言語活動を言葉ととらえると、日本語を言語学の概念で、ソシュールの用語をあてはめることができる。すでに翻訳をもって、パロールを言、ラングを言語とする。ソシュールはラングをランガージュとして位置付けて、その体系また構造を議論したのであるから、その言語活動をどうとらえたかは、日本語に即して考え直すことになる。ランガージュは言語活動であるとして、言語、言であるなら、言葉を話すこと、使うことは、言うことと語ることであって、その実際には、臨時、一回性においてのことの一つ、一つである。日本語はそれを記録する手段を持たなかったので、漢字を入れて、表記しようとする。日本語の意識における表記は、その行動については、その時において、いわば書記言語を手にれて文字である言葉と日本語を当てる作業であった。表記行動としての段階より前の、書記行動のための文字学習にあった。そこで、ことは言、事であることとしてとらえることになる。口に出していった言葉と目の前の事実か、それを記憶して経験とする事である。したがって、その事には言葉をとらえようとする、言に対する言語を経験と知識に加えていくことになる。言葉が言語活動であることは、話すこと書くことを通して、考えることをすることになるので、その言葉を抽象化する作用をもって言語とするのである。そしてまず言葉に迎えられたのは読むことである漢字であり、それをいかに発音するかという聞くことであったのである。その時代における日本語を方処において聞き分けることは困難があったであろうから、文字を通しての読みによる言葉は共通の理解を得る手段となって、その聞き分けによる音韻が日本語の発音となって伝播して、それに伴っての日本語読みが確立していくことになる。
>ランガージュ(ラングとパロール)【Lamgage(Langue and Parole)】
言語学者、ソシュールによって言語を定義づけるために生み出された言葉である。言語は、ある民族がコミュニケーションをとるための最大のツールであり、民族文化の大きな資産と言っていいだろう。ソシュールはまず、ランガージュとして、話すこと・聞くことという行為の総体を「言語活動」として捉え直した。しかし、民族の共通言語としての言葉は、一言語集団内でない限り、外部にはその意味内容は複雑である。そこで単一民俗の文化的な資産としてではなく、「言語活動」を総合的な「言語学」として捉えるためには、相反的な二面性から捉え直す必要があると考えた。その結果として、「ラング」「パロール」という二分的かつ統括的な概念、定義を見出すこととなった。まず、ラングとは、「辞書」として、その民族ほとんどがその意味を理解し普遍的に運用できる言葉の体系である。一方のパロールは、いわば「会話」であり、一民族といえども、その中にある集団だけが共有し、その集団以外の者にとっては理解不能な、つまり「会話用語」と言い切ってもかまわない言語である。そして、この会話用語が、民族全体にまで適用するようになれば、やがては「辞書」に収容されてラングとなる。また、ラングの中にある言葉がパロールとして別個の意味を持ち、会話に登場した場合もある。この相互性や相反性を「ランガージュ=ラング+パロール」とソシュールは定義した。そして、この言葉の定義は拡張し、言語学以外にまで適用されるようになっていった。
例えば、デザインにおけるラング性とは、普遍的で一般的に理解でき得る体系的な形態だと言うことができる。しかし、ある集団の嗜好や価値観でのみ受け止められる形態は、パロール性のある形態となり、そのデザインの背景や思想もパロール的であると言える。したがって、デザインによって新たな形態や機能性を生み出すには、パロール的な思想が不可欠だと考える。けれども「パロール的なデザイン」が、理解されるためには、必ずラング性へと変位していく、ある種のデザイン戦略が必要である。デザイン活動における造形言語にも「ラング」と「パロール」が存在するということである。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
ランガージュ/ラング/パロール
らんがーじゅらんぐぱろーる
langage/langue/paroleフランス語
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言語学の用語。言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが、一般言語学をめぐる議論のなかで区別した、言葉の三つの契機。ランガージュ(言語活動)とは、言語をはじめとする記号をつくり出し使用することを可能にするさまざまな能力およびそれによって実現される活動を指す。この能力、活動には、発声、調音など言語の運用に直接関係するもののほか、抽象やカテゴリー化といった論理的なものも含まれる。これに対して個々の社会のなかで、記号のつくり方や結び付け方、あるいは個々の記号の意味領域などをめぐる規則(いわゆる文法や語彙)が制度化されたものをラング(言語)という。フランス語や日本語といった各国語や、方言といった単位がこれにあたる。さらにこのラングという枠組みのなかでランガージュを機能させることにより実現する、具体的に発せられた個々の言葉がパロール(言)とよばれた。のちにフランスの言語学者A・マルティネAndr Martinet(1908―1999)は、両者の関係をコード(送り手と受け手のあいだで共有されている記号の構成規則)とメッセージ(コードにもとづいて構成・解説される記号)の関係になぞらえている。ただしラングはけっして一方的にパロールを規制するばかりではなく、実現したパロールの側から影響を受けて変化するものでもあるという、相互依存的な関係にあると考えられていた。
