日本語文法論議23723
文段は文章の一部、文章を構成するとする。これを文法の論議にするかどうか、文章を全体としてそう見るならば、つまり文章が文法の対象となると、文段も必然的にそうなる、と考えられるのだが、どうも、文章の論議に作品総体という時枝学説の議論があるので、文段を文法対象の論に、そう捉えなかったようである。
わたしに文段の用語は段落にもなる . . . 本文を読む
onomatopoeia 、オノマトペと言語の本質、そして言語の進化について述べる箇所に読み進めてきて、ほぼ2分の一、「次の第5章では、いったん視点を子供から「言語」に移し、言語はどのようにオノマトペから離れて巨大な記号の体系に成長していったのかという、言語の進化を考えていこう」とその章にはずばり「言語の進化」をうたう。
ヒトの言語はどのようにし . . . 本文を読む
世界のオノマトペを大まかに捉える定義ということでは、よくわからないが、オランダの言語学者によるものらしい。その所だけを引用するのはどうかと思うかもしれないが、次のようである。
>オノマトペ:感覚イメージを写し取る、特徴的な形式を持ち、新たに作り出せる語 マーク・ディンゲマンセ
検索したら、ヒットした。この方の研究は母音に色があるということを唱 . . . 本文を読む
日本語文法論議230722 ← 23717
文段という語を造語してきたように思っていた。段落、パラグラフ、あるいは章節となる文章の単位である。それを検索していて、なにを検索していたかというと、市川孝氏のネットサイトの情報である。が、それがヒットしない、陶芸作家には次々とヒットするので、その同姓同名で検索に引っかからなくなってしまったらしい。
それでも出てくる . . . 本文を読む
擬声は声色の物まねである。声をまねること。擬声語となると、声をまねるのではなくて、声でまねることになってしまう。ここがよくわからなくなって、擬声に擬音を混ぜてしまっている。擬声語と擬音語と分類したりしてさらに分からないことになるが、なぜか。オノマトペと言うカタカナ語を使いだして、各自にの個別解釈になってしまうからである。
もう一度、わかりや . . . 本文を読む
オノマトペ、イコンと言語の役割的なかかわりをどう説明するかと議論して、ついにはその言語性を問うとなると、アブダクションにもならない、言語そのものが何であるかの議論が大前提にないから、言語現象にある機能を当てはめていくだけの作業に見える。
もともとその基本にあるそれまでの議論にはのらないという、視点を変えようということから出ていることなので、オノマトペ . . . 本文を読む
擬声という。擬声語という語にもなってどうもこれは使い方がちがう。
オノマトペの翻訳として言う。それは擬声になる。フランス語を経て英語で、音が語を形成する名前となるようである。
漢語にどう見えるか。おおくは現代解釈である。字通には擬声の語は挙げていない。擬態は見える。
ところが日本語の擬声は擬音とする解釈が主流となってしまった。その擬声に対して擬声 . . . 本文を読む
中公新書で、タイトルは、言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか という本の売れ行き好調とか。新聞広告が目について書店に散歩がてら買いに行けばと思いながら、日が経って今日の午後に入手した。店内のコーナーで派手に並べていた。5月25日発行のものが、6月20日で3版を重ねていた。興味を引いただけに売れているのはそういうことなんだろうと思うところ、ど . . . 本文を読む
日本語文法論議23717
文章論の必要な日本語文法論議にその後継スル理論の発展にどうにも文法研究の立場が災いしてこれまた時枝学説の縛りになる物言いだが一理あるので致し方ないだろう。ただ日本語文法となればその学説には日本語研究の対象にあるだけに相関性があるのを否定できない。つまりいくら立場を固執して理論展開を図ろうとしてもそこに呪縛があれば抜け出 . . . 本文を読む
日本語文法論議23716
文章論の議論はなぜ生産的でなくなったか。文章論の提唱が時枝学説の継承にあると見ると、その議論委は前提と対象とが収束するものであったからである。そんなことを言うと学校文法文章論を文法として議論するもの、日本語教育で日本人向けの文章論といった試みで行われているものがあり、文章論という研究の議論が続いているように見える。
し . . . 本文を読む