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台湾と朝鮮半島と

2014-09-06 | 日本語教育
日本語教育は三つの地域についてその功罪を問わなければならない。それを誰が行ったであろうか。日本語教育が国語教育として実践された地域と国、そしてその時代を現在の時点からどう評価すべきであるかを議論しなければならない。国語教育が言語教育としてあったかどうか、そこにむかえられた言葉は日本語教育のものではない。外地の国語として進めようとした時代に、日本語教育の目的は外地の国語教育としておこなわれたのである。その実践者にどういう意識があったかを時代の背景に捉えることになる。

国語教育に国語があり、日本語教育に日本語があるのであって、国語教育に日本語があっても、日本語教育には国語はないと考えるべきだろう。台湾における国語教育、朝鮮半島におけるハングル語による言語教育、中国からの留学生に対する日本語教育とそれぞれに行われてきた事実を見なければならない。台湾の国語伝習所、朝鮮でのハングルを学校教育に導入また一方で皇民教育など、その当時に日本語教育となる主張にはその目的が明らかにされる必要がある。国語教育そのままにとどまるものであろう。




ウイキぺィアによる。

>国語伝習所(こくごでんしゅうじょ)は1896年から1898年にかけて台湾総督府が台湾において実施した日本語を中心とする基礎教育学制と教育施設を指す名称である。基礎教育を充実させることで植民地経営における経営方式の「放任政策」と「同化政策」で後者を選択したことを示している。国語伝習所は台湾における最初の西洋式学校であり、後年誕生した公学校の前身である。
1895年に日本により台湾統治が開始されると、日本政府は積極的な台湾教育政策を実施した。芝山岩学堂における六氏先生事件後も台湾総督府は日本語普及を推進した。台湾総督府初代学務部長の伊沢修二は『台湾教育意見書』を発表し、日本による台湾統治での最重要政策として日本語教育を表明し、これに従って総督府は具体的な計画を策定した。
1896年、台湾総督府は『国語伝習所規則』を発布、全台湾における日本語教育の具体的な内容が策定された。台湾の主要都市に14ヶ所の国語伝習所を設置し、その周辺地域に分教場を設置するというものであり、西洋教育方式により国語(日本語)を初め唱歌、算数などの教育が実施された。
伝習所開校初期は台湾人の就学率は高くなかったが、総督府は無償教育政策を実施し、また台湾人の日常生活の中でも日本語を必要とする場面が多くなり、就学児童は年々増加した。1898年に公学校に改編されるまで存続した。植民地政策を実施するための政策ではあったが、台湾民衆に広く教育を行なう嚆矢であり、台湾教育史での意義は大きいものと評価されている。

>1911年に朝鮮総督府は、第一次教育令を公布し、朝鮮語は必修科目としてハングルが教えられることとなった。朝鮮語の時間以外の教授言語としては日本語が使用された。総督府は1912年に、近代において初めて作成された朝鮮語の正書法である普通学校用諺文綴字法を作成し、1930年には児童の学習能率の向上、朝鮮語の綴字法の整理・統一のための新正書法である諺文綴字法を作成し、それを用いた。




日本統治時代の朝鮮の教科書
www.nipponwomamorukai.jp/.../nihontoutijidai_no_tyousennokyoukasy...
日本統治時代の朝鮮では、皇民化教育が行われ、日本語の使用が強制されて朝鮮語の使用が禁じられた。 そして朝鮮の文化を抹殺し、朝鮮語や朝鮮の歴史を教えることは禁じられた。 ・・・そのように一般的に認識されています。 日本でも韓国でも、教科書に ...

朝鮮語
以上のような皇民化教育が行われる一方、朝鮮語の授業も必修科目として行われていました。
1938(昭和13)年以降は必修科目ではなく、授業を行うかどうかは校長の判断にゆだねられることとなり
1941(昭和16)年以降は朝鮮語の授業は行われなくなりましたが
冒頭の写真のように、その後も日常生活では普通に朝鮮語が話され、ハングルが用いられていました。

韓国併合時には就学率(書堂も含む)は10%程度でしたが、1937年には36%にまで達しています。
その間、朝鮮総督府はハングルの普及に務めていたのです。

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