スマフォ世代と書くと、この表記がすでにスマホの世代でないことを表わしている。あらためて、スマホ世代と検索してヒットした。1か月前の記事に、9月にスマホ世代登場とある、1995から2012年の生まれで、iGenと呼ばれるようである。その記事の少し前には、スマホ世代は「写メ」を「インスタ」と言う ネット上で驚きの声、というブログが8月に見える。たしかに、インスタ映えとは何事かと言っているようでは、時代遅れ、KYであった。そういえば、スマホ世代はパソコンが使えないということを言っていた。さらにスマホ世代は、ガラケー世代と対比されていた。
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精神的いじめ調査
2006年11月14日23:36
ことの中身はいじめる側にあるとの推測は誰にも成り立つ
しかし自ら告白するいじめ側はいないだろうから
その実態を知るにはどうすればよいか
すると、その捉え方をした高校生調査があった
読売新聞によると、京都大大学院医学研究科木原雅子助教授と全国高等学校PTA連合会が全国の高校2年生約6400人を対象に、北海道から九州まで9地区、公立高校各5校を抽出して、その調査をたくみにおこなった
言葉で傷つけたり、無視したりする精神的いじめについてアンケートを行い、14日、実態調査の結果を公表したそうだ
調査では、精神的いじめを、しつこいからかいや無視など不愉快になることと定義した
被害経験は小学生時代で男子55・6%、女子62・7%に上る
加害者、被害者の両方を経験した、が4割を超えるようだ
被害経験は、
小学生時点、男子55・6%、女子62・7%、
中学生時点、同52・7%、同54・1%、
高校、同38・0%、同29・5%
低年齢ほど高率でいじめが常態化
いじめる、いじめられる立場は頻繁に入れ替わる
さてここで重要なポイントはいじめる側といじめられる側の関係だ
幼少期とは言え、そのいじめ経験は被害にしても加害にしてもいわば因縁の様相を示す
そこにあるのは、やられたら、やり返すであろうから
とどまるところを知らない、闘争にも似てくる
被害者が次のいじめで加害者になる割合が
加害者などがさらにいじめる側になる割合とでは
小学生時代で7~9倍、中学生で7倍、高校生で16~17倍となる
いじめられないためにいじめる、いじめの連鎖がうかがえたという深刻な調査結果も出ている
さらには携帯電話やインターネットの利用でいじめが陰湿化し、子どもたちは大きなストレスを抱えている、となるが、その実態は驚くべき相関関係を見せた
携帯電話メールの頻度が1日41回以上の生徒は、5回以下の生徒に比べて男子で1・7倍、女子で1・4倍、加害の割合が高い
インターネットでも週10時間以上の場合、1時間以内の1・3倍(男子)~1・9倍(女子)で、時間が長くなるほど、いじめをする頻度が高い
この携帯とネットの現象の違いは、ネット上に現れる書き込みを反映したものなのだろう
45校で6400人、グループを学校単位にして、およそ140人ずつの規模となる
学年だけだからとしても、この調査は若者の中の半分がいじめ社会を構成していることがわかる
それ以上の資料がないので推測に過ぎないが、これが生存競争のひとこまとみなすか、成長過程の発達段階にあるものと見るか、表面化するいじめはもっと回答率が下がるだろう
潜在化しているこの傾向は、ほかの時代と比較する材料があればさらに信憑性を増したことだろう
コメント
2006年11月15日 14:53
今まで身体的暴力を伴ういじめに目を向けていて,精神的ないじめが見えてなかっただけじゃないか,という感覚があります。
私が小・中・高の時代から,精神的ないじめはありました。私が知っているものだけでも,いじめられた人は10人弱になります。もちろん期間は数ヶ月から数年に渡るものなど様々です。
ともかくも,自殺の連鎖をなんとかしなければ・・・。
コメント
p2006年11月16日 21:54 削除
この社会現象というか、社会問題の背景に、恥の文化が見えかくれして、お互いの連帯を確かめる方法のひとつなのだと、納得することがあって、それはいじめの側の連帯と取られがちだが、実は違っていていじめられる側に、民衆の力が宿っていることがいずれ明らかになる。