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日本人の芸術性

2016-08-26 | 日本・日本人
芸術は技芸である。その技芸は美を作り出す。芸術は美術となる。そして、その美とは何によるか。技が美しさであるのは、その修得に人間がかかわっているからである。すなわち、こころの現れである。想芸という語があり、その語の意味する内容は、かつて神、仏の絶対者へとつながる。それが芸術の始まりなのである。すると、洋の東西において創造された想芸の対象はことなることになる。文字の表す意味で、また芸の字を見ると、通行字体と旧字体の示すところと、その違いがあるが、旧字によると、草木をうえることである。芸術と技術を類義としてみると、近代の翻訳概念で、日本語の技術はドイツ語の、Kunst 技術的能力の意味内容を受けていることがわかる。また、日本語は、わざ こころ そして、こと としてとらえるので、いわば、人間業である。その対象を自然の景色、風物に求めて芸術性を高めてきている。言葉による花鳥風月の現れは、そのふさわしき伝統である。言葉が生み出した美のとらえ方は日本人の情緒にある。あらゆる美の造形に花鳥風月が見える。日本の伝統である。




字通

旧字、げい 声。芸は常用字体であるが、別に耕耘除草をいう、うん という字がある。
説文では、種芸する形と解するものであろう。
金文にはこれを土に植える形に作る。土は杜(社)の初文ともみられ、特定の目的で植樹を行う意であろう。すなわち神事的、政治的な意味をもつ行為である。
訓義
[1] うえる、草木をうえる。
[2] わざ、才能、六芸。
[3] のり、さだめ、きわまり。
[4] まと、射的。
古辞書の訓 (ともに旧字形の漢字を表出)
〔新撰字鏡〕 宇々(うう)〔名義抄〕 ウウ・マト・ナル・ナレタリ・ヨシ・オキテ・シヅカナリ・ナズラフ・ツネニ・ヲサム・ナリハヒ・ユタカナリ・ワザ・ウク・ケ


http://www.f.waseda.jp/hisaot/book01.html
中村直勝『日本想芸史』(1946.10.10発行,宝書房)


芸術

日本大百科全書

>作品の創作と鑑賞によって精神の充実体験を追求する文化活動。文学、音楽、造形美術、演劇、舞踊、映画などの総称。芸術のジャンル

世界大百科事典

>独自の価値を創造しようとする人間固有の活動の一つを総称する語。このような意の日本語としては明治20年前後に翻訳語として始まり,今日では完全に定着したが,この語にあたる西欧語はアート,アールart(英語,フランス語),クンストKunst(ドイツ語),アルテarte(イタリア語,スペイン語),さかのぼってはアルスars(ラテン語),テクネーtechnē(ギリシア語)である。それゆえ芸術の意味を考えるには,芸の正字〈芸〉や〈術〉の語義を中国および日本の文化史に追いもとめる以上に,西洋における芸術観の展開を重んじることになる。

 Kunstは技術的能力にかかわる動詞können(できる)に発し,artやarteの由来せるarsはtechnēの訳語として用いられた。technēは近代語テクニックtechniqueなどの語源であり,〈制作〉とか〈技術〉を意味する。すなわち言葉からみれば芸術は技術と類縁であり,最広義では技術にふくまれる。ところですでにギリシア人は知の性格を技術に認め,これを経験と学問の中間に位置づけていた。学問は真理の認識そのものを目的とし,原理の探究から普遍的な知の体系構築へすすむことを使命とする。他方,技術は明確な作物の制作を目的とし,この点でたんなる経験を超えるが,つねに個物にしばられる点で学問から隔たる。理論の普遍的な知を個々の具体的な事例に適用しつつ,あくまで特殊の認識に生きるのが技術の使命であり,これは芸術にも当てはまる。


日本国語大辞典
>語誌
近世まではもっぱら「学芸・技術」の意で用いられたが、明治期に西洋文化の摂取が盛んになるに及んで、英語のart その他、美の表現・創造を共通の概念とするヨーロッパ各国語の訳語としての(3)の意が出現した。ただし、明治初期にはむしろ同じ訳語に「美術」を用いることがより一般的であり(たとえば明治五年(一八七二)の西周「美妙学説」、同一八年(一八八五)の坪内逍遙「小説神髄」)、「芸術」が新しい意義で定着するのは、ほぼ明治三〇年(一八九七)前後である。
(3)の意  鑑賞の対象となるものを人為的に創造する技術。
空間芸術(建築・工芸・絵画)、時間芸術(音楽・文芸)、総合芸術(オペラ・舞踊・演劇・映画)など。また、その作品。


日本国語大辞典
芸術性
解説・用例
>〔名〕
芸術が本来持っている力。芸術の本質。

*小説の方法〔1948〕〈伊藤整〉日本の方法「表現の芸術性を、高い次元で追うものは、必然になまの現実から遊離する」

*安吾新日本地理〔1951〕〈坂口安吾〉道頓堀罷り通る「ここのストリッパーがさのみ芸術性ゆたかなものでなかったから良いようなものの」


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