これで土曜日から5日め、そろそろ旅の疲れがなくなるころである。
このうち、中国はどうであったかとこのたびの訪問の感想を聞かれた。
僕のような訪問はいつも変わらない、と答えた。
中国語のコミュニケーションをとれば異なることもあるが、それをしない、できないということでは、いつも同じである。
それでも見聞することはあるのだが、行くたびに経験してきているところで、取材に出かけている記者たちのレポを思うと、そうしているわけでもない、いたって悠長なことなのである。
ある人に向けたメールで、
> 見た目に変わるこちらの本質はさして変わらないと3年ぶりの
思いをお話しした通りであるとの実感を改めて強く持ちますが、
小さな車がひしめき合った渋滞の気ぜわしさ、騒音と排気ガスは
変わることなく、それで、むやみに鳴らす音もなくなり、すこし
余裕を持った大きい車で運転の技術も向上しているようで、そう
なればなるほど、かわらないものはそのままにかえって、強めて
現れそうで、わがもの顔の外車が走り回るのは奇妙なことに違い
なく、これは真似だけでない文化の変化なのかと、どうなるんだ
ろうかと考え込んでしまうほど、個の西洋に対して、組の東洋、
なかでも日本は集であり、韓国は団であるような、中国の組織に
は歴史的な動きが、いままた加えられ続けているやに見えます。
と書いた。
こまかに見れば、変化の幾つをも知ることがある。
それを当然のように経済の進展だと考えている人々にはすべてが中華なのである。
このうち、中国はどうであったかとこのたびの訪問の感想を聞かれた。
僕のような訪問はいつも変わらない、と答えた。
中国語のコミュニケーションをとれば異なることもあるが、それをしない、できないということでは、いつも同じである。
それでも見聞することはあるのだが、行くたびに経験してきているところで、取材に出かけている記者たちのレポを思うと、そうしているわけでもない、いたって悠長なことなのである。
ある人に向けたメールで、
> 見た目に変わるこちらの本質はさして変わらないと3年ぶりの
思いをお話しした通りであるとの実感を改めて強く持ちますが、
小さな車がひしめき合った渋滞の気ぜわしさ、騒音と排気ガスは
変わることなく、それで、むやみに鳴らす音もなくなり、すこし
余裕を持った大きい車で運転の技術も向上しているようで、そう
なればなるほど、かわらないものはそのままにかえって、強めて
現れそうで、わがもの顔の外車が走り回るのは奇妙なことに違い
なく、これは真似だけでない文化の変化なのかと、どうなるんだ
ろうかと考え込んでしまうほど、個の西洋に対して、組の東洋、
なかでも日本は集であり、韓国は団であるような、中国の組織に
は歴史的な動きが、いままた加えられ続けているやに見えます。
と書いた。
こまかに見れば、変化の幾つをも知ることがある。
それを当然のように経済の進展だと考えている人々にはすべてが中華なのである。