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ソシュールの死後弟子の手により編纂され出版された『一般言語学講義』Cours de linguistique gnrale(1916)はこの3区分を導入した上で、個人的、偶然的なパロールとは区別された社会的、本質的なラングをこそ言語学本来の対象として規定し、ある時点での体系を記述する共時言語学とその時間のなかでの変化をとりあげる通時言語学との区別を提示した。これは言語体系の静的な構造にまず注目する20世紀の構造主義言語学の流れをつくることになる。ただしソシュール自身は、パロールをその発声といった物理的、生理的側面と選択や結合といった精神的、心理的な側面にわけた上で、この後者の意味でのパロールの言語学をも構想していた。そもそもランガージュ/ラング/パロールの3区分は、言葉を一つの固定した実在としてではなく、複合的契機からなる力動的、弁証法的なプロセスのなかでとらえることを可能にするものであり、こうしたとらえ方はメルロ・ポンティやラカンらによって継承発展させられた。[原 和之]
>ランガージュ(ラングとパロール)【Lamgage(Langue and Parole)】
言語学者、ソシュールによって言語を定義づけるために生み出された言葉である。言語は、ある民族がコミュニケーションをとるための最大のツールであり、民族文化の大きな資産と言っていいだろう。ソシュールはまず、ランガージュとして、話すこと・聞くことという行為の総体を「言語活動」として捉え直した。しかし、民族の共通言語としての言葉は、一言語集団内でない限り、外部にはその意味内容は複雑である。そこで単一民俗の文化的な資産としてではなく、「言語活動」を総合的な「言語学」として捉えるためには、相反的な二面性から捉え直す必要があると考えた。その結果として、「ラング」「パロール」という二分的かつ統括的な概念、定義を見出すこととなった。まず、ラングとは、「辞書」として、その民族ほとんどがその意味を理解し普遍的に運用できる言葉の体系である。一方のパロールは、いわば「会話」であり、一民族といえども、その中にある集団だけが共有し、その集団以外の者にとっては理解不能な、つまり「会話用語」と言い切ってもかまわない言語である。そして、この会話用語が、民族全体にまで適用するようになれば、やがては「辞書」に収容されてラングとなる。また、ラングの中にある言葉がパロールとして別個の意味を持ち、会話に登場した場合もある。この相互性や相反性を「ランガージュ=ラング+パロール」とソシュールは定義した。そして、この言葉の定義は拡張し、言語学以外にまで適用されるようになっていった。
例えば、デザインにおけるラング性とは、普遍的で一般的に理解でき得る体系的な形態だと言うことができる。しかし、ある集団の嗜好や価値観でのみ受け止められる形態は、パロール性のある形態となり、そのデザインの背景や思想もパロール的であると言える。したがって、デザインによって新たな形態や機能性を生み出すには、パロール的な思想が不可欠だと考える。けれども「パロール的なデザイン」が、理解されるためには、必ずラング性へと変位していく、ある種のデザイン戦略が必要である。デザイン活動における造形言語にも「ラング」と「パロール」が存在するということである。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
ランガージュ/ラング/パロール
らんがーじゅらんぐぱろーる
langage/langue/paroleフランス語
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言語学の用語。言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが、一般言語学をめぐる議論のなかで区別した、言葉の三つの契機。ランガージュ(言語活動)とは、言語をはじめとする記号をつくり出し使用することを可能にするさまざまな能力およびそれによって実現される活動を指す。この能力、活動には、発声、調音など言語の運用に直接関係するもののほか、抽象やカテゴリー化といった論理的なものも含まれる。これに対して個々の社会のなかで、記号のつくり方や結び付け方、あるいは個々の記号の意味領域などをめぐる規則(いわゆる文法や語彙)が制度化されたものをラング(言語)という。フランス語や日本語といった各国語や、方言といった単位がこれにあたる。さらにこのラングという枠組みのなかでランガージュを機能させることにより実現する、具体的に発せられた個々の言葉がパロール(言)とよばれた。のちにフランスの言語学者A・マルティネAndr Martinet(1908―1999)は、両者の関係をコード(送り手と受け手のあいだで共有されている記号の構成規則)とメッセージ(コードにもとづいて構成・解説される記号)の関係になぞらえている。ただしラングはけっして一方的にパロールを規制するばかりではなく、実現したパロールの側から影響を受けて変化するものでもあるという、相互依存的な関係にあると考えられていた。
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ソシュールの死後弟子の手により編纂され出版された『一般言語学講義』Cours de linguistique gnrale(1916)はこの3区分を導入した上で、個人的、偶然的なパロールとは区別された社会的、本質的なラングをこそ言語学本来の対象として規定し、ある時点での体系を記述する共時言語学とその時間のなかでの変化をとりあげる通時言語学との区別を提示した。これは言語体系の静的な構造にまず注目する20世紀の構造主義言語学の流れをつくることになる。ただしソシュール自身は、パロールをその発声といった物理的、生理的側面と選択や結合といった精神的、心理的な側面にわけた上で、この後者の意味でのパロールの言語学をも構想していた。そもそもランガージュ/ラング/パロールの3区分は、言葉を一つの固定した実在としてではなく、複合的契機からなる力動的、弁証法的なプロセスのなかでとらえることを可能にするものであり、こうしたとらえ方はメルロ・ポンティやラカンらによって継承発展させられた。[原 和之]