様相を呈した。…