面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「幽霊飴」

2006年06月26日 | 落語
この噺、実は口演を聞いたことも観たこともない。
学生の頃読んだ「米朝ばなし 上方落語地図」(講談社文庫)で初めて知った噺である。
今回は、そこからの抜粋をもとにしてのご案内。

京都に珍皇寺という寺があり、その門前通りを“六道の辻”という。
その辺りに一軒の飴屋があった。
ある夜、店の者が寝ていると、表の戸を叩く音がする。
出てみると、やせた青白い女が立っていて、
「えらい夜分に申し訳ございませんが、飴を一つ売ってもらえまへんやろか。」
と、一文銭を出した。
店は閉まってはいるものの、追い返すのは何とも気の毒。
「はい、どうぞ。」
「おおきに。すんまへん。」
と女はどこへともなく去っていった。
次の日も、また次の日も、夜遅く寝ようとすると表の戸を叩いてその女が一文銭を持って飴を一つだけ買いに来る。
「どうもあれはタダもんやないで。なんや気色悪いな…」
と店の者は言い合っているが、女は毎晩やって来る。
そんなことが6日続いた夜、飴屋の主人が
「明日も銭持ってきたら、あれは人間やが、もし明日銭が無いようやったら、あの女は人間やないで。」
「ちょ、ちょっと旦さん、怖いこと言わんといとくなはれ。そら、どう言うこってすか?」
「人間、死ぬ時には『六道銭』と言うて、三途の川の渡し銭として、銭を六文、棺桶に入れるんや。ワシの見るところ、どうやらそれを持って来てるんやないかと思うのや。そやさかい、七文、八文と銭が続いたら、あれは人間や、ちゅうことや。」
次の日の夜中、また表の戸を叩く音が。
「だ、旦さん!来よりましたで。」
「よし。ワシが出たるさかい。」
戸を開けてみると、そこには例の女が立っていたのだが、
「実は今日は、おあしがございませんのですけど…飴を一つ、譲っていただくわけにはまいりまへんやろか。」
「よろしおます。こんな夜更けに、毎晩飴を買いにくるやなんて、なんぞ事情がおありでっしゃろ。…さぁ、一つあげますよってに、どうぞ持って帰りなはれ。」
「すんまへん。えらいおおきに、ありがとうございます。おおきに…」
銭なしで飴を与えた飴屋、そっと女の後をつけて行く。
女は、二年坂、三年坂を越えて、高台寺(こうだいじ)の墓場へと入って行った。
更に後をつけていくと、一つの塔婆の前に立ったとき、女の姿はかき消すように消えてしまった。
そこは、新仏の墓であった。
墓を掘ってみると、お腹に子供を宿したまま死んだ女の墓。
墓の中で子供が生まれたため、母親の一念で飴を買うてきて、子供を育てていたのである。
生きていた子供を飴屋が引き取って育て、のちにこれが高台寺のお坊さんになった。
死んでもなお、子供を思う母親の一念で、一文銭を持って飴を買うてきて、子供を大事に育てていた。
それもそのはず、場所がコオダイジ。
※子を大事=高台寺

テレビアニメの「まんがにっぽん昔話」に出てきそうな噺。
この飴屋が「子育て幽霊飴」という看板を出したが、今もその看板が残っているとか。
このオチを付けて落語に仕立てたのが、引退後高台寺境内に風雅な茶店を営み、余生を風流三昧に暮らした桂文の助である。
そしてその茶店が京都で有名な甘味処「文の助茶屋」。

ちょっと怪談風の噺であるが、子供を思う母親の愛情が溢れる温かい物語ながら、アホみたいなオチが何となく気を引く、好きな噺の一つ。
紫亭京太郎氏の落語仲間である道楽亭祐鶴氏も少々気に入っていて、二人して
「エエ噺やんな、これ」
と言いつつ、いつ高座にかけるかなどという会話をしていたのも今は昔